第5話
「どうかな。少しは落ち着いた?」
リビングのソファーに座り、自分の目の前で紅茶が入ったティーカップを一口飲むリリに、優しく微笑みながら莉乃は言った。
「うん。有り難う。……それとごめんなさい。本当はわたしがお客さんである莉乃に、お茶を出さなきゃ駄目なのに……」
「良いよ。気にしないで。あんな事があった後だもん。まだ恐いのは当たり前だよ」
そう慰めるように言う莉乃の言葉にリリは小さく苦笑した。
あの後。
PV撮影内での事故で撮影は中断になり、まだ恐怖で僅かに震えるリリを莉乃は彼女の部屋へと連れ帰ったのだった。
部屋へ行くと莉乃はリリに一言断りを入れ、台所を借り、彼女を落ち着かせる為にお茶を入れたのだった。
リリは俯き、カップの中でゆらりと僅かに揺れる紅茶に目を落としながら、ポツリと言葉を溢した。
「ねぇ……やっぱり、アレって意図的にわたしを狙ってやったのかな?……」
そう言い、落ち込むリリに莉乃は少しだけ黙り、そして「う~ん」と小さく唸りながら、顎に手を当て、少し考えるかのように言った。
「明らかにあれはリリちゃんを狙っての犯行だと思うよ。現に照明の落下は意図的にケーブルを切ったあともあった訳だし」
「だったら、あの現場にいた誰かが犯人なの?」
不安そうに訊ねるリリに、莉乃は真面目な表情をしながら、小さく頭を振った。
「それはちょっと分からないかなぁ。あの場で証拠となりそうなものなんって見当たらなかったし。それに、そもそも犯人がリリちゃんを狙って攻撃したのであれば、犯人はあの場で簡単に証拠を残すような事はしないはずだよ」
「…………」
「でもまぁ、何にせよ」
莉乃は両手をパンと軽く叩き、真面目な表情から、にこっと笑った。
「あなたの事は絶対に、わたし達が護るから。だから安心してね」
その言葉はリリを安心させるかのような言葉であり、また同時に強い意思がこもった言葉に聞こえた。
それを聞きリリは、先ほどまで胸の中で僅かに渦巻いていた不安感が、少しずつ薄れるのを感じた。
莉乃の気づかいと、優しさを感じながらリリは唇の端を僅かに緩め、そして不安そうな顔を微笑へと変えながら、
「有り難う」
彼女へと言った。
その言葉を聞き、そして莉乃もリリへと柔らかい微笑を返した。
そして莉乃はカップを手に持ち、紅茶を一口啜った。
口の中にふわりとした紅茶の香りが広がる。
それと同時に、彼女はリリの顔をチラリと見やり、思案顔で思考を巡らせた。
(犯人の目的は何なのかしら?リリちゃんを怪我させたいだけ……もしくは殺したいのであればやり方が中途半端な気がするのよね。
何か他に目的があるのかしら……?)
そう僅かな引っ掛かりを覚えてしまう。
そして。
(まぁ、これは悟の専門になるし、わたし基本難しいこと分からないから悟に任せるかな
……)
そう思いながら、莉乃はガラステーブルの上に置いているソーサーの上にカップを置いた。
そしてふと周囲を見渡した。
リビングの白い壁と同じ色をしたオシャレで大きな棚置きがあり、その上には透明で丸い硝子の中に入った蝶の入れ物があった。
それは微かに淡い紫色の光を灯していた。
おそらくあれはインテリア用のランプなのだろう……。
莉乃自身も雑誌でしか見た事がなかったのだが、確か暗闇になるとランプと同じくらいの輝きを放ち、それ以外だと淡い光を灯すらしい。
いま女の子の間で人気の代物だ。
そしてその棚の中にはウサギの可愛らしい縫いぐるみがあり、その近くにはテレビ、壁には花のかたちをした壁時計があった。
それらを見、莉乃はリリへと訊ねるように言った。
「それにしても……可愛い部屋だね。リリちゃん一人で住んでいるの?」
莉乃がそう訊ねるのにも無理がない話だった。
現にこのリリの部屋は、広さ的に3LDKの広さぐらいあり、一人で住むには広すぎる部屋だとも言えた。
「そうよ。わたし一人でここで暮らしているわ。と、言っても暮らし初めたのってアイドルになってからなんだけどね」
そう言い、リリは少しだけ苦笑し、そして僅かに顔を曇らせた。
「それに……わたし家族なんって一人もいないもの……」
その言葉はかき消えそうに儚く、同時に彼女の寂しさを含む。
そんな声音だった。
リリのそんな言葉を聞き、莉乃はリリへと一瞬だけ寂しそうな表情をした。
それをリリに気づかれる前に、彼女は話題を切り替えるように、明るい口調で再びリリへと話し掛けようとした瞬間。
ある事に気づき、その場で大声を上げた。
「あーーーーー!!」
あまりの突然の出来事にリリはびくぅと小さく肩を震わせ、驚いた表情をした。
「急に何なのよ。びっくりするじゃない」
胸に手を当て、バクバクする心臓を落ち着かせようとするリリは莉乃へとそう言った。
そんなリリへと莉乃は真剣な表情でリリへと告げた。
「そう言えば、悟今日リリちゃんの学校に来たんだよね!」
「うん。……来たわね……」
勢いよくそう言いながら、莉乃はずいっとリリへと近づき、瞳をキラキラと輝かせながら言った。
「悟の制服姿の写メとかあるかな!あったらそれ欲しいのだけど!!」
「無いわよ。んなもん!?」
「そんなぁ~悟の他校の制服姿見たかったのになぁ~」
キッパリと言うリリに莉乃は、心底残念そうにシュンとした顔をする。
そんな莉乃へとリリは短い嘆息をつきながら呆れたような表情で言う。
