とかげくん【ぼくの家族】

 小さな蜥蜴が水際の茂みで草を食むカラクレナイミズククリムシをじっと見つめていた。そして、己の胴回りの倍ほどもある赤い芋虫に隙を突いて襲い掛かる。襲われたカラクレナイミズククリムシとて、やられるままになっている訳ではなかった。大きな鎌状の前腕を振り回して抵抗する。しかし悲しいかなカラクレナイミズククリムシは極めて鈍重な生き物である。どんなに鋭い武器でも当たらなければ意味がない。加えて図体が大きいだけに持久力もなかった。

 幾度かの打ち合いの後、獲物を仕留めた蜥蜴が小さく息を吐く。疲労はあるが長居をしている余裕はない。本来ならば集落を外れたこんなところまで来るべきではないのだ。しかし彼には身重の妻がいた。生まれてくる子供と愛しい妻のために、滋養のあるものを食べさせてやりたかった。

 もう息のない大きなカラクレナイミズククリムシが担ぎ上げた肩に重く圧しかかる。蜥蜴はひとつ気合を入れて家路についた。


 その様子を木立の陰から見守る瞳があった。ピンと立てた耳を神経質に震わせて、音もなく翼を広げる。あんなに沢山いたはずの蜥蜴が近頃とんと姿を見せない。せっかくの餌場を荒らしたくはないが巣を襲おうかと思っていた矢先、久し振りの獲物が巣から這い出してきたのだ。

 この好機を逃すつもりはない。大きな木菟は静かに枝を蹴った。



 ごおっと風が吹いて、蜥蜴はよろけた拍子に担ぎ上げていたカラクレナイミズククリムシを取り落とした。溜息を吐いて腰を伸ばし、重い芋虫をもう一度担ぎ直す。

 今の風、妙に青かったな。

 ふと思ったが、首を振って歩き出す。今は何より、無事に家まで帰り着くことを優先させなければならない。




   🌱🌱🌱




 寒かった冬が明けて日射しが柔らかく降り注ぐようになった。ぼくがすいりゅうさんのところに来てから初めての春。遠くに咲いている雪桜の香りが運ばれてきて、ぼくは大きく息を吸い込んだ。いい匂い! 夜になったら花びらを拾いに行って、寝床に敷き詰めちゃおう。


 ぼくはね、シロツメクサの群生の脇にやわらかな葉っぱを集めて寝床を作っている。すいりゅうさんみたいに松の木に巻きついて寝ようかとも思ったんだけど、松の幹ってごつごつしてて痛いんだよ。すいりゅうさんは大きくてうろこも丈夫だからきっと平気なんだろうけど、ぼくには無理みたい。

 最初はね、おうちを作らなきゃって思ったんだ。だけど、独りじゃ難しいよね。それに蛟になったからかなあ。寒さにも、雨や雪にも強くなってて。結局野宿みたいになっちゃった。


「すいりゅうさん。夜になったらお散歩に行こう」


 松の木の天辺まで飛んで行ってすいりゅうさんの前に浮かんで言うと、いつも通りに口ひげで撫でてくれる。いいよ、って意味だよね。わあい。

 すいりゅうさんのおひげ、気持ち好いなあ。うっとりと撫でられていると、急に口ひげが絡まってぽおんと放られた。うん。特訓だよ!

 とかげの頃はすいりゅうさんの背中に着地出来るように放られていたけど、今は違う。すいりゅうさん全力投球。どこまでも飛ばされそうになるのを、お腹にぎゅっと力を入れて踏ん張るのが今の訓練だよ。


 それにしても。

 いつもはみんなを怖がらせちゃいけないから、って村とは反対の方向に放るのに、今日は村目掛けて投げられちゃった。たいへん! ぼくはぎゅっと踏ん張って村から丘に続く小径の上で息を吐く。危ない危ない。もし間違って村に落っこちちゃったら大騒ぎになっちゃうよ。もう。すいりゅうさんったら!


 ぼくはぷりぷりしながら下を見た。

 小さな色とりどりの花が飾る小径こみちを、とかげが三匹、歩いている。小さなとかげが、大きいとかげ二人に手を引かれて。


 どきり、と。鼓動が跳ねた。一拍置いてばかみたいにどきどきと跳ねまわり始めた心臓をどうにか宥めて、ぼくは慌てて丘に戻った。



「すいりゅうさん、知ってたの?」


 戻って一番に訊くと、すいりゅうさんはゆっくりとしっぽを振って応えてくれる。

 そうか。知ってたから、あっちに放ってくれたんだね。ああ。どうしよう。ぼく、どうしたらいいのかな。


 青いうろこを上から下まで撫でつけてみる。変なとこない?

 寝床に飛んで行って、飛び出た草を押し込んで整える。これはいらないか。

 どうしよう。お茶もお菓子もなんにも無いよ。


 狼狽えるぼくの耳に楽し気な笑い声が聞こえてきた。目を遣ると、おばさんとグレンが小さな男の子の手を引いて、ぶうんぶうんと振り上げている。ぼくもちっちゃい頃大好きだった遊びだよ。


「あ」


 小さな男の子がぼくに気がついて、おばさんを見上げた。一言二言言葉を交わして、グレンに頭を撫でられて、それから、ぼくの方に駆けてくる。


「にいちゃ?」


 たどたどしい言葉でぼくを見上げて、小さな弟が首を傾げた。


「そうだよ」


 いいのかな。ぼくは、この子のお兄ちゃんのままでいてもいいのかな。ぼくの不安に応えるように、ぱあっと顔を輝かせた弟がぼくに手を伸ばす。


「にいちゃ。あおいろがきらきら、きれいねえ」


 ぼくの目から涙が溢れた。膝をついて、小さな小さな弟を抱き上げる。


「どうしたの? おなかいたい?」


 かわいらしい手がぼくの涙に触れる。


「うん。ううん」


 ぼくは小さな手を上からそっと包んだ。


「ありがとう」



 ぼくは蛟になって大切なものを失くしちゃったと思ってたけど、失くなったものなんてひとつもなかった。

 ぼくはなんて幸せなんだろう。



 ねえ、すいりゅうさん。

 家族って、とってもあったかいよ。





 🍀🍀第四章 おしまい🍀🍀





 *** ** ********* **


      第五章

 【みずちのねがいとかみさまのひみつ】


  蛟になっても、とかげくんの願いは

  たったひとつ。


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