第21話

アリーナホールにて。

15時55分。

桐生時雨はアリーナホールの観客席に座っていた。あと5分後にライブが始まる為か周りの客席はしだいに埋まっていき、賑わっていた。

そんな中時雨はスマホをいじっていた。

スマホを指で操作し、ニュースアプリを表示する。ニュース記事には芸能関係、近くの動物園から猿が脱走したとかそんな記事ばかりだった。

どこにも探しても廃工場の火事の記事は見つからなかった。


おかしい……。どうなっているんだ……?


時雨の中で焦りに似た疑問が膨れ上がる。

あの廃工場の火事はけして小さなものではない。廃工場自体が大きな作りをしており、周囲には被害はなくともけして無視が出来る程のものでは無いはずだ。

それに彼女はあの場所ですでに死んでいるはずだ。でないと自分が立てた計画は全て崩れさってしまう。

一体どう言う事だ!

そう思い時雨は他のニュース記事を検索し、必死に探すが結果は同じだった。

廃工場の火事の事なぞ何処にも書かれてはいなかった。

自分の中で次第に焦りが苛立ちへと変わっていく。


その時。


ブーーーーっとライブ開始を告げるブザーが会場内に鳴り響いた。

『みなさま長らくお待たせ致しました。星野リリANGEL☆DREAM間もなく開演です』

会場内でのアナウンスが放送されたあと、フッと会場内の明かりが全て消えた。

リリは死んだんだ。あの時確かに彼女を殺した。その事実は消えはしない。

だからこのアナウンス後スタッフが出てきてMCなどでリリが到着するまでの時間稼ぎをするのだろう。

まだ会場に遅れているだけと勘違いをして。

そうに決まっている!

だが数秒後。ホール内とステージ上の証明がカッ、カッと、動くと同時に明かりがついた。

と、同時に会場の天井からホログラムに似た雪の結晶が降り注ぐと共に曲が流れ、ステージ上に一人の少女が突然現れた。

オレンジのゆるくふわりとしたウェーブが掛かる髪に、黒のコサージュのカチューシャ。

アイドルの衣装を身に付けた一人のアイドル。

それは星野リリだった。

自分がこの手で殺したと思っていた少女そのものだった。


(何故あいつが生きているんだ!まさか誰かに助けられたとでも言うのか!!だとしたら……)


その姿を見て思わず驚愕し、時雨はその場から立ち上がった。

そしてハッと気づき、時雨はズボンのポケットの中から再びスマホを取り出すと画面に表示されていた時間を確認する。

時刻は16時1分。

この会場内に爆弾を設定した時間はすでに過ぎ去っている。

時雨は忌々しそうに舌打ちをし、何処からともなく取り出した掌に収まるくらいの小さなスイッチを取り出すと、一瞬の躊躇も躊躇いもせずそのスイッチを押した。

だがカチリとした乾いた音が彼の耳に空しく届くばかりで会場内には何も変化も起きなかった。


(クソっが!!)


