夜葬序曲③

「ッッ!?」


 嗤い声が、聞こえた。


 遠くから、或いは直ぐ近くから聞こえた得体の知れないその声に、ダグラスは反射的に動きを止めて背後を振り返る。


 真っ先に目に入ったのは、周囲の闇よりも尚昏い、フードを被った背の高い人影。次の瞬間、ダグラスは自身が追い付かれたと明確に把握するよりも早く、喉元を掴まれて背後の扉に叩き付けられていた。


「が……ッ!?」


 首の後ろを中心に来た叩き付けられた衝撃よりも、喉に直接来た掴みの衝撃よりも、今更やって来た「追い付かれた」という恐怖の方が大きかった。思考が停止し、どうすれば良いのか分からずに固まっている間に、身体が浮遊感に包まれる。どうやら投げ飛ばされたらしい。一拍の間の後、扉をブチ破る騒音と共に、ダグラスの身体は何処かの部屋の中へ放り込まれていた。


「ぐ、ぉお……」


 扉をブチ破り、更に床の上を転がった時に身体のあちこちをぶつけたらしい。痛みはあまり感じなかったが、痺れるような感覚が身体の至る所に根を張っていて、咄嗟に起き上がる事が出来なかった。


 しかしここで動かなければ、行き着く先は死だ。


 恐怖と焦燥に突き動かされるように、ダグラスは倒れた状態のまま無理矢理顔だけは上げた。此処は、恐らくはリビングか。相変わらず暗くて視界は悪いが、ゴツゴツと響くブーツの音のお陰で、人影の大体の位置は把握出来た。幸い意識はハッキリしているし、痛みも特に感じる訳ではない。


 ……そして


 「……――ッ」


 それはスイッチのオンとオフを切り替えるようなイメージだ。身体の内側、無意識の底を常に流れているを知覚。そのを操って、ダグラスが常に嵌めている指輪の一つに収束させていく。


 ダグラスは拳銃など持ち歩かない。ナイフも、スタンガンも必要無い。


 何故なら、ダグラスは魔術師だからだ。


 自身が持つ魔力を、予めがインプットされている魔導具へ注ぎ込む。形を持たない魔力は魔導具を通して特定の機能と形を与えられ、この世界へ顕現する。それだけで、ダグラスは世界の物理法則を捻じ曲げて奇跡を起こす事が出来るのだ。


 道具も無しに水を凍らせたり。何も無い所から炎を生み出したり。


 或いは迫り来る敵に向かって、稲妻の槍を飛ばしたり。


「――くたばれぇッッ!!!!」


 魔力を流し込まれた指輪に刻まれた文字――演算開始の式が鮮烈な輝きを放ち、次の瞬間、ダグラスの周囲の空間に指輪に内蔵された術式陣が展開される。わざわざダグラスが演算しなくとも、定型式として内蔵された魔術式は高速且つ自動で演算を走らせて、一瞬で発動可能な状態まで持っていく。


 黒式・電磁系統第三準位『尖槍』。


 ダグラスの咆哮とほぼ同時に世界に顕現し、小規模だが雷そのものの轟音で室内の空気を揺るがした稲妻は、今まさにリビングの中に踏み入って来ようとしていた人影を狙い過たず撃ち抜いた。空気を破るような轟音の余韻の中、人影はその動きをピタリと止める。


「……」


 こんな狭い空間で電磁系統の術式を炸裂させた所為で、耳の中ではわんわんと雷鳴の名残が反響しているし、視界も(一時的なものだろうが)利かなくなってしまった。それでも目を凝らし、耳を澄ませ、ダグラスは敵の様子を確かめる。雷をマトモに喰らって生き延びるヤツなんてそうそう居ないだろうが、それでも相手が何者が分からない以上は油断は出来ない。少しでも不穏な気配を知覚すれば、即座に次の術式を放てるよう準備はしていた。


