すいりゅうさん【失敗】

 想定外だった。

 転がる松かさを私は半ば呆然として見下ろした。


 蜥蜴の子は、松かさに登ることすら出来なかった。

 しかし何度失敗してもあの子は諦めなかった。何度も何度も松かさに手をかけて、転げても潰されても立ち上がった。陽が傾いていとまを告げるまで、何度も。


「あしたもきっと、ここにいてね」


 そう言って帰ってゆく背を見送りながら、昨日までとは違う感情が私のなかに芽生えた。


 次の日、蜥蜴の子は松かさに登ることに成功した。そして、私の尾に触れようと手を伸ばす。私は意図して、その手の届かないぎりぎりのところに尾の先を置いた。


「うーん。もうちょっとで届きそうなんだけどなあ。えいっ! ダメかぁ」


 松かさのうえで手を伸ばし、爪先立ちに踏ん張って。バランスを失って地面に転がり落ちても、掴んだかに見えたひと房がさらりと風にさらわれても。諦めない。

 その輝きに私は心を奪われた。


 毎日、私は彼の手の届かないぎりぎりに尾の先を置いた。届かない筈の位置に。

 だから、彼の手が遂に私の尾を掴んだことにはとても驚いた。彼の努力が私の想像を超えたのだ。


「うそみたい!」


 彼は手放しで喜んだ。そう、まさに、手を放して万歳をした。ぎょっとする私の焦りなどお構いなしに、地面に転がった彼は愉快そうに笑った。


「やったぁ! 遂に届いたよ! ねえ、すいりゅうさん。想像した通り、あなたのたてがみはとてもしなやかでさらさらだった! もう一回触ってもいーい? あなたの背を登って行って『こんにちは』って挨拶しても?」


 何をいけないことがあるものか。

 私はいつもよりも大袈裟に尾を振った。感情の昂ぶりが抑えきれない。


「いいよって言ってくれてるみたい。嬉しいな! すいりゅうさん。あなたがしっぽを振ると、うろこがきらきらと輝いて、たてがみがさらりと揺れて、夢みたいにきれいだね」


 何を言う。

 美しいのはお前の方だ。


 その折れない強さはどこから来るのだろう。こんなに小さな生き物の、何処にそのような強さが隠されていたのだろう。


「ああっ。でもダメだ! おばさんが心配するから、今日はもう帰らなきゃ」


 蜥蜴の子が起き上がり、私を見上げた。


「すいりゅうさん。明日! 明日また来て、あなたに挨拶するから!」


 蜥蜴の子はそう言ってぶんぶん手を振ると帰って行った。

 すっごく楽しみ! とか言いながら、跳ねるように。


 私も、すごく楽しみだ。



   ☁☁☁



 翌日の朝、蜥蜴の子は松かさに登って私の尾を掴んだ。ゆっくりと背を登ってくる。その僅かな感触に胸が高鳴った。


「すいりゅうさん。こんにちは」


 私の耳元で可愛らしい声がする。そのとき、ごおっと風が吹いた。


「うわあっ」


 ぎゅっと私の耳にしがみついて蜥蜴の子が悲鳴を上げる。


「すっごい風だねえ。高いところって、いつもこんな風が吹いてるの?」


 私はかすかに頷いた。あまり首を動かしては彼を振り落としてしまいそうだし、声を出したら大地を砕いてしまう。


「そうかあ。じゃあ、ぼくはもっと力を付けて、しっかりすいりゅうさんにしがみつけるようにならなくちゃ」


 その言葉に、私は思わず笑ってしまった。はは、と声が漏れた刹那、どん、と大地が揺れて葉を散らせた木々から鳥たちが飛び立つ。


「わあ。すいりゅうさんの声は強力だねえ」


 蜥蜴の子が目を丸くした。驚いてはいるものの怯えている様子はないので安堵する。


「欠伸だって、まるで地震みたいだものねえ」


 くすくすと耳元で笑われて何やらむず痒い。


「ねえすいりゅうさん。また来てもいーい?」


 もちろん私は頷いた。

 蜥蜴の子の面に笑みが弾けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る