グレン【名前】

 早くに両親ふたおやを亡くしたフレアは、それでも母親譲りの気丈な性格で独り暮らしていた。両親を亡くしたときにはまだ脱皮も終わっていない子供で周りは彼女を構いたがったが、大概のことは一人でこなしてしまうので実際に面倒を看るようなことなど殆ど無かった。


 フレアの父親は気の優しい土蜥蜴で、母親は気の強い火蜥蜴だった。

 どう見ても親父さんの方が尻に敷かれていたけれど、よくよく見ているとべた惚れなのはお袋さんの方で、掛け合いのようなやり取りを見ているといつも頬が弛んだ。

 フレアはそんな二人に愛されて、良いところも悪いところも受け継いで、優しくて、分からず屋で、頑固で、可愛らしかった。そして、よく泣いた。


 三度目の脱皮が近づいた頃から、俺はフレアを意識し始めた。急に背が伸びて、今まで何とも思わなかった笑い声や指先の動きに妙に艶があるように思えて。思わず目を逸らせてしまうことが多くなった。

 その頃だ。

 フレアが独りになってしまったのは。



     ❤



 夜に出掛けて行ったフレアの両親は帰って来なかった。夜光茸を見に行って木菟ミミズクに襲われたのだ。

 その年の夜光茸は本当に見事で、多くの者が見物に行っていた。俺も行ったし、別の日、フレアも二人に連れられて見た筈だ。だから彼らが襲われたことは不幸な偶然でしかない。その偶然が、フレアから家族を奪った。

 命からがら逃げ帰った者から事の顛末を聞いたとき、フレアは呆然とするばかりで涙も見せなかった。あんなに泣き虫だったくせに。周りに手伝われて葬式を挙げる間もずっと。それからの暮らしのなかでも、一度も。


 俺たち蜥蜴は、三度目の脱皮で種が分かる。

 例えば両親が火蜥蜴同士でも生まれた子供が火蜥蜴になるとは限らない。先祖のなかに違う種がいればそれが出てくることも多々ある。

 だから、種が定まるまで名前を付けない。幼い頃の俺たちは、坊主とか嬢とか呼ばれて過ごす。なので、フレアにもその頃名前は無かった。


 ある夜のことだ。窓を控えめに叩く音に外を覗くと、フレアが手招きしていた。出て行っても暫く俯いたままで何も言わなかったが、やがてすっと俺の前に腕を伸ばした。そして、巻いていた薄布をはらりとほどく。


「ねえ」


 刹那呼吸を忘れて見入る俺にフレアが言った。手首の鱗がめくれて、淡い桜色が顔を覗かせている。それはやがて深紅に染まるだろう。

 火蜥蜴。

 フレアは、俺と同じ火蜥蜴だ。


「ねえ」


 もう一度、フレアが俺を呼ぶ。顔を上げるとまっすぐ正面から見つめられた。


「あんたが名前を付けて」


 母親譲りの意志の強そうな口角をぐっと上げて。


「あんたに付けて欲しい」


 父親譲りの優しい目元をくしゃりと下げて。




 フレア。




 俺は思い付いた名を告げた。


 決然と吹き上がる炎は、お前にぴったりだろう。


 暖かい陽のようなお前にぴったりだ。

 親父さんたちも、お前を「私たちの太陽」と呼んでいたよ。


 穏やかに話しかけながら、そっと、薄赤い鱗を撫でる。愛おしいと思った。


 ぽたり。

 落ちた涙が腕を焼く。微かな痛みが濡れた鱗を刺す。


 ああ。やっと泣いたな。


 俺は震えるフレアの頭を引き寄せた。肩口が涙に濡れてひりひりと痛む。その痛みが、少しでもフレアの苦痛を移してくれたら好い。


 フレアは泣き続け、俺はただ立ち尽くしていた。

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