第64話 こころ

 ミライたちが来たのはさらにその次の日のことだった。


「シロさん?ミライさん達が来てくれましたよ?」


「…」


 彼は光を失ったような目で自分の妻や父親、ミライやナカヤマのことを見ていた。


「ユウキ…」

「ユウキくん?」

「ぼっちゃん?」


「…」


 やはり、返事が返ってくることはない。


 虚ろな目でじっと眺めるばかりで表情ひとつ変わることはない、誰が来たところでなにも感じていない… 自分の妻にさえこうなのだから。


 ただ、心を失った彼だが何もできないわけではない。


 食事睡眠排泄など、習慣のようなものは意識を向けさせればフラッと動いては自ら行っていた。


 例えば、食事を前にだしてみればぎこちなく少量ながらも口に運び飲み込むし、ベッドに寝かせているといつの間にか目を閉じて眠りに落ちている、トイレも同様に前まで連れていって大丈夫か?と尋ねればドアを開き自ら意識して排泄に向かう。


 手を引くと立ち上がり相手を見ていたし、何度も話しかけると無表情ながら目を向けてくれた。


 ただ、この状態の彼に誰が誰だと判別できているのかと聞かれると、それはわからない… 当の本人は誰に対してもボーッと目を向けるだけなのだから。


 言葉を交わすことはなく、皆の言葉に反応するわけでもない。



 彼が失った物は彼だけではない。



 皆にとっても大きすぎた…。







 その日の晩、図書館の地下室に籠った長の二人とミライ達は、シロがこうなるまでの経緯や今回の事件について話し合っていた。


「詳しく教えてくれないか?」


 ナリユキの問いに、博士と助手は順を追って一から説明していった。


「実はこうなることは事前にわかっていたのです…」


「なんだって?」

「どういうことですか?」


「「予知です」」


 かばんの持つ能力のひとつ。


 “未来予知”。


 任意でコントロールしてできるものではなく、ふとした瞬間突然先の事が見えてしまったり夢に出てきたりする。

 

 その能力により先に起こることを知っていた長の二人やシロ本人は、未来は変えられると信じて可能な限り対策を練った。


 ただ、かばんの見たシロの心の焼失という未来に至る過程を知らなかった為に、結局対処しきれずに予知通りの結果が訪れてしまったのである。


「連中はユウキに何をしたんだ?」


「シロの取引きのことはシンザキから聞いていますね?」

「そのあとに連中はシロを餌にしてかばんを連れ去ったのです」


 それからの一部始終はかばんとシロだけが知っているが、とても本人達の口から話せるものではなく、長の二人も何かとてつもなく酷い目にあったのだろうと語った。


「クソ!カインドマンのやつ!やはり狂っている!」


「「カインドマン?」」


「首謀者の名前です、会ったんですよね?まぁ、そのまんまの男です…」


「この場にいないやつのことなんていい… と言いたいとこだが、やつらどうなったんだ?船はどこへ行った?」


 博士達はかばんに危害を加えた連中にシロが激怒し、全員を始末して船も沈めたことを伝えた。


 禁じられた野生開放を行い新たな力を手にしたシロは、体にスザクの炎を纏い怒りをすべてぶつけるかの如くカインドマンを灰も残さず焼き払った。

 そして船員すべてを皆殺しにして船も沈ませたシロは、朦朧とする意識の中で力の気配を感じ取ったスザク本人に救出され、図書館まで送り届けられた。


「船を…!」

「沈めた!?」


「信じられないでしょうが真実なのです」「強大な力を手にしていました、そのカインドマンとかいうやつは灰も残らなかったのです…」



 がしかし… かばんたちに待っていたのは残酷な現実だった。

 

 帰ってきたシロは気を失っていてかばんはすぐに彼を受け取り抱き締めたが、続くスザクの言葉に大きな絶望を与えられた。


「スザクが言うには、シロは何人もの命を奪いさらに人間の怨みが消えなくなってしまった自分の心を許す事ができず…」

「手にした浄化の炎という力で己の心まで焼き払ってしまったと…」


「神の力の代償か…」


「まさに浄化… 自分の暗く濁った心を害悪と判断してしまったんですね」


「そんなんあんまりや… ぼっちゃんは奥さんとフレンズさん守っただけですやんか?」


 ミライもナリユキもナカヤマも… 三人とも自分達を責めた。


 連絡は受けていたのになぜもっと早く来てやることができなかったのか、結局シロがすべて背負い彼は廃人となってしまったのだから。


「俺は、父親失格だな…」


「ナリユキくん…」


 仕方ないでは済まないが、仕方ないことだった… どうにもならないほど手も足もでないことだってあるのだ。

 力の持ち主であるスザクにでさえなにもできない状況、それがシロの心の焼失だった。


「こちらとしては、お前達の立場も気にかかるのです」

「結果的に人間に危害を加えることとなったのです… 大丈夫なのですか?」


 二人はもちろんシロのことが心配だったが、ヒトに危害を加えてしまった以上パークは永久隔離閉鎖となりミライ達の努力が無駄になってしまうかもしれない、二人はパークの為にもミライたちの今後も心配していた


