選択①




翌日 午前 病室



昨夜気合いを入れ直したリーナは、今日も元気よく悠のお世話をする。 タクミに支えられたことにより、心には少しの余裕が生まれていた。


「お姉さん! ここの問題、これで合っているか教えて」

「いいよ」


悠にそう言われ、一度掃除をしていた手を休め彼のもとへと足を運ぶ。 そして悠の回答を見るなり、リーナは笑顔になった。


「うん、合ってる!」

「本当!? よかったぁ。 この解き方には、大分慣れたな」

「ハルくん、憶えるのが早いもんね」

「・・・僕は運動ができないから、勉強することしかなかったんだ」


少し苦笑をしながら小さな声でその言葉を放たれ、上手い返しができず言いよどんでしまう。 だが悠は時計の方を一瞥すると、この悪い空気が続かないよう必死に笑顔を作った。


「よし! あと一時間、勉強頑張ろっと。 お姉さん、次の問題のやり方、教えて」

「・・・うん」


今目の前にあるものを積極的にやりこなしていく彼を見て、リーナも負けないよう一生懸命勉強を教える。 

悠から学ぶものはとても多く、まだ小さいというのにこんなにも心が強いとなると、尊敬せざるを得なかった。


勉強を終え昼食を済ますと、早速リハビリ練習に取りかかる。 

だが今では大分動けるようになったため、狭い病室では物足りないと思い『リハビリ用の室内があるけど、そこへ行く?』と尋ねるが、

悠は『ううん。 頑張っている姿・・・というか、こんなみっともない姿、他の人には見せたくないから』と返すため、今でも病室で身体を動かす練習をしていた。

本当は痛くて仕方がないと思うが、懸命に歩き続ける彼の姿はとても輝いて見える。 その様子を見るだけでも、リーナは頑張れる原動力となった。 


そしてそんな時間もあっという間に過ぎ、これからは舞と一緒に遊ぶ時間となる。 リハビリを終え休憩を挟むことなく、悠は病室のドア付近まで足を運んだ。


「お姉さん、早く!」

「ハルくん待って」


早く遊び場へ向かいたいのか、ずっとそわそわしている彼に対しリーナはマイペースに自分のすべきことをこなしていく。 

悠の上着であるカーディガンを手に取り、病室の窓を静かに閉めた。 そんな行動をするリーナを見て、悠は思ったことを口にする。


「窓なんて、閉めなくてもいいのに」

「でも、戸締りはちゃんとしないとね」

「ここは病室だよ?」

「んー・・・。 じゃあ、この部屋にあるものが飛ばされないように」

「何だそれ」


そしてこんな他愛のない会話でさえも、笑い合えるこの環境。 昨日思い悩んでいた時間が本当に無駄なようにも感じるこの状況に、リーナの心はより軽くなった。

広場へ向かう最中も、車椅子は使わずに悠は自力で歩こうとする。 

リーナは彼の一歩後ろから付いていく形だが、日に日に歩くペースが速くなっていることにより努力が目に見えているような感じがした。 

そのような些細な進歩でさえも、嬉しく思う。


「舞ちゃん、来たよ!」

「ハルちゃん、いらっしゃい! リーナさんも、こんにちは」

「こんにちは」


遊び場へ着くと、そこには既に舞は来ており小さな子供の相手をしている。 3人は共に挨拶を交わすと、早速悠は彼女たちの中へ交じり遊び始めた。

はしゃいでいる姿は子供らしく見ていて微笑ましいのだが、悠も小さい子を相手する時もあり、その時間に見せるお兄さんのような振る舞いにリーナは心を打たれる。

色々な面を見せてくれる悠に、徐々に惹かれていった。 一方リーナは彼らの中へは交らず、広場の外からみんなを見守る保護者的立場にいた。

互いに笑顔を見せ合いながら楽しく過ごしている彼らを見ると、自然とリーナも顔を綻ばす。 すると突如、近くから名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「あの・・・。 リーナさん?」

「はい?」


ふと見上げると、そこには30代くらいのナースが神妙な面持ちでその場に立っている。 

あまり見覚えのないその方に“これから何を言われるのだろう”と疑問を抱いていると、彼女は小さな声で挨拶をしてきた。


「私、舞ちゃんを担当している者なんですけど・・・」

「あっ!」


そう言われ、リーナは咄嗟にその場に立ち上がり軽く会釈する。


「私は悠くんのお世話をしています。 いつも、舞ちゃんにはお世話になっています」


もっと言い返しがあっただろうが、あまりにも突然過ぎて同じ言葉が被ってしまった。 その様子を見ていたナースは小さく笑い、言葉を返す。


「大丈夫よ、顔を上げて。 リーナさんに、一つ話しておきたいことがあるの」

「話?」

「ここだとあれだから、ちょっとあっちへ来てくれる?」


そう言うと、リーナの承諾も得ずにこの場から離れてしまった。 そんな彼女に急かされるよう、考える間もなく慌ててリーナも悠に声をかける。


「ハルくん。 少しだけ、私ここから離れるね」

「うん、分かった。 でもどうしたの?」

「ちょっと、呼ばれただけだよ」


不思議そうにそう尋ねてくる彼に、リーナは心配をかけないよう笑顔でそう返し、ナースの後を小走りで追った。 


幸せな時間は、ずっと続くものではない。 この時からリーナは、一つの壁に突き当たろうとしていた。



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