第7話

「はぁ……めんどくせぇな……」


昼休み。

両手に大量の資料を抱えながら、悟とリリの二人は長い廊下を歩いていた。


「仕方ないでしょう。先生に頼まれたんだから」


嫌そうな顔をしながらぼやく悟に、リリは呆れたようにため息混じりで悟を嗜めた。

4限目の歴史の授業の終了後、たまたま近くにいた悟とリリの二人に、体格の良い歴史教師の西郷(さいごう)は資料と教材を資料室に運ぶように頼んだのだった。

普通だったら当然、

……何でこんな面倒い事しなきゃならねぇんだよ……

などと、思いながら上手く交わしながら断わるのだが、悟が断ったら別の生徒に頼む恐れがある。

護衛としてリリの側を離れる訳にはならない為、悟は内心仕方なくリリと共に資料室に向かっていたのだった。


PV撮影でリリが襲われてから、あれから数週間がたっていた。

あれから犯人はリリに直接何かを仕掛けてくる気配はなく、リリの初ライブに向けて着々と準備は滞りなく進んでいた。

それはまるで今まで何事も無かったかのように、それと同時に嵐が過ぎ去ったかのような静けさにも似ていた。

犯人はリリの事を諦めたのだろうか?

そう思いながら、リリは周囲に誰もいない事を目で確認し、自分の隣を歩く悟へと声のトーンを少し落としながら、小声で話しかけた。


「ねぇ、悟。犯人はもうわたしの事を諦めたのかしら……」


その言葉を聞き、悟はリリを横目で一瞥し、そして心底呆れ、何処か哀れむような顔をした。

「リリ……。お前、梨乃より馬鹿なんだな」

「なっ!?何でそうなるのよっ!!」

悟の言葉に思わずムキになりながら強く言い返すリリ。

だが、悟はそんなリリへと短い息を吐き、視線を前へと向け、そして言葉を続けた。

「あのな。普通はその逆なんだよ。いいか、最初犯人はお前に対して嫌がらせなどのメールを送り、お前の周りの人間に危害を加えようとした。でもまぁ、未遂だったけどな……」

「………」

「それでもアイドルを辞めるどころか、全くもってお前が堪えないと判断した犯人はお前自身に危害を加えようとした。犯人からして見れば痛い目にあわせた方がお前自身が理解するだろうと思ったからだ。だが、犯人の思惑は外れた。お前の護衛に付いていた梨乃が、お前を助けたからだ」

悟は一度言葉を切り、そして続けた。

「予想外の出来事に犯人がこれまでお前に対してしてきた計画が崩れる。当然焦るよな。そんな人間がお前を諦めると思うか?犯人は今は大人しくしちゃいるが、間違えなく次の手を仕掛けてくるぞ」

「………そんな……」

「どうせお前の事だから、『このまま犯人が何も仕掛けて来なかったら、もう安心かもしれないわ』とか何とか言って依頼を終わらせるつもりだったんだろ?はぁ。これだから世間知らずのアイドル様は……」

リリの口調を真似ながら馬鹿にしたように軽口を叩く悟に、リリは内心イラッとしながらも、同時に図星を指され「うっ」と思わず口ごもった。

そしてリリは悟へと軽く睨みながら言い返した。

「だっ、だって普通は大丈夫なのかなって思っちゃうじゃない!それにもうすぐライブだって控えているんだし!」

「だからだよ。それが絡んでいるから敵にとっては狙いやすくなんだよ。お前はいい加減危機感持てよな。全く……」

深いため息を吐く悟に対してリリは口を開き掛けたその時。


「リリ?」


突然。背後から声が掛けられ、リリは足を止め、後ろを振り向く。

そこには、一人の男子生徒の姿があった。

茶髪の髪を短く後ろに束ね、整った顔立ちに銀縁の眼鏡を掛け、悟よりも僅かに少しだけ背が高く、穏やかな雰囲気がある少年だった。

リリはその少年を知っていた。


彼の名は”桐生時雨(きりゅうしぐれ)”