その場にスイッチを投げ捨てたい一心を抑え、時雨は顔をしかめた。

おそらくだがリリがこの場にいると言うことはすでに警察が動き出し、会場内仕掛けられた爆弾も解除されていると言うことなのだろう。

だが短時間の間で仕掛けた爆弾が警察に全て回収する事が出来たのだろうか。

爆弾の事はリリにしか伝えてはいない。仮に警察に知られていたとしても簡単に解除出来る量では無い筈だ。

まぁ、今となってはそんな事はどうでもいい。

会場内の爆発を失敗し、リリを殺し損ねた。

だとすると自分の取るべき行動はただ一つだけだ。


まだ終わってなんかいない。まだ終わってなんか……。


時雨は唇の端を吊り上げ、小さくふっと笑った。

そして彼は再びズボンのポケットから一つの折りたたまれていた小型ナイフを取り出した。周りの観客達全員派ステージ上で歌っているリリへと注目している。

暗闇の中で彼が今取っている行動に誰も気にもとめない。だが時雨は周囲に見えないように暗闇の中、一瞬の速さでナイフから刃を出した。

そして時雨は自分の席から離れ、通路側に出るとステージ上にいるリリ目掛けて走り出した。

リリ目掛けて一直線に走る時雨に、観客席達は初め訝しむような視線を投げていたが、ある一人の観客席が時雨の手にしていた物を見た瞬間。

顔をぎょっとし、そして悲鳴を上げた。


「きゃぁぁぁぁぁ」


その叫び声が周囲に伝染するかのように周囲の人間達は「何だ!!」「え?今の悲鳴?」などと口々にそう言いながら一斉に時雨へと視線を向ける。

正確には彼が手にしているナイフへと。

誰もがそれを見た瞬間、一瞬で会場内はパニックに陥った。

観客達は一目散でその場から逃げ出すように出口を目指していく。会場は騒然とした空気へと一瞬で変わり果てた。

だけどもはや時雨はそんなものはどうでも良く、一切興味がなかった。

今は自分の計画が遂行できればそれだけで良かったのだ。


リリは自分の方へとナイフを手に駆けてくる時雨を見て思わずその場に立ち止まった。

逃げていく観客達に目もくれず時雨は自分へと迫って来る。

スタッフが酷く焦った様子でリリへと叫ぶがリリはそれに応じずに、小さく頭を振っただけだった。


自分は自分の役割を果さなければならない。

それに今彼が狙っているのはリリ自身だ。

自分がこの場から動いたらきっと他の人に被害が及んでしまう。

だから自分はここを動くわけにはいかない。

その証拠に彼は一点の迷いもなくこちらの方へと来ている。

悟は彼が自分に酷い執着心を抱いていると言っていたが、それは一体いつからだったのだろうか。

彼は昔から優しくて、だからリリはいつも彼に頼ってばかりだった。

もしも彼に頼るばかりではなく、彼と本当の意味で向き合えていたのだったらきっと今とは別のかたちになっていたのではないだろうか……。

そう思いながらリリは唇をきゅっと引き結び、そして瞳が不安そうに揺れた。


既にリリの目の前に迫った時雨は銀色の刃を、リリの胸にひとつきで刺すような勢いで彼女目掛けて突進して来た。

リリは思わず瞳をぎゅっと瞑った。


と、途端。


急に身体ごと後ろに引き寄せられたと同時にバン!!とした銃声の音がその場に轟いた。

そして続けてバン、バン!!と連続で再び銃声がした。

一体何が起きたのかわけも分からずリリは瞳を開けた。

彼女の目の前には拳銃を構えた種原悟の背中があり、リリの側にはいつの間にか新垣梨乃がついていた。

悟が対峙している時雨は先程リリを襲ってくる体制とはうって変わり、悟と距離を取りながら彼を鋭い瞳で睨んでいた。

彼が手にしたナイフは床に落ちており、彼のすぐ側の床の何ヶ所には銃弾の跡があった。

おそらく悟は時雨のナイフを銃弾によって弾き落とした直後に続けて威嚇射撃をしたのだろう。

その証拠に時雨の手の甲には微かにだが血が流れていた。

それは見るからに深い傷ではない事は明確だった。

そんな時雨へと悟は構えていた銃を下ろし、

時雨へと視線を向けたまま不敵に笑って告げた。


「やっとお出ましか。ずいぶんと長かったな」


「……種原悟……やっぱりお前だったのか……」


時雨はギリッと奥歯を咬み、憎々しげに言った。


「お前が会場の至る所に爆弾を仕掛けてくれたおかげでかなり大変だったぜ。しかもオマケに子供まで巻き込んでくれたおかげで、こっちは予定まで変更して急いで駆けつけるハメになっちまったんだけどな」


悟は平然とした口調でそう答えた。


「お前の計画は全て潰れた。だからさっさと大人しく捕まったらどうだ?」


「俺の計画が潰えた?ハッ、お前は何を言っているんだ。俺の計画はまだ終わってなんかいない。俺の本当の計画は……」


「星野リリを殺して自分も死ぬ事。いや、正確には同時刻で死ぬ事だろ?」


「!?」


その言葉に時雨は思わず言葉を失った。

それを見て悟は真剣な顔をした。


「桐生時雨お前は一ヶ月前から星野リリに対してストーカー行為に及んでいた。初めは手紙、メール等での好意に留めていたが、次第に彼女に彼女の周囲の人間を狙うようになった。それは彼女自身に自分のせいで周囲の人間に被害が及んでいると知らしめる行為だった。それは極端に言えばアイドルを止めるようにする為の脅しだった。だがしかしそれでも彼女はアイドルを辞めなかった。必要以上に強い恋慕を抱いていたお前はある考えにたどりつく……」


悟は一度言葉を切り、そして続けた。


「彼女がアイドルを止めないのなら、彼女が手に入らないのならば、彼女を殺して自分も死ねば永久に彼女が手に入る。それも誰の手も届く事はなく、永遠に彼女と二人だけだ。そう思ったお前は行動を実行に移した。しかもご丁寧にリリの初ライブの日に合わせてな」