「連中は非公式で上陸してたんだろ?」


「はい、シンザキくんはそう言っていました」


「ならなんとかなる」


 非公式で上陸してきた連中… ナリユキはそれならば大丈夫だと今の状況を説明した。


「ということはここに来たことにすらなっていないってことだ、どこへ行った?と聞かれても誰も答えることができない、公式には俺たちしか来ていないんだから… やつらがフレンズ達を黙らせるのになんとでもできたように、俺達も沈んでしまった連中のことなんてなんとでも誤魔化せる、検問に息のかかったやつがいたとしてもそいつにはなにもできやしない、もっとも仮にできたとしてもさせやしないがな」


 今回の件でミライ達が動き難くなることはない、ナリユキの言葉を聞いて長は安堵した。


 しかし、連中のせいで人間という生き物に偏見を持つフレンズも少なからずいるだろう。

 長とミライ達はシロのことを平行しつつも今後の自分達のあり方も考えていかなくてはならない、手と手を取り合いヒトとフレンズが協力して言葉通り友達フレンズにならなくてはならない。


 高らかに笑い笑えばフレンズ… そんな世界を取り戻すために。







「シロさん?気分はどうですか?どこか痛んだり具合が悪かったりしませんか?」


「…」


 その頃、かばんはめげずにシロに言葉をかけ続けていた… 返事が返ってくるはずのない彼に向かい、手を握り懸命に話しかけていた。


「お義父さん達が来てくれたので明日には子供達とも会えますからね?やっぱりお留守番より一緒に来たほうがいいですよね?二人ともパパに会いたがってましたから?いい子にしてるといいんだけど… 」


「…」


 彼は虚ろな目でまっすぐ前を見て、かばんの言葉にもまったく反応する気配がない。


 あんなに愛し合っていた二人なのに、目を合わせて会話することができない。

 ケンカしたわけでもお互いを嫌っている訳でもないのに、二人は見つめあいお互いに愛を囁き合うこともできない。


 かばんは辛かった…。


 とにかく辛くて辛くて堪らなかった…。


「シロさん…」


 約束通り帰って来てくれた夫。


 あの状況で顔を見れたことがどれ程安心に繋がったか、それは計り知れない。


 しかしシロはここにいるようでいない、ここにいるシロはさながら脱け殻、最愛の妻を前にしても眉ひとつ動かさない。


 彼には、もう会えないのだろうか…。


 かばんはすでに“けもハーモニー”で治せないのか?とミライ達に頼み込んでいた。


 結果は無情にも失敗… ミライが言うには、機械で作り出したけもハーモニーでは失った心の再生まではできなかったとのことらしい。


 では諦めるしかないのか?


 否…。

 

 かばんは諦めきれなかった、自分のせいで彼は野生を開放し、何人もの人間を殺させてしまった… ここで自分が諦めては彼を本当に罪人のままにしてしまう。



 すべて僕のためにやったことだ、シロさんは僕を守るために罪と罰を受けたんだ…。

 彼がしてしまったことは肯定してはいけないことなのかもしれない、それでも僕が彼のしたことを認めてあげないで誰が認めるの?


 僕はシロさんのおかげで助かったんです、シロさんが自分を許せなくても僕にとって変わらずシロさんはヒーローなんです…。


 許す許さないよりも、僕はシロさんにありがとうと言わなくちゃならない。


 でも、シロさんはもう…。



 彼女は堪らず泣き出してしまい彼の前に立ち手を取る。


「シロさん…!」


 ぐっと両手を引くと彼はそれに合わせて体を動かし床に足をつけた、そしてぎこちないながらもスクッと立ち上がった。


 立ち上がると自分よりも背の高い彼。


 かばんは一度両の手を離し、その姿に思わず抱きついた。


「シロさん… 僕が着いてます、どんなに辛くてもどんな罪を背負っても僕は怖くなんかありません!ずっとシロさんの奥さんでいます!大丈夫です、僕だけは絶対にシロさんの味方ですからね?」


 腕を彼の背中に回してぎゅうと強く抱き締め、胸元に顔を埋めて流れる涙を拭っていた。


 彼の目にはそんな彼女がどう写っているのだろうか?腕はダランと下げたままその場に立ちすくし、ただまっすぐ虚空を見つめている彼の目には…。


 そんな彼は、まるで人形のように…。


 妻を抱き返すことはない。



 いいんです。

 今はこれだけでも十分なんです…。


 抱き返してくれなくとも、こうして彼の温もりをまだ感じることができる。

 死んでしまったわけではない、彼はここに生きているんです…。


 心臓の鼓動がそれを確かに教えてくれます。

 

 


 僕はここにいますよ…? ユウキさん?







