とかげくん【松の木と小さなとかげ】

 丘の上に立つ大きな松の木は竜神さまのお気に入りなのでございます。数えきれないほどの昼と気が遠くなるほどの長い夜を、竜神さまはその木に巻きついて過ごされました。

 松の木のすぐ傍には美しい泉が湧いております。竜神さまからしてみれば、小さな小さな泉でございます。竜神さまのご誕生を祝うかのように湧き出したその泉は、どんなひでりの時にも渇くことはなく何ものにも濁ることのない、とても不思議な泉なのです。

 村の者たちは滅多にその丘には近づきません。竜神さまの御座おわすその丘は、とても神聖な場所なのでございます。


 その昔、生まれたばかりの竜神さまはそれはそれは恐ろしい荒ぶる神であったと、伝承は語ります。それを鎮めたのがあの大きな松の木であり、尽きぬ清らかな泉なのです。

 今、松の木に巻きついて欠伸を噛み殺していらっしゃるお姿からはとても想像出来ませんね。

 竜神さまはとてもお優しい、民思いの神様でございます。




   🌳🌳🌳




 一体いつから水を司る者となったのか、ぼくは憶えていない。あまりに永くその役を担ってきたので、ぼくはもうそれ以外の一切を忘れてしまった。ただ求められるままに雨を呼び、濁流を鎮めそれを澄ませ、時にその総てを奪う。


 神とは何も持たぬ者。それを寂しいと思うのは、ぼくが歳を取ってしまったからだろうか。もっとも、もう自分が何歳なのかも分からないのだけれど。

 神様なんだから、心を乱すことは許されない。だけど、最近ぼくの心はふわふわと揺らいでいる。



「おおーい。今日もいい天気だな」


 ずっと下、松の木の根元辺りで小さな小さな声がする。半夏生はんげしょうの葉がそよぐよりも小さな声だよ。


「お前もこっちに下りて来いよ。泉が冷たくて気持ちいいぞう」


 ぼくのことを「お前」って呼ぶのは、この小さな声だけだ。声の主は、とっても小さなとかげだよ。半夏生の花が咲き始めた頃に突然現れて、それからずっと泉に棲んでいる。ぼくもとっくに忘れてしまっていたぼくの名前を呼んで話し掛けてきたから、ものすごくびっくりしたんだよ。

 その子はなんだかぼくのことをよく知ってるみたいで、ちょっと偉そうに振る舞うんだ。ぼくのうろこひとつ分よりもうんと小さいのに、おかしいよね。ぼくは腹を立ててもいいはずなんだけど、どういう訳か恨めなくってそのままにしている。恨めないどころか、ちょっぴり嬉しいくらいなんだよ。ふふ。ぼくもちょっと変だよね。

 もう一度呼ばれて、ぼくはため息を吐いて体を浮かせた。一陣の風が松の梢を撫でてゆく。


「ほぉら」


 泉の傍まで下りていくと、きゃっきゃ言いながらぼくの方に飛沫しぶきを上げるけど、そんな小さな手で上げる飛沫なんかぼくのひげの先を湿らせることも出来ないよ。だけどそのとかげはとても楽しそうだ。ぼくの顎の下のひとふさをむんずと掴んで、頭の上までよじ登ってくる!


「ほら! 行くぞ!!」


 枝分かれしたぼくの角に片手をかけて、もう一方の手でたてがみの端っこをぎゅっと握って。きっと胸を張って得意気な顔をしてるんだよね。見えないけど何となく分かるよ。


「ほら! 早く!!」


 いつもながら強引だね。落っこっちゃうよ。危ないよ。


「だぁーいじょおぶ! 落ちない!」


 いつもながらすごい自信だね。ぼくは喋れないのに、心まで読んじゃうんだね。


「さあ行くぞ! スイレン!」


 朗らかな声がぼくを呼ぶ。

 その声は、ちっちゃな体の割に低くて、ぶっきらぼうなのに温かい。ぼくを優しく包み込む声だ。

 その声を聞いているとね、なんだか胸がさわさわと波立つんだ。嬉しいような、寂しいような、不思議な気分だよ。泣きたい感じかもしれない。もうずいぶん長いこと泣いたりしていないけど。


 ぼくはふわりと空に舞い上がった。


 もう、ほんとに落ちないでよね。


「落ちたらお前が拾いに来い!」


 ぼくの頭の上でちっちゃなとかげがぐっと胸を張った。


 そこ、威張るとこ? 訳分かんないよ。


 ぼくは空を翔けた。小さなとかげが歓声を上げる。

 ぼくも笑った。楽しい。楽しいな。

 ぼくはこの子が大好きだ。




 この子は冴えないうす茶色の小さな小さなとかげだけどね。


 ぼくはそれを、とてもきれいだと思う。


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