「…………」


「あとは簡単だ。ライブ会場に向かおうとするリリを拐い、誰も使ってない廃工場で彼女を焼き殺そうとした。あの廃工場は取り壊しが決まっている場所だったが、実際取り壊されるのは少し先の話だ。運が良いことに分かりにくい場所に立っている為、まだ人が寄り付いていなかった。彼女を殺すにはうってつけの場所とも言える場所だ。そして彼女を殺した後、会場を爆破してしまえばお前の計画は全て遂行された筈だった。一見見れば愛している女を殺して自分も死ねば全て終わる計画だった。ただそこに大勢の犠牲者を道ずれにするか、しないのかの違いだけで、根本的には一緒だった」


そう言い悟は一歩足を前に進めた。


「だが、それは表向きな動機だ。実際本当の目的はお前は彼女と同時刻で死にたかったんだ」


悟の言葉に時雨は一瞬で顔色を変えた。

それを見、悟は真剣な声色で言った。


「当初の予定では、あの廃工場の火事でお前はリリと一緒に逝くつもりだった。だけどお前はリリに対して昔から執着心が強かった。リリに近づくものは例えファンでも許せなかった。だから予定を変更し、リリを先に殺して会場を爆破しょうとした。自分から彼女を奪った連中を。それと同時にあの廃工場を選んだのだってもう一つの意味があった。それは彼女の遺体発見を遅らせる為。火事の消火活動はある程度の時間が掛かる。しかもあんな広い場所なんか尚更だ。それを踏まえてお前はリリを見つかりにくい場所に彼女を閉じ込めていた」


「……………」


「それは彼女の遺体が少しでも発見に遅れる為だ。会場を爆破した後、彼女の遺体が後から発見されれば例え同時刻ではなくとも彼女と共に命を落とした事となる。お前はそう考え、実行に移した。違うか?」


悟の言葉に時雨は否定することはなく、小さく肩を震わせ、可笑しそうに笑った。


「ははは。そこまで分かってしまうとは。……とんだ名推理だよ。いまさら否定したとしてもこの状況で言い逃れなんか出来るはずないしな」


「…………」


「そうだ。全て俺がリリを手に入れる為にやったんだ!!彼女を手に入れる為、それだけの為にやった!俺は昔から彼女の笑顔が好きだった。彼女さえ隣にいてくれさえすれば俺は何もいらなかった。だけどリリは変わった。アイドルになってからアイツは俺の側から離れていった。最初はただのすれ違いだと思った。少しやって満足したらまた俺の側に戻ってくるものだと思っていた。だけど次第に売れるようになって、施設を出て行ってからリリとは会う機会は減っていった。このままでは彼女はきっと二度度と俺の傍に戻らないかもしれない。だから俺は施設を出てリリの後を追った。彼女を取り戻す為に」


「言っとくけどなお前のそれは"愛"でも"恋慕"でもなく、ただの"愛憎"と"執着心"と必要以上なまでの"固執"なんだよ。普通なら好きな奴が夢に向かっているんだったらその背中を押してやんのが普通だろうが。それを潰そうとしてどうするんだよ。それを間違っても愛だとは言わねーよ」


「煩い!!俺はずっと昔からリリだけを見てきたんだ!彼女の側にずっといた。それを取り戻そうとした。それだけだ!だけどお前達が全て壊した。あと少しで、あのほんの少しで計画が成功するはずだったんだ!全て上手くいくはずだった。それをお前達が全て壊した。絶対に赦さない。まずは先にお前から始末してやる!!!」


そう吼えると時雨は懐に隠し持っていた武器を瞬時に取り出し、それを悟へと向けた。

それは拳銃だった。

グロック17型。主に各国の国の警察などが使用している拳銃であり、今の日本ではとてもではないが手に入らない代物であった。

おそらく彼が手にしている武器はいわゆる裏ルートなどで手に入れたものだろう。

カチリとした音と共に銃口から弾丸が吐き出された。

自分の方へと空中の中を駆ける弾丸を悟は身体をずらしながら瞬時に交わした。


と、同時に。


「梨乃!」


「分かってる!?」


緊張を帯びた声音で叫ぶ悟の声に応じて梨乃はリリの身体を自分の方へと引き寄せ、そして横にずれる。

梨乃達が避けた事によって弾丸はステージの上にセットされていた小物を撃ち抜いた。

梨乃達が弾丸を交わした事に多少安堵しながらも悟は強い瞳で前を見据え、次々と襲いかかる弾丸を交わしながら、自らも時雨に向かって幾らか発砲をした。

悟が放つ銃弾は彼の肩、腕、脚などを掠める程度のものだった。

だがそれは敢えてわざと外していた。悟の拳銃の中に込められた弾丸は相手に致命傷を与えるものではなく、例え至近距離から撃ち抜かれたとしても、とても命を落とすような代物ではなかった。