「そんなの本人に送って貰えば良いじゃない。それに、あんなオタクのどこが良いのよ」
「リリちゃん、わかってないなぁ~」
莉乃はチッチと指を振りながら、瞳を閉じ、そして開くと共にどこか勝ち誇ったような顔をした。
「悟はオタクで中二臭いけど、ちゃんとした格好をしたらイケメンだし、天才的な推理力を持っているし、そしてなきより、何だかんだ言いながら優しく、面倒見が良いの!!」
「でもアイツ、二次元にしか興味ないっぽいわよ……」
「うっ……」
リリの言葉に莉乃は図星をさされ、思わず言葉に詰まりながらも、リリに必死に言い返す。
「だっ、大丈夫だもん!!わたし幼馴染みと言う立場だし、それだけで色々有利かもしれないもん!それに悟が喜びそうなアプローチとか、アタックとかしているもん!?」
「喜びそうなアプローチって、アンタ、アイツに何やっているのよ!!」
莉乃の爆弾発言じみた言葉に、リリは顔を赤くしながら激しく突っ込む。
だが莉乃は、そんなリリの言葉を聞いてはおらず、スカートのポケットから携帯端末をスチャと取り出した。
そして彼女はタッチパネルで操作し、ある場所へと迷いなく電話を掛けた。
もちろん相手は自分の愛しの幼馴染みだ。
数秒後。電話は繋がり、莉乃は花が綻ぶような笑顔と共に、口を動かした。
「あっ、悟。あのね、お願いがあるんだけど……今日の悟の制服の写メ送っ……」
莉乃の声を遮るかのようにガチャ。………ツーツー。とした音が彼女の耳へと届いた。
莉乃は携帯端末を耳に当てたままリリへと眉尻を下げながら少し涙目で、
「リリちゃん……悟から電話切られた……」
言った。
それを見、リリは再び呆れた表情で短い息を吐いたのだった。
***
数時間後。
リリから先にお風呂を借りたパジャマ姿の莉乃は、リビングのテーブルの上に沢山に広げてある、歌詞の上に眠っているリリの姿に気づいた。
莉乃はリリの側に置いてある一枚の紙を手に取り、それを見た。
それは今月彼女が行うファーストライブの当日のスケジュールだった。
ライブの時間は二時間程度のものだったが、
曲、演出、MCなど含めて時間配分が細かに記してあった。
ライブは基本アイドルにとって体力勝負だ。
だから、時間の配分はきっと欠かせないのだろう……。
そう思いながら莉乃は眠るリリの側に静かに座った。
そして眠る彼女の寝顔を見ながら、頭を優しく撫でた。
リリは……彼女は歌うことに真剣な子だ。
彼女の歌声は、まるで透き通るような歌声で、天使の歌声とさえ言われている。
だけど、それはきっと彼女自身が沢山の人の為に向けて歌っているものに過ぎないものだ。
でないと、歌と言うものは誰の心にも響かず、おそらく見向きもされない……。
だけど、彼女の歌にはそれがあった。
人を魅了させる歌声と歌を通して伝えたい何かを彼女は持っていた。
まだ数時間だけしか彼女の仕事ぶりを見てはいないが、彼女は仕事に対しても真剣で、本気だった。
事件が起きる前の今日のPV撮影で、それが感じ取れたのだ。
それだけ彼女が歌に真剣だと言う事に莉乃はわかってしまった。
また、それと同時に。
(この依頼がなかったら、わたしはこの子ときっと出会う事はなかったかもしれないな……)
そう思い、同時に一瞬だけ莉乃の脳裏に過り、浮かんだ。
それはけして消え去る事はない過去。
あの日、薄暗い研究所の中で一人床に膝をつき、俯く少年の姿を彼女は見た。
床には真っ赤な血が広がっており、少年の側には白衣を着た男女の死体が転がっていた。
少年はその死体を……自分の両親の変わり果てた姿を虚ろな瞳でそれを眺めていた。
その光景はいつもの彼から酷く遠ざかっていた。
いつもの明るく、お気楽な彼の姿とは酷く異なっていたのだった。
莉乃はその姿を見、彼へと手を伸ばし、そして一瞬、躊躇した。
胸が張り裂けそうに切なく、また彼に掛ける言葉が見つからない。
いくら探しても、探しても見つからないのだ。
いつも一緒にいた大切な彼が一瞬にして全てのものを失った瞬間―――。
言葉なんって出てくる筈はないのだ。
それでも、それでも彼女はそんな姿の彼を頬ってはおけず、彼の元へと近づいた。
「……悟……?……」
「ああ……。莉乃か?……殺されていたんだ。親父とお袋が……」
「……悟……大丈夫……?」
「大丈夫ってなにが?俺は平気だけどお前が大丈夫じゃねーだろ?……なに泣いてるんだよ……」
「えっ……?」
悟に言われ、莉乃は自分の頬に僅かに触れる。
自分でも気づかないうちに瞳から涙を流していたのだった。
そして、そんな彼女へと自嘲気味に彼は笑った。
「何でお前が泣いてんだよ……」
「………っ」
その言葉に彼女は溜まらず彼を抱き締めた。
胸の中で何かが込み上げる想いと共に、彼女は濡れた声音で彼へと囁くように言った。
「大丈夫だよ……。わたしは悟の側にいるから……。ずっとあなたの側にいるから……」
そう言いながら彼女は彼をきつく抱き締めた。
莉乃は瞳を閉じ、そして開くと共に思考を断ち切った。
莉乃はソファーに乗っていた膝掛けへと手を伸ばし、それを手に取ると瞳を細目ながら、眠っているリリへと掛けたのだった。
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