第2話
遠い昔、ヒトはこの星の上で栄華を極めた。
ヒトはその知恵と、その知識を持って数を増やし、陸地の表面を多い尽くすほどに生息域を拡大した。
ヒトは、自分達こそがこの星の主であり、この星に無限の可能性を与える存在だと信じて疑わなかった。
彼らがその愚かな信仰を捨てた時には、既に星の崩壊は始まったいた。自分達が生み出し続けてきた創造物がこの星の大地と水を蝕み、空気を歪み始めた時には、ヒトはもう祈ることしか出来なかった。
「ですが私達は滅びを免れました。そう、『上位存在』がご介入してくださったのです――」
女性学芸員の声がした。
見ると、中高生の一段が僕らのすぐ隣で展示物の前に群れを成していた。
「――かの方、『上位存在』達は。遠い空間、時空の狭間より現れ、人智を超えたその力によって星の命を繋ぎ止め、我々に生存の権利をお与えくださいました」
学生達はそこそこ真剣な表情で、学芸員の示す展示物を見つめている。上位存在が人類の前に始めて現われた「再生の刻」を模した蝋人形のジオラマだ。
上位存在の姿は、彼らを表現する際のアイコン「解かれた脳」で描かれている。
「人類はその時知りました、いかに我々が種として未熟であるか、いかに我々が矮小な脳によって思考を紡いでいるのかを」
ジオラマの内容はシンプルだ、三王と呼ばれたかつての人類の長達がかしづき、上位存在から剥離体を拝領する場面だった。
「上位存在達は我々を星の寿命から救うだけでなく、同時にチャンスをくださいました。我々がヒトという枠組みから解き放たれる機会を、剥離体により上位存在へと昇華できる可能性を与えてくれたのです」
――それでは次に、剥離体を用いた儀式「謝肉祭」紹介しましょう。学芸員はそう言うと、若者達を引き連れ僕らの傍から離れていった。
「お前みたいな落ちぶれたオッサンがその『昇華者』だと知ったら、あの子たちはさぞ落胆するだろうな」
オギワラは実に楽しそうに笑いながら言った。
「そんな嫌味を言うために、わざわざこんな所へ?」
平日昼間の博物館。
混雑、という程ではないが人は疎らにいる。あまり密談をするのに適した場とは思えない。
「そう言うなディクロノーシス、説明はちゃんとする」
彼はそう言うと、目の前のガラスに手を書け僕らの前に展示されたジオラマへと視線を移した。
「君に捜査をしてもらうあの男、『キョウゴク』も、ここに並べて展示されるはずだった」
言葉を吐いた彼の視線の先には、「守堂の科学者達」というタイトルのジオラマが飾られていた。
5体の科学者の蝋人形が楽しそうに肩を組んで僕らの方を見てる。
「へぇ、そんなに大層な人物なのか」
「揺り篭の研究を一気に押し進めたからな、人間至上主義者達からは『人殺しのキョウゴク』と呼ばれていた」
「物騒な二つ名だねぇ――」
僕は先ほどフィルムで見たキョウゴクの顔を思い返した。ギラついた凶悪そうな瞳、脂ぎって赤みが強くさした素肌。
「――でも、もう一線から退いたと。まだかなり若く見えましたけど」
「三年前の人間至上主義者達による揺り篭の襲撃で、酷い怪我をしてね。脳に軽度の障害を負って任務の遂行能力が著しく低下したらしい」
僕はそこで少し引っかかりを感じた。
「『らしい』って、なんで言葉を濁すんですか」
「自己申告だったからだよ、医者の診断は『任務遂行能力には問題ない』だった。だが本人の意思を無碍にする事はできない。我々も随分止めたんだがな」
「それで引退……なんだか情けない話ですね」
少々キツい物言いだが、ぼくは躊躇なくそう言って切り捨てようとした。
「いや、完全に引退したわけじゃないんだ。彼はここ下層『拿禰』地区の守人に転属希望を出し、そして承認された」
僕は思わず彼の方を見る。
「何故こんな田舎に希望を?」
「噂はいろいろあった。『生まれ故郷だから』、『宿敵が潜伏してるエリアだから』、『生き別れの兄弟が居る』そうした説の中でも最有力だったのが――」
彼はそう言うと、胸ポケットからまた一枚のレトロフィルムを取り出して僕に差し出す。
「――女だ」
フィルムには一人の美しい女性が映っていた。
燃えるような赤髪、捻くれた光を持つ釣り目。キョウゴクに負けず劣らずの曲者そうな人間だ。
「彼女が、キョウゴクの女ですか?」
「そういう噂もあった、そして実際キョウゴクはこの女の職場へ転属後足しげく通っていた」
――義務から逃げ、女に走ったか。
かなり惨めな姿だ。写真や経歴から伺えるキョウゴクの姿とはあまりにも噛み合わない。
「それで、肝心の今のキョウゴクは?」
「消息不明、16日前から守に出勤しなくなり、9日前彼の住宅に行ったが不在、近隣住人もここ数日彼の姿は見ていないと」
守堂の職務は、その性質上厳しい規則で設定され、それに違反すれば直ちに追跡制裁の対象となる、故に消息不明になるのは、守堂が追跡に失敗したという事、ただならぬ事態だ。
「彼の最後の目撃情報は?」
「17日前、その赤毛女『クドウ』の職場へ向う様子が目撃されている。残念ながら肝心の彼女からはまだ何も聞き出せていない」
「だったらその女を捕まえて聴衆すればいい、それで全部解決だろう」
話はそう単純じゃないと男は言った。
「もう一人、怪しい人間がいるんだよ。この博物館の、まさにこの場所でたびたびキョウゴクと密会していた男がいる」
「誰なんですか、それは一体」
「わからない、部下を何人か使って調べさせていた。だがつい先日、その部下も全員消息を絶った」
なるほどそっちが本命か、僕がそう言うと彼は笑って頷いてみせた。
「ディクロノーシス、君はキョウゴクの女を追ってくれ。俺達守堂は謎の博物館男を追う」
くれぐれも君まで消息不明にならないでくれよ、と笑えない冗談を彼は付け足した。
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