彼が込めた弾丸の成分は身体を麻痺にさせるものだ。麻痺と言っても一時的の感覚麻痺のようなものに近い。

もし仮に撃たれたとしても10分、15分ぐらいですぐに身体が元通りに動ける。元々この弾丸は悟自身が独自に作り上げたものであり、彼の今手にしている拳銃もそれに然りだった。


(とは言え、やっぱりアイツ我を忘れて無茶苦茶に撃って来やがってるな……)


彼の身体からわざと狙いを外して応戦すれば凶器を手にしたことが無い人間の大半は僅かな怯みが生まれる。

だが目の前の男はそれは微塵も感じさせられなかった。

元々彼は愛しい彼女と共に自らの命を絶とうとした。言ってしまえば最初から死ぬつもりだったのだ。

そんな人間が今更自分の命の危険性何てものを考える必要はない。彼の願いはリリと一緒に死ぬ事。

ただそれだけ。

今の彼はただ無闇に暴走している。このままではリリが望むかたちには叶えてやれない。

彼女の願いを叶える為には一度彼を無力化する必要がある。

悟はダッと、床を蹴ると共にその場から駆け出した。

時雨の繰り出す銃弾を回避しながらも、時雨の方へと突進してくる悟を見て時雨は顔をしかめ、舌打ちしながら悟へと銃弾を連射した。

だが悟はそれすらもギリギリのところで交わし続けていき悟の肩をチッと、掠めただけだった。

それを見、時雨は顔色を変えながら何度も引き金を引く。


何度も


何度も


だがいくらトリガーを引いても一発の銃弾ですら目の前の男を撃ち抜けない。

それどころか今拳銃に込めた残りの弾の数ですらも把握出来ずにいた。

銃弾の予備は用意しているがカードリッジを交換しなくてはならない。

しかし今の状況でそんな余裕さえなかった。もし弾が切れてしまったらそこで終わりだ。

本来ならば当初の予定ではすぐに彼らを始末し、リリと自分の分の弾丸さえ残れば良かった。

それは少量の弾丸さえあればこと足りる筈だった。

だが種原悟がこんなに手こずる相手だったとは予想外だった。

弾丸を次々と避け、さらに撃ち返すなんて芸当は普通の人間ではありえない事だ。


……あいつは一体何者なんだ……


一つの疑問が頭の中を駆け巡ると同時に、引き金を引き続けていた拳銃からカチリとした乾いた音が自分の耳へと届いた。

それは弾が全て切れてしまった音だった。

一瞬でゾッと血の気が引くのを感じた。


その時だった。


時雨の懐に悟が潜り込み、時雨の腹部に拳銃をゴリっと押し当てると、


「悪いがこれで終わりだ」


彼は低い声で静かに囁き引き金を引いた。


「!?」


ゼロ距離での攻撃。


ドン!!! 強い痛みと衝撃を受け時雨は真後ろへと吹き飛んだ。

強く地面に叩きつけられ、身体中に痛みを感じながらもその身を起こそうとするが思ったように身体に力が入らない。


……ああ。これで終わりだ……


彼はそう思った。

あの距離で撃たれたのならば無事でいられるはずはない。

きっと自分の身体からはおびただしい赤黒い血が流れていることだろう……。


別に死ぬ事は怖くはない。


心残りが……後悔があるとしたら彼女と一緒に逝けなかったことだけ。

あの日から彼女との距離が遠く感じたあの日から彼女の笑顔が減っていた。


キラキラと輝くステージの中で彼女は笑顔で輝いていた。

だがそれは本当に彼女の心からの笑顔だったのだろうか?


もし違っていたとしたら?


そう思って計画を実行した。

なのに。

なのに。


時雨は視線だけを動かし、リリの方へと向けた。そこには今にも泣きそうな目で自分を見る彼女の姿があった。


───そんな顔をさせる為にやってきたんじゃない……───


(………お前の笑顔がもう一度見たかっただけなんだ………)


そう思い手を伸ばそうとした。

だが彼は自分の身体の違和感に気づいた。

いまだに想像した死に直面するような酷い痛みが襲って来ない。

それどころか身体中が麻痺している感覚に近い。


どう言う事だ……。あの距離で撃たれたのならば運が悪ければ即死。

そうでなくとも死に至るはずだ。

それが何故……?