「……は、はは……!」


 足音は、聞こえない。徐々に回復しつつある視界の中でも、人影は動きを止めたその場所から一歩も動いていなかった。


 どうやら、仕留めたらしい。


 「思い知ったか、虫けらめ……!」


 死体の処理。刺客を放った者の調査と報復。女達に生き残りが居た場合はその口封じと、万が一の場合を考えて今回使用した魔導具の隠蔽も。


 やるべき事は沢山ある。そしてこういう仕事に取り掛かるのは、早ければ早い程良い。


 だが、流石に一息吐くくらいは構わないだろう。と言うか、構う構わないの問題ではない。敵を仕留めたと認識した途端、疲労とも安堵ともつかない波がドッと押し寄せてきて、ダグラスはその場で大きく息を吐き、脱力した。暴力沙汰に慣れているとは言え、此処まで背筋が冷たくなるような事態に追い込まれるのも久しぶりだ。何だかんだでに立つ機会も以前と比べれば少なくなってきているし、知らない間に衰えつつあったのかもしれない。


 だが、何はともあれ今回も生き残った。


 時間にしてはそんなに経っていないだろうだろうが、漸く段々と実感が湧いてきて、ダグラスは再び息を吐く。


 ……否。


 再び息を吐こうとした、その時――


「――……ハッ」


 が、嘲笑を漏らすように息を吐いた。


「!?」


 別の誰かだなんて、そんなものはわざわざ考えるまでもない。事実、雷槍を喰らって動かなくなっていた影は、さながら再起動した自律人形のように再び動き出していた。雷を喰らう直前と同じ、逃げるダグラスをいたぶるように、一歩、また一歩、ゆっくりと見せ付けるように近付いてくる。


「こ、このやろ……!?」


 ダグラスの周囲に同時展開された複数の術式陣の光が、室内の闇を色とりどりに染め上げる。幾重にも重なった雷の破音が、爆炎の咆哮が室内の空気を粉々に打ち砕く。一体何発の術式を発動したのか、無我夢中だったダグラスには分からない。全身の至る所に隠し持っていた攻撃用魔導具を総動員しての迎撃に対し、けれど影は、今回は怯みすらしなかった。雷の閃光も、爆炎も、奴に触れたと思った瞬間呑まれたように消失していってしまう。ゴツリ、ゴツリと床を叩く硬い音は、幾重にも重なった術式の轟音よりもダグラスの耳には鮮明に届いた。


 やがて発動した火球の術式が、発射されるよりも先にダグラスの目の前で黒に呑み込まれた。目の前にまで接近されたのだと悟った瞬間、ダグラスはこれまで経験した事の無い馬鹿力で後頭部の髪を鷲掴みにされ、強引にその場から引き摺り起こされる。


「よせ、止めろ……!」


 このままでは、このままでは本当に殺されてしまう。ブチブチと髪を引き千切られる痛みも気にならず、ダグラスはとにかく声を張り上げた。


「幾らだ!? 幾らで雇われた!? 言ってみろ、俺ならその倍は出してやるぞ!?」


 実力行使でどうにもならないなら、金で買収してしまえばいい。どこのどいつに雇われたのか分からない殺し屋でも、結局は金で雇われた稼業に過ぎない。元の報酬より遙かに魅力的な条件を提示していけば、此方に寝返ってくれる筈だ。


 事実、その言葉を吐いた瞬間、影はその動きを止めた。此方の話に耳を傾けていると直感したダグラスは、折角掴んだ生存の好機を逃さないよう畳み掛ける。


「金だけじゃない! 貴様にとって最高の環境を用意してやる! 薬か!? 女か!? それとも新しい人生か!? 何でも言え!! 俺なら貴様の願いを叶えてやれるぞ!!?」


