とかげくん【居留守】

 その夜、窓を叩く風の音が聞こえたけど、ぼくは気づかない振りをした。

 しばらくしたらもう一回窓が鳴って。三回目の風の音が聞こえて。それから、静かになった。


 昼の間に何回か目が覚めて。おばさんが運んでくれたご飯を食べて。その度にしっかり結ばれたままの紐を確かめてぼくはほっとした。夜の間も浅い眠りのなかで何回も確かめたけど、一度も紐は解けていなかった。


 もう一日を昨日と同じように過ごして、夜、また風が吹いた。


 すいりゅうさんが会いに来てくれている。

 昨日すっぽかしたのに、今日も来てくれている。

 この窓を開けて飛び出していけたらどんなにいいだろう。

 どんな姿でもきっと受け入れてくれるすいりゅうさんの優しい金茶の瞳を思って苦しくなる。

 だって。分からないもん。

 こんなに醜い化け物になっちゃったぼくを、変わらず受け入れてくれるなんて信じられないもん。


 だからぼくは、お布団を被ってぎゅっと目を閉じた。昨日の夜とおんなじように、三回窓が鳴って静かになる。ぼくはほっとして、もぞもぞとお布団から這い出した。

 松の木に帰っていくきらきらしたすいりゅうさんが見えないかな、と思って窓を開く。昨日まで寒くて身が縮んでいたのが嘘のように少しも寒さを感じない。夜だから大丈夫かな。身を乗り出したぼくの目に、星空を映したすいりゅうさんのきれいな姿が飛び込んできた。

 おうちの上に浮かんだすいりゅうさんが、ちょっと怖い目でぼくを見つめていた。



 ぼくはびっくりして窓を閉めた。今更遅いと思うけど、シーツをぐるぐる体に巻き付けて醜い姿を隠そうとする。

 風が窓を揺らした。カタカタと、ぼくを呼ぶように鳴る。ぼくは部屋のなかで後退って、隅の暗がりにうずくまる。

 しつこいくらいに窓が鳴った。だけど、ぼくは動けない。

 怖くて。

 大好きなひとを怖いと思うなんて変だけど。

 とても怖くて。

 窓が鳴る度に、ぼくはシーツを握りしめた。



 どのくらいそうしていたのか分からない。不意に静かになった。

 ぼくは窓が鳴るのが怖かったのに、静かになるのはもっと怖くて。慌てて窓に駆け寄ってそれを開く。


 窓の外にはすいりゅうさんがいた。

 もう怒って帰っちゃったのかと思ったけど、ちゃんといた。


「ふ……うぇええん……」


 ぼくはほっとして、ここ二日張り詰めていたものがプツンと切れてしまった。泣きじゃくるぼくの頬を、すいりゅうさんの口ひげがそっとなぞる。艶やかな金色が濡れそぼるのも構わずに、溢れる涙を拭い続ける。

 今までと少しも変わらない、優しい仕種。ぼくは堪らず腕を伸ばした。

 頬を撫でていた口ひげが不意に離れてぼくの体ごと絡めとる。ぽおんと。いつもと同じようにすいりゅうさんの背に放り投げられてぼくは泣きながら吹き出してしまった。


 大きな大きなすいりゅうさんに比べたら、ぼくはとても小さい。

 たとえ皆に仇を為す化け物になってしまったとしても、きっとすいりゅうさんが止めてくれる。


 ぼくはすいりゅうさんの背中にぎゅうっと抱きついた。しっとりとしたたてがみが、ぼくの熱を吸って温かい。水面みなものように煌めくうろこが、優しい月の光を湛えてぼくを映す。その姿は歪で醜いけれど、すいりゅうさんは気にしないみたいだ。


 天を翔けるすいりゅうさんの背中で、ぼくはぽつぽつとお話しをした。

 背中からじゃあすいりゅうさんの瞳は見えないけれど、きっと優しく細められているんだと思う。


 ぼくが決めたことに、すいりゅうさんは頷いてくれた。

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