癒しの果実

琥珀 燦(こはく あき)

序章 ヨミ

『この小さな島・・・日本で言えば一つの県程度の面積の島の、

山には聖なる獣が、海には邪神が住んでいて、

目が眩むほどの太古から島民達の心に巣食い、

激しい葛藤を続けている。

僕は間もなくこの島で一生を終える。

衰弱していく姿を、君に見せたくなくて。

別れを告げて半年。

僕の体はもう手の施しようがない状態だ。

この手紙は僕の死後5年を経て君に届くようにこの島の友人に託す。

月が黒い海のあちこちに宝石のような泡粒を照らしている。

静寂は果てなく深く、不思議に甘美だ。

・・・死後に魂が行くのはこんな場所かもしれない。』


 金色、銀色、キラキラ光り揺れる波が、永遠の音楽のように闇を満たす海。

 この浜だ。間違いない。

 送り主の名が無いエアメイル。活字みたいに端正な筆跡。

何十回読み返したろう。インクが所々私の涙で滲んだ便箋。

 初恋の人、真砂からの手紙はここで書かれた。ここは彼が死んだ島。


「そう・・・僕はここで死んだんだ」

 反射的に振り向き、ぎょっとした。真夜中の浜辺で、いつのまにか隣に誰か立っている。

「ミズエ」

 眩暈がする程懐かしい響きが再び私の名を呼ぶ。

嘘だ。真砂は死んだ。彼の言葉通り、多分、この海で。

「あなた、誰?」

 返事はない。片頬を月に照らして、私を見下ろしている。

 よく見ると、顔は決して似ているわけではない。

・・・初めて会った時、まだ伸びきってなかった頃の彼の身長がこの位。

そして、思春期の彼が持っていた独特の空気が同じだと、気づく。

でも、彼は真砂ではない。現地の住民の少年。

「・・・私をここへ呼んだのはあなた? 

あの絵・・・『iyashi』を描いたのは、

・・・“スナ”ってのはあなたね。どうして私をここへ呼んだの?」

 無言のままの彼に、私は溜め息をついた。

「日本語、わからない?」

 ゆっくりと首を横に振って、彼が口を開く。

「そんなにたくさん質問されても、いっぺんには答えられない」

 ああ、やはり声が似ている。特徴のある語尾のアクセントと深い響き。

それになんと流暢な日本語だろう。

ここは観光客相手の商売でほとんど成り立っている国だから

日本語を熱心に勉強する島民が多いとは聞いているが。

「なぜ『僕はここで死んだ』なんて言うの?」

「僕がマサゴの生まれ変わりだから」

 ひどく真顔で言う彼に、私の肩がこわばった。

「悪質な冗談。不愉快だわ」

 彼は少し悲しそうに顔を曇らせ、胸に手を当てて目を伏せた。

「・・・マサゴのタマシイは、僕の中に今、在ります。

きみにもう一度会う為に。体は朽ちたけど、彼は今もここにいる」

「あなたは真砂を知っているの?」

「僕は“スナ”・・・砂だから」

 謎のような言葉を小さく呟いて目を開け、ニコリと笑い、

あるホテルの名を口にする。私が宿泊している宿の名だ。

なぜ知っているのかを尋ねる気力はもう失せていた。

「明日朝8時に迎えに行きます。この島を案内しましょう。その間に質問に一つ一つ答えてあげるから」

 ひどく嬉しそうな顔で走り出す。10メートルほど離れて振り向き、大声で叫ぶ。

「あなたが来るのをずっと待っていた」

・・・勝手な奴。そんなソフトな強引さも、真砂を思い出させる。

それに彼の名前は、真砂と同じ匂いを持って、この耳に響いた。

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