時雨は必死に手を動かし、自分の腹部へと当てる。貫かれた場所には小さな穴が空いているが、腹部のからは一滴の血が流れてはいなかった。

疑問を巡らせる時雨へと無遠慮な声が飛んできた。


「残念ながらそいつは実弾じゃなくって俺が改良したオリジナルの銃弾。安心しろ死にはしねぇよ」


そう答え、悟は時雨の方へと歩み寄る。

そんな悟の姿を見て時雨は動かない身体に力を入れ、見を起こした。


「お前スゲェな。それ撃ち込まれたら長くても10分ぐらいろくに動けないぞ」


「……さっさと殺せ……」


諦め吐き捨てたように言う時雨に、彼の前に立ち止まった悟は彼を冷たい瞳で見下ろしながら静かに一言告げた。


「殺さねぇよ」


それは何処か重みを帯びた声に近かった。

時雨は一瞬押し黙り、そして口を開こうとするがその前に悟が再び口を開いた。

「お前は罪を犯した。それもけして赦されない罪で一生お前に付き纏うものだ。だけどお前は罪を償う事以前に死ぬ事を先に選ぼうとした。それは自分の罪から逃げ出す事だ」

悟は一度言葉を切り、そして続けた。


「俺はどんな理由があろうが犯罪を犯した奴をけして赦さない。それが況してや自分が犯した罪を償うことから目を背け、死ぬ事で逃げ出そうするならば尚更だ。いいか、俺はお前を殺さない。お前は生きて罪を償え、そして自分の罪と向き合え。それが今お前出来る事だ」


「…………」


そう告げると悟は真剣な表情からいつもと変わらない口調で言った。


「それにお前は死ぬ前提でここまでの騒ぎを起こして、結局のところ後戻りなんて出来ねーとか思ってんのかもしんねぇけどさ、またゼロから初めて見ればいいんじゃねぇの?罪を償いながらさ。今度は間違わないように、自分の足取りでしっかりと歩けるように。人間は何度も間違えをする。最初から間違わない奴なんっていねぇよ」


「…………」


「自分の中にあるギリギリのラインを超えるか、超えないかで変わってくるんだ。だけど今のお前にはまだ待ってくれている奴がいる。そいつの為にもう一度立ち上がって、歩いてみるってのもいいんじゃねぇのか」


「俺にはもう待っている人なんて……」


力なく時雨はそう言葉を口にした。

そんな時雨へとリリは静かな足取りで彼の前に立った。

その姿を見て梨乃は即座に動こうとするが、彼女へと悟は手で制した。

リリは彼に一歩近づき、腰を折ると感覚がない彼の手を取った。


「あなたは間違いを犯した。それはきっと赦されない事……」


そうポツリと小さく言うとリリは握っていた手をぎゅっと強く握り、眉根を下げながら、

言葉を告げた。


「ちゃんと罪を償って……それでもう一度やり直そう。今度はわたしもあなたの事を心から信じるから。頼りになるお兄ちゃんじゃなくって、怒ったり、笑ったりしながら本当の顔をお互い見せ合いながらもう一度やりなおそうよ……」


そう言い、リリは泣きそうな顔で無理やり笑った。


「あのね、今さらだけどわたし時雨の嫌いなもの、好きなものとか知らないの。ずっと幼馴染で側にいたのにこんな事も知らなかったんだ。だからね……小さな事でもいいの。昔みたいにもう一度ゼロからやり直そうよ。一緒に一歩一緒にゆっくり歩きながらさ……」


いつからだっただろうか……。

彼女に必要以上に固執し、手に入れたいと思うようになったのは……。

最初彼女が学校で虐められているのを知った時、毎日沈んでいる彼女の顔を見て彼女を助けたいと思った。

アイドルになった時だって彼女が本当に心から笑っているようには感じなかった。

本当は彼女にずっと笑って欲しかった。


……そうか……。俺はずっとただリリに笑っていて欲しかっただけなんだ……


彼の本心とも言える思いが彼女に対する強い恋愛感情が酷く歪み、結果彼女に固執し執着した。

彼女が自分の側にずっといて欲しいが為だけに。


時雨はリリの顔を見ながら眉根を下げ、少し困ったようにそれでいて少しだけ笑った。


「有難うリリ」


その言葉を聞き、リリは微笑みを浮かべながらも頷きそして彼女の瞳からは一筋の涙が頬を伝い、零れ落ちた。


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