すいりゅうさん【焦燥】

 私は何も持っていない。感情すらも、つい最近まで何処かに置き忘れていた。

 それは寂しいことかもしれないが、私の役目にとって必要なことであったのだと。ここに来て初めて思い知った。


 一体幾日雨を降らせただろう。何度雲を裂いて、何度雷を落としただろう。

 枯れた世界の彼方此方あちこちで歓喜の声が上がる。今や世界は美しく潤っている。もう大丈夫だ、と。至る処から安堵と感謝の祈りが届く。

 その祈りは私の心に些かの揺らぎももたらさない。だが、私の心は揺れている。狂おしい程に乱れて悲鳴を上げている。


 私が喜ばせたいのは民草ではない。聞きたい声は、見たい笑顔は、お前たちのものではない。

 しかしそれでも、私は雨を降らさねばならない。世界が生命いのちを繋げるように、潤さねばならない。それが私の役目だ。私が私で在る意味だ。

 渇き、嘆く声は、まだ聞こえている。


 だから私は空を往く。

 私は、祈る民の為に在る者。水を司り、生命に潤いを与える為だけに、私は存在している。




   🐉🐉🐉




 蜥蜴の子の祈りが届く前から、何か胸騒ぎがしていた。輝く虹に笑顔を重ねても、何処かしら違和感があった。

 ひとの心とは何ともろいものか。

 心が通ったと感じたのは、私の思い違いであったのか。

 絆を結んだと感じたのは、私の思い上がりであったのか。


 あの子が泣いている。

 私に嫌われたと言って。


 そんなことがあるものか。

 今すぐ翔けていって、その間違いをただしてやりたい。

 それは優しい感情ではない。むしろ、凶暴な衝動だった。

 何故信じることが出来ぬのか。待つことが出来ぬのか。

 私たちが共にした日々は、そんなにつまらないものだったのか。

 温かく照らしていたが、激しく燃え盛って私の心を乱す。


 乱れた心で私は天を舞った。うっかり全てを砕いてしまわぬように、奥歯を噛み締める。今、思うままに叫べば、災厄を呼んでしまいそうだ。

 感情を持つということは、こんなにも厄介なものか。


 嵐の中に在ってさえ絶えず流れ込んでくる祈りに耳を塞ぎたくて堪らない。


 泣くな。


 泣くな。


 泣くな。


 泣くな!!




 どうか。頼むから。




 ようやく世界の隅々まで潤わせてあの丘に辿り着く頃には、私の心は千々に乱れていた。

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