「え…?」 


 その時、不思議なことが起きていた。


「ユウキ… さん?」


 彼に動きがあったのだ…。


「もしかして、僕がわかるんですか?」


 それはとても、とても弱々しいのだが…。

 彼の両手は彼女の肩を優しく抱いていたのだ。


 視線は相変わらずなにもないところをぼんやり眺めている、しかし先程まで力なく下ろしていたはずの腕が彼女の肩に確かに手を置いていた。



「ユウキさん!」



 まだ間に合う!



 かばんはこの時確信した。


 彼の心は焼き尽くされていたわけではない、まだ残っている。


「あぁユウキさん…!そうです僕ですよ?あなたの奥さんですよ?聞こえていますか?心配しないで!一人ぼっちになんかさせませんからね!」


 かばんは嬉しさのあまりまた彼を強く抱き返した。


 彼は、彼女のことを強く抱き締めていたわけではないかもしれない、でも確実にその肩を優しく抱いていた。

 

 目も合わず言葉も交わせないはずの彼が、かばんの肩を確かに抱いていたのだ。


 嬉しさのあまりかばんの顔には数日ぶりの笑顔がこぼれ、安心したのかついウキウキとしながらまた彼をぎゅうと抱き締めていた。


「しばらくこうしていてもいいですか?エヘヘ… 子供達がいたらあまりこういうことも堂々とできませんからね?今のうちに… 二人っきりの今だけ、いいですか?いいですよね?

 そうだ!明日の朝御飯は何がいいですか?やっぱり元気のでるものがいいですか?シロさんとっても疲れてると思うから、代わりに僕ががんばって作りますね?

 それから、子供達とも久しぶりに会いますし、ちゃんと綺麗にしないとダメですよ?後で体を綺麗に拭いてあげます!明日は少しお洒落もしないと、寝癖なんてついていたらみんなに笑われてしまいますよ? 

 あ、あと… 今夜は一緒に寝てもいいですか?実はずっと一人で寂しかったんです、隣で温めて下さいね?変なことしても特別に許してあげますから…/// だって今夜は久しぶりの二人きりの夜ですよ?でも!疲れてたら無理しないでくださいね?明日は早起きするんですからね!」



 嬉しくなったかばんは返事も返らない彼に向かいまるで普通におしゃべりしてるみたいに話し掛け続けた。


 これが事件以来泣いてばかりだった彼女の久しぶりの笑顔であり、心からの喜びの気持ちだった。


 そんな彼女の嬉しそうな顔が彼に見えたか否か定かではないとこではあるが、その時心を失い無表情だったはずの彼の顔が…。



 ほんの少し… とても少しだけ。


 笑っているような気がした。







「かばん…どうしたのです?」

「上機嫌ではないですか?」


「あ、聞いてください皆さん!シロさんが僕を抱き返してくれたんです!」


「なに?ユウキが?」

「本当なんですか?かばんさん?」



 長とミライ達が地下室から戻った時、かばんは嬉しそうに先程の件を皆に伝えた。


 その話しに皆も大層驚くのと同時に喜びを表していき、かばんは子供のように彼の手を引き皆の前まで連れてくると、人目も憚らずまた幸せそうに彼を抱きしめた。



 がしかし…。



「かばん… その」

「あまり変化が見られないのです…」


「あれ…?どうしたんですか?さっきは肩に手を置いてくれたのに… ユウキさん、僕ですよ?」


 かばんの目にはまた不安が戻り、いまにも泣き出してしまいそうな顔をしていた… だがナリユキはその光景を見てあることに気付いたのだ。


「ミライさん、見覚えがないか?かばんちゃんにだけ反応するユウキ…」


「あぁ… あの時のですね?たしかあの時もかばんさんがユウキくんを一生懸命抱きしめていましたね?」


 それはシロがセルリアン化した事件の夜の話だった…。


 彼を止めたのは他でもない、妻であるかばんだ… 彼はあの時も彼女の言葉にだけは耳を貸したのだ。


「わかった、かばんちゃん?君はテレパシーが使えるな?」


「てれ… ぱしー?」


「声に出さず、心で会話するんだ?ユウキの心に直接届くように自分の気持ちを伝えてごらん?」


「やってみます!」


 かばんは野生解放でその目に光を灯すとシロに語りかけた…。



 ユウキさん?ユウキさん僕ですよ?聞こえていますか?


 また僕を抱き締めてください?僕、寂しいです…。



 するとその時彼は。


「見るのです助手…」

「まさかシロ、お前というやつは…」


「見てみなよミライさん?ナカヤマくんも」


「はい、本当に… 奇跡に感謝しましょう」

「ますやんか…」



 今度は肩に手を置くどころか、彼はかばんを文字通り抱き締めていたのだ。


 まるで優しく包み込むように…。


「あぁユウキさん… やっぱり僕のユウキさんだ… 嬉しい…」




 彼は確かに心を焼き付くしてしまったのかもしれない、でもその心は灰となっても確かにそこに存在していたのだ。


 彼の目はやはり虚ろな目で、動きもとてもぎこちなかったが…。



 虚空を見つめるその目からは一筋の涙がツーと流れ落ちていた。




 彼にはまだ希望がある。

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