グレン【家族】
乾ききっていたのがまるで幻だったかのように、しっとりとした空気が夜を連れてきた。
風呂で温まり、フレアが作ったパンケーキで腹が膨れた子供は既に寝息を立てている。それはそうだろう。あんな嵐の中にずっと立っていたのだから。
「なんだい。まだ居たのかい?」
子供部屋から戻ったフレアは、居間に俺の姿を認めると呆れたように腰に手を当てた。
全くいつも通りだな。
苦笑と共に肩を竦めた俺になどお構いなしでフレアは冷めたお茶を啜る。そのカップの脇に甘い香りのする皿を置いて、俺はフレアの向かいに腰掛けた。
「お前もそれを食ったら、風呂に入ってもう寝ろ」
皿の中のパンケーキはフレアが作ったものと違って
「あんた、料理なんて出来たのかい」
目を見開くフレアに俺はニヤリと笑って見せた。
「しないから、そんなに歪なんだろうよ」
それでも、生地も山桃もクリームもフレアが仕込んだものだから味は間違いないだろう。パンケーキを切り分けて口に運ぶ様を見守りながら、カップに熱い茶を注ぐ。
美味しい、とフレアは微笑んで、ぽつりと語り始めた。
「あの子を初めて抱いたときはさぁ」
己の手に視線を落とし、小さく笑う。
こんなに小さくて。頼りなくて。大丈夫なんだろうかって思ったもんだよ。ちっちゃい手であたしの手をしっかり握ってさ。あたしが居なきゃ、なぁんにも出来なくて。
それが、ひとつずつ出来ることが増えていって。
握りしめていた指をひとつずつ
そうやって巣立っていくんだね。
あたしはさぁ。嬉しいんだよ?
あの子がちょっとずつ大きくなっていくのがさ。歩き始めたときだって、初めて喋ったときだって。もちろん、今だってね。一人でちゃんと考えて、答えを出せるようになったってことがさ。
熱い茶を啜って溜息を吐き、パンケーキを食べて美味しいね、と呟く。
だけどさぁ。寂しいんだよ。寂しくて堪らないよ。
ぎゅっと握られてた手が空っぽでさ。
フレアが寂し気に見つめる手を、そっと握った。
「まだ空っぽじゃないだろう。お前を母と呼んでいいと知ったときのあの子の顔を見なかったのか?」
弾かれるように顔を上げたフレアににやりと笑って見せる。
「でも、もうそろそろ片手くらいは空けてくれ。いい加減待ち
「な……っ」
真っ赤な顔を隠すように俯いて。
「こんなときに。卑怯だよ」
そう言いながらも、フレアは手を振り解く様子もない。
もちろん。と言って俺は頷いた。
「承知している。だが前に卑怯になるチャンスを
「あたしは今、弱っているんだよ」
目尻を下げた情けない顔でフレアが顔を上げた。
愛おしい。と思う。
「知ってる。だから、俺の助けが必要だろう?」
「
そっぽを向くフレアの頬が染まっている。その頬に触れる許しを貰えないだろうか。
「自惚れさせてくれるのか?」
俺はフレアの手を取った。俺よりも色素の薄い手の甲を、桜色の細い爪を、そっと辿る。
「なあフレア。俺を、お前たちの輪の中に入れてくれないか」
フレアは顔を背けたままだ。けれど、俺を振り解こうとはしない。
「何言ってんだい」
フレアが長い息を吐いた。こちらを向き、目尻を下げて困ったように笑う。
「とっくに入って来てるじゃないか。気づいてもいないのかい?」
やわらかい夜が部屋に満ちている。
飲み物から上がる湯気と、パンケーキの甘い香り。忙しなく打つ鼓動と、詰めた息。
そっと、手を上げて頬に触れた。
フレアはその手を払わなかった。
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