リリの一つの上の学年であり、同時に彼女にとって幼い頃からずっと一緒にいた兄に近い存在だった。

「時雨」

「久しぶりだな。リリ」

そう言いながら、時雨は穏やかな笑をリリへと向け、二人の元へと近づいた。

「ところで、こんなところで何しているの?」

不思議そうな顔をしながら訊ねるリリに、時雨は小さく苦笑しながら答えた。

「俺は今から職員室に行くその途中。多分担任から進路希望の事での呼び出しなんだ」

そう言う時雨の言葉にリリは彼が今年受験生なのを思い出した。

時雨は昔から頭が良く、リリ自身も彼に昔はよく勉強を見てもらっていた事がある。それに時雨はこの学院では上位の成績者だ。

基本この学院では大学までエスカレーター式なのだが、希望をすれば外部受験が可能となっていた。

元々時雨はこの学院の特待生だった。

だが、噂では特待生である時雨が、この学院の高等学校には進学せず、外部受験を希望していると噂が流れていた。

当然その噂をリリは知っていた。


「そっか。今年受験生だもんね……ねぇ、時雨……」


「ん?」


リリは一瞬躊躇し、そして意を決して不安そうな表情をしながら口を開いた。


「外部受験するって本当なの?」


その問いに、時雨は少しだけ困ったような、それでいて小さな苦笑を浮かべた。

「そうだよ。それにやりたい事があるからさ」

「そっか……。」

少しだけ寂しそうな顔をするリリに時雨はわざと話題を逸らすように再びリリへと話し掛けた。

「リリ達は今からそれを資料室に運びに行くのか?」

「そうだけど?」

「そっちの彼氏も一緒に?」

少しだけからかうような口調で訊ねる時雨にリリは顔を赤くしながら強く否定をする。

「なっ何言っているのよ!彼氏じゃないわよっ!!」

「あははは。冗談だよ。相変わらずリリはからかうとホント面白い奴だよな」

小さく笑う時雨にリリは不機嫌そうにムッとする。そんなリリへと時雨は「相変わらずリリは昔と変わらないな」と、言いながら優しい笑みを浮べ、リリの頭に手を触れようとした。


その直後。


それを阻止するかのように悟は薄く笑い、それでいて何処か意味有り気に言った。


「お兄さんは、コイツとはどう言う関係?俺コイツのクラスメートの種原悟つーんだけど、

コイツの事を狙っているんだ。だからいくら昔馴染みだと言っても、コイツに気安く触らないでくれないかな?」


唐突に。

それは、ある意味爆弾発言に近い言葉だった。

その言葉を聞いたリリは驚愕のあまり口を開き、顔を真っ赤にし、時雨はキョトンとした表情をした。

そして時雨は瞳をスッと細め、リリへと伸ばしていた手を引っ込めると、悟に柔らかい表情をしながら言った。


「悪かったね……。種原君。リリとは昔からの幼なじみに近い関係で、それと一緒にコイツの兄貴の代わりをしていたんだ。その為もあって昔の癖がなかなか抜けなくってね……」

「癖?」

怪訝そうな顔をする悟に時雨は苦笑いをしながら答える。

「頭を撫でる癖だよ。リリが小さい頃泣いていた時によく撫でてやっていたからそれで……」

「もう!時雨は余計な事を言わないでいい!悟行くわよ!早くしないと昼休み終わちゃうでしょ!?」

羞恥心を感じながら、リリはその場から逃げ出すようにさっさと歩き出した。

「あっ、おい、リリ!」

早々と歩くリリの背を慌てて悟は追い掛けようと足を前へと踏み出そうとした。

その瞬間。


「桐生時雨」


「は?」

唐突に投げられた言葉に悟は間の抜けた声を上げる。

そんな悟を見、時雨は薄く笑を浮かべた。

「俺の名前。自己紹介がまだだったからね」

「そりゃぁどうも」

そんな時雨に対して悟はどうでもいいような口調で返しながら、リリの後を追う。

その時。時雨とすれ違う瞬間。


「あまり調子に乗っているとお前も殺すぞ」


囁くように、それでいて低く殺意のこもった声が悟の耳元へと届いた。

それは少なからず嫌悪感を含んだものに近かった。

普通の人間ならば、きっとそれだけで悪寒が身体中を駆け巡ったのかもしれない。

だが、悟はそれを一切感じず、またそれすらも逆に彼はふっと唇の端を吊り上げ、ニヤリとした意地の悪い笑を浮かべた。

そして彼はそのままその場を後にしたのだった。

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