僕が恋を、教えてあげる。

ゆーり。

小学生。

始まり①




春 朝 路上



「ふぁぁぁ・・・。 今日もいい天気だなぁ」


青い空に向かって、小さな身体を大きく使い背伸びをする。 今日から悠は6年生。 小学校、最後の学年が始まるのだ。 雲一つない天気のいい中、今日も一人で登校する。

周囲には、友達と楽しそうにはしゃいでいる小学生や、朝から恋バナで盛り上がっている高校生、

新社会人なのか腕時計をチラチラと見ながら早歩きで横を通り過ぎていくスーツ姿の大人が、悠の周りを囲っていた。 そんな彼らの中に静かに紛れ込みながら、ゆっくりと足を前へ進めていく。


来栖悠(クルスハルカ)。 身体は小柄でとても細く、誰から見てもか弱そうな少年。 実際、悠は生まれつき身体が弱かった。 運動はもちろん、走ることすらままならない。

少し走るだけでもかなりの重労働で、すぐに体力が尽きてしまう。 酷い時には過呼吸にもなったりするため、運動は原則禁止だった。 

だから体育の授業や運動会も参加できず、その間はずっと一人で見学している。 


そして数十分かけ、ようやく学校へと到着した。 だけどこれで終わりではなく、最上階にある6年生のクラスまで行かないといけないため、階段も同じようにゆっくりと足を前へ進めていく。

上るだけでも数分かけやっとの思いで6年生の廊下まで辿り着くと、タイミングがいいのか悪いのか、二人の男子がはしゃぎながらこちらへ向かって走ってきた。

彼らの存在に気付き少し避けようとするが、行動を起こそうと思った時には既に遅く、駆けてきた一人の男子と衝突してしまう。


「あッ・・・」

「おっと、悪い!」


ぶつかった衝撃でバランスを崩し、悠は自分の身体を上手く保てずその場に思い切り尻もちをついた。 

だが相手はそんな悠には気にも留めずに、適当に謝りの言葉を述べた後、なおも友達と楽しそうにここから走り去ってしまう。

突然の出来事で当然身体は追い付けず、結構な負担を負ったため、しばらくは座ったまま痛みが引くのを待った。 

そして数分後、ようやく身体が動けるようになったところで、ゆっくりとその場に立ち上がる。


悠の身体が弱いということは、先生はもちろん、学年全員も知っていることである。 だから彼がぶつかってきたのは、わざとだということにも気付いていた。

身体が弱いからといって、労わろうとはしない。 別にそれは他の人と比べていないという意味でいいのだが“自分たちとは何かが違う”というような意味で、面白がっていたずらを仕掛けてくるのだ。 

物心がついていない時まではただのじゃれ合いだと思っていたのだが、次第に物心がついてくるとわざとしているのだと気付いてしまう。

だけど悠は言い返したり、何の仕返しもしたりせず、全てを受け流していた。 

もちろん張り合える体力がないというのもそうなのだが、そもそも怒りなんてものが込み上げてこない。 悠は穏便な性格で、優しい心の持ち主だった。


教室までやってきた悠は、自分の席まで足を運びランドセルを机上に置いた。 そしてランドセルの中身を、机の中に移していく。 

いつも時間には余裕があるのだが、先程男子とぶつかってしまったせいで予定が狂い、全ての用意を終えたのは授業が始まる直前だった。 休む間もなく、当たり前のように授業開始のチャイムが鳴る。


「起立。 気を付け。 礼」

「「「お願いしまーす」」」


悠は、全てにおいて行動が遅かった。 いいように言えば、マイペースなのだ。 だがその分、心の上下もないため荒れることはない。

だから周りからどんなにからかわれようが、平穏な日常を送ることができていた。






昼休み



給食を終えると、クラスメイトは複数の友達を一度に誘いながら、楽しそうに教室を出ていく。 そして5分後には、数人しか残っていない状態になった。 その中には当然、悠もいる。 

悠は席に着いたまま、本を開き読書をしていた。 その理由はもちろん、思い切り外で遊べないから。


―――・・・みんな、楽しそうだなぁ。


教室は静かなため、楽しそうな生徒たちの声がグラウンドから悠の耳に届いてくる。 自由に走り回れる彼らのことを、羨ましく思っていた。 悠はいつも一人のため、友達と呼べる者はいない。 

“そりゃあ仲のいい友達とは、一緒に外ではしゃぎたいだろう”と考えると、自分はそれに適さないと判断し、必要以上に友達がほしいとは思わなくなった。

確かに友達が傍にいてくれれば楽しい時間を過ごすことができるだろうが、無理して何も動けない自分と付き合わなくてもいいと思った。 だから自然と、人と距離をとっていたのもある。


それに悠は運動ができない分、成績はよかった。 いつも休み時間は一人のため、その間は勉強や読書をしており知識だけは他の生徒よりも上だった。 だから全てが劣っているわけではない。


「ハルカちゃーん! また一人で読書してんのー?」

「毎日毎日可哀想ですねー! はははッ」


突然聞こえてきた、悠を非難する声。 それに反応はしてしまうが、特に言い返すこともなかった。 一度その男子の方へ目を向けると、再び手元にある本へと視線を落とす。


―――僕は女の子じゃ、ないんだけどなぁ・・・。

―――何で名前を“ユウ”にしなかったんだろう。


それに何度もからかわれては、どんどん思う視点がズレていった。 最近では名前に関して疑問に思うことがよくあり、自問自答を繰り返している。

名前の由来については、前に一度親から聞いたことがあった。 

生まれつき身体の弱い赤ちゃんが産まれたら、男の子には女の子っぽい名前を、女の子には男の子っぽい名前を付けることによって、死神は困惑しあの世へは連れて行かない、というもの。 

それが本当のことなのかは、悠でも分からなかった。






放課後



授業が全て終わり、帰りの会も終わった今、悠は家へ帰ろうと教室を出た。 

だけどこの時間もあっという間で、悠がゆっくりと昇降口へ向かっている最中には、ほとんどの生徒が既に下校している。 

これは人があまりいないということのため、安全に移動することができ助かっていた。 そしていつも通り、階段を下りようとすると――――突然背後から、クラスメイトの声が耳に届いてくる。


「おっと、ハルカちゃんごめーん!」

「えっ・・・?」


男子の声が聞こえるのと同時に、悠の身体は宙に浮いた。 そして――――


―ドサッ、ドサドサドサ。


あまりにも出来事が一瞬過ぎて、思考が追い付けなかった。 ただ分かるのは、今身体中がとても痛いということ。 そして視界がぼやけていて、前が見えないということ。 

何が起きているのか理解しようとするが、意識が朦朧としていて考えることもできなかった。 悠は――――男子に背中を押され、階段の上から転げ落ちたのだ。 

だがそれが分かるのは、数時間後のことだった。


「お、おい、悠・・・?」

「うッ、んっ・・・い、たッ・・・あッ・・・」

「嘘、だよな・・・?」

「くッ・・・はぁッ・・・」

「・・・ッ、おい、行こうぜ」


男子は複数いたのだろうか。 悠のかすかな呻き声を聞き怖くなったのか、悠を一人置いてこの場から走り去ってしまった。 

背中を押した者すらも確認できなかったが、そんな犯人なんてどうでもよかった。 とにかく今は、身体中がとても痛い。 助けを呼ぶための、大きな声も出なかった。

ずっと痛みに耐え続け、横になってうずくまりながら小さく呻くことしかできない。 


そして、数分後――――悠はそっと目を閉じ、意識を手放した。



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