第30話 龍酵泉
次の目的地である龍酵泉に向かう道中、形の良い木の枝を見付けて足を止めた。
「栞?」
「悪い、ちょっと待ってくれ」
ホワイトフォレストの樹は魔力を含んでいるせいもあって堅く丈夫で、良く撓る。取り出した斧で枝を落とし、無駄な部分を切り整えれば理想の形に仕上がった。
「それなに?」
「俺の新しい武器、になるかもしれないものだ。スリングショットってやつだな」
「ふ~ん」
まぁ、Y字型の枝だけでは想像できなくて当然だ。あと必要なのはゴム紐と、撃ち出す弾だけ。……色々と足りないな。
「よし、行こう」
枝を背嚢に入れて、龍酵泉へと進んでいくと微かに水のにおいがしてきた。
「近付いてきましたけれど……何か変な気配も感じませんか?」
「あ~、やっぱり気付いた? 何かいるよね? まぁ、魔物だと思うけど」
龍酵泉は天然の酒が湧く泉だ。野生の生物――魔物も例外では無く、酔えば外敵から狙われやすくなるため比較的に安全な場所だと本で読んだが、ここはハティとサーシャを信じるとしよう。
「サーシャ、木に登って上から泉を確認しろ」
「りょーかい!」
俺の背を蹴って木に登ったサーシャを待つ間、髪を結えているロットーに視線を向ければ怪訝な顔を返された。
「……なんだ?」
「いや、誰かゴムを持ってないかと思ってな」
「ゴム? 髪ゴムなら持っているが、そういうのじゃないんだろ?」
「だな。少なくとも三十センチは欲しいからな」
考えながら呟くように言うと、疑問符を浮かべたハティの視線が俺の足元に注がれた。
「しーちゃん、それは?」
指された先を追えば、それは革鎧と一緒に買ったブーツの靴紐だった。
靴紐――だと思っていたそれを確かめてみれば、正しくゴム紐だった。盲点と言うか、履いた時に気が付かなかった俺が馬鹿野郎だな。これで簡易的にだがスリングショットが作れる。
「よいっ――しょ、と」
革鎧の裏側の一部を切り取ってゴム紐に通していれば、木から飛び降りてきたサーシャが俺の手元を見て疑問符を浮かべたが、その前に成果を訊こう。
「どうだった?」
「泉の周りには何もいなかったけど、水の中に何かいるかも。で、それが新しい武器?」
「まぁ、一応は」
ゴム紐をY字型の枝に固定して、一先ずはスリングショット完成。あとは撃ち出す弾だけだ。
「どうする、栞。水の中にいるならアタイの異能力で水ごと腐らせようか?」
「いや、龍酵泉の水はドワーフへの手土産にしたいし、何より龍酵石は泉の中にある。仮に泉の中に魔物がいるとすれば倒してからじゃないと依頼は達成できない。……ホワイトベアーよりこっちのほうが面倒そうだな」
「サーシャがいるから大丈夫!」
「……そりゃあ心強い。とりあえず――行ってみるか?」
ゴム紐を抜いたブーツに、地面に生えていた茎の長い草を代わりに巻き付けながら顔色を窺ってみれば、三者三様に肯定して見せた。
ハティは狼に姿を変え、サーシャは弓を手に、ロットーは異能力が付与されていないナイフに手を掛けた。俺のほうは剣針でも蔵書の武器でもなく、落ちていた石を拾ってスリングショットに挟んだ。
警戒しながら龍酵泉の前まで行けば、先が見えないほど大きな泉が広がっていた。これが全て酒らしいが、それらしい匂いはしない。
「先に依頼を済ませてしまうか?」
水面を動く影はあるが、近寄ってくる気配はない。
「俺が行こう。警戒を」
俺なら死んでも生き返るから、という枕詞は無しにして――水面に足を入れれば深さは足首までだった。
浅い。だが、感覚でわかる。おそらく十メートル先は俺の身長を呑み込むほどの深さになっているだろう。
龍酵石は泉の底に沈んでいる石のことを言う。水の中に手を入れて触れた石を取り出そうとした時――水の撥ねる音がした。
「栞、伏せて!」
陸地に倒れ込みながら転がれば、頭上を光の矢が通り過ぎた。
起き上がり視線を送れば、そこには矢が刺さった巨大な真っ白なヘビが……ヘビか? ナマズのような髭も生えているが、見た目は間違いなくヘビだ。
「たしか、こいつはグランツネック。黒に近い緑色だと本で読んだが――倒し方は知っている。ハティ、鳥になって陸地におびき寄せてくれ」
「わかりました」
鷹に姿を変えたハティがグランツネックの上空を舞って注意を引き始めたのを見て、俺たちは森のほうに退いていった。
「サーシャが前に来たときはあんなのいなかったんだけど!」
「本来の生息地でないのは間違いないが、あの色からして結構前からホワイトフォレストにいたのは確かだろう」
「栞、たぶんアタイのナイフは刺さらないと思うが……どうする?」
「陸地に上げたら俺があいつの気を引く。サーシャは目と鼻先を狙って矢を射れ。その間にロットーが尻尾のほうを掴んで腐らせてみてくれ」
物は試しだ。依頼のためにはグランツネックを倒すのが手っ取り早いし、ヘビであることには変わりがないから目と同様にピット器官でこちらの動きを捉えてくる。逃げるよりは始めから戦う気でいたほうが良い。
空中を旋回し、こちらに向かってくるハティを追うグランツネックを見て、ロットーとサーシャは散開した。
「さて――剣を二本」
真っ直ぐ向かってくるグランツネックはこちらに気が付く様子は無い。嫌な予感しかしないな。
「しーちゃん!」
わかっている。
体の前で二本の剣をクロスさせ、向かって来たグランツネックを受け止めるのではなく――受け流す!
「っ――!」
さすがは全身筋肉なだけあって、いなしただけでも体に衝撃が走る。
グランツネックの体が全て陸地に上がると、振られた尻尾に吹き飛ばされ、体が白樹に叩き付けられた。
「栞! 生きてる!?」
「っ……大丈夫だ! やれ!」
叫ぶのと同時に
背中に受けた衝撃――肺がやられたのか息苦しいが、動くことは問題ない。
サーシャの矢は目を狙うが、当たる直前に瞼が閉じられて突き刺さらない。ハティは鷹の姿のまま爪で攻撃しているがあまりダメージを与えられている様子は無い。ロットーは気を窺って待機している。
まずは巻いてる蜷局を解かないとな。
目を潰すにはスリングショットを使ってみるか。一個よりは、外しても良いように拾い上げた複数の小石を革部分に挟み込んで、グランツネックの目に狙いを付けた。
試射もしていないのに当たるかどうかは賭けだが――放たれたサーシャの矢が閉じた瞼に当たる直前、こちらも手を放した。
あ、ずれた。
しかし、矢を防いで開かれた目に、運良く小石の一つが直撃した。
身悶えするように頭を振るグランツネックを見て、目が潰れたのだと確信した。なら、もう一歩だ。
「サーシャ!」
「わかってる~よっ!」
すると、同時に放たれた二本の矢の一本が一直線に目に向かっていき瞼を閉じると、もう一本は大きな弧を描き、開いた目に突き刺さった。
その瞬間に取り出した鎖に火吹石を巻き、火を点けた。
「ハティ! サーシャ! 離れてろ!」
目を潰した今、ヘビであるグランツネックは熱を探知するピット器官に頼るしかない。
ロットーが待機しているほうとは反対に向かって駆け出せば、熱源を見つけたグランツネックが体を伸ばして追ってきた。
遠くへ逃げ過ぎればロットーが触れられなくなるから取り出した斧を振り被りながら踵を返し、開けた大口の中に放り込んだ。
追随するようにどこからか飛んできた矢がグランツネックに刺さると、血が弾けながら体を仰け反らせた。動きが止まれば、あとはロットーのターンだ。
尻尾のほうへと視線を向ければ、ロットーが触れた場所からぐずぐずと腐り始めた。
これにて戦闘終了。それを告げるように手を振り上げれば、離れていたサーシャとハティが戻ってくる気配を感じながら、手に持った鎖の先で火が点いたままの火吹石に気が付いた。
「おっと、消さないとまたホワイトベアーが寄ってくるな」
地面の土を掛けて消火しようとした時、遠くから声が聞こえてきた。
「――栞!」
「しーちゃん!」
「〝後ろ〟!」
焦ったようなその言葉に振り返ると――大口を開けたグランツネックが俺の体を噛み千切った。
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