 影は何も言わない。言わなかったが、『願い』のくだりで微かに身じろぎしたのが髪を掴まれている後頭部から伝わってきた。


 ――いける。


 勝利を確信したダグラスは、見付けた相手のを集中して攻めるべく更に口を開こうとする。


 だが、それよりも。


「……願い」


 当の影本人が、口を開く方が早かった。冥く、幽かなその喋り声は聞き取るのに苦労する程だったが、それでも影が若い男であるという事だけは辛うじて分かった。


「願い、か」


 虚を衝かれたような、思いがけないものを聞いたような、そんな声だった。少なくとも、話も何も聞かない、「絶対にお前を殺す」といった殺意を孕んだ声ではなかった。交渉の余地は十分にあると確信し、ダグラスは髪を掴まれたまま大きく頷く。


「ああ、ああ! お前の願いだ、言ってみろ! 俺が何でも叶えてやろう!」


 やはり、最終的にモノをいうのは権力と財力なのだ。例え暴力で敵わなくとも、その二つさえあれば腕力に優れる相手を従える事が出来る。もしも今この場で、ダグラスにその二つが無ければ、ダグラスの人生は此処で終わっていただろう。


 命ですら、金で買えるのだ。


 世界中の偽善者共がどんな世迷い言をほざこうと、それが世界の真実だ。自分の命も買えないような弱者まけいぬ共は、一生底辺で吠えていればいい。


 「……なら、そうだな」


 影の声は鬱々としていて、淡々としていたが、同時にどこか嗤いを含んでいるようでもあった。


「“ルーエンハイム”」


「!?」


 空気が凍った。


 反射的にダグラスは影の顔に視線を向けようとしたが、影の手はダグラスの後頭部を相変わらず万力の力で捕まえていて、ダグラスは顔を動かす事すら出来なかった。


「“ルーエンハイム”を」


「待て……待て!! お前、なんでその名前を――!?」


 咄嗟に問い詰めようとして、ダグラスは自分が今並べ立てるべき言葉はそれではない事に気付く。


「ち……違う! 待て、待ってくれ! お、俺は反対した! 最後まで反対したんだ!! 本当だ、信じてくれ! 他の奴らを止められなかった事を今でも悔い、が……っ!?」


 不意に、喉元に衝撃が来た。


 髪を掴んでいた手とは反対の手で喉元を掴まれたのだと気が付いた時には、ダグラスは何時もより少し高い所からリビングの中を見下ろしている格好となっていた。


「どうした、ダグラス・ダラス?」


 ダグラスの首を掴み、腕一本で宙吊りにしたまま、影が囁く。


んだろう?」


「――……ッ!!」


 影の頭部にあたる部分に、変化が在ったのを、ダグラスはまざまざと見せ付けられた。


 赤い、紅い三日月。此方を嘲笑い、耳元まで裂ける口元を、ダグラスは確かに知っている。


 だが、そんな筈ない。そんな筈はないのだ。『アレ』は永遠に失われた。ダグラスはこの目で確認し、そして大いにのだ。


 なのに。なのに!


 目の前の、コイツは……!


 「お、まえ、は……!!」


 ブチン、と奇妙な感覚がしたのはその時だった。何が起こったのかよく分からないが、何だろう、肩口が変に痛くて、熱い。ドクドクと、体中の血流が至る所で変になったような感覚があった。


「……あ?」


「さぁ、早く俺達の望みを叶えてくれよ。早くしないと


 再び、ブチンという音。今度は首筋だ。


「……あ……あぁ……」


 音は止まらない。痛みも止まらない。室内にグチャグチャと何かを咀嚼するような音が響き始め、ダグラスはようやく何が起こっているのか理解する。



「──あガアアアアアアアアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!?」



 喰われているのだ。肉を噛み千切られ、咀嚼されているのだ。


 ダグラスが遅れた悲鳴をあげると同時に、ダグラスを捕まえて離してくれない目の前の影が。爆発四散し、そして瞬く間にダグラスの知るリビングを真の闇の中に閉ざしてしまったそれは、まさしく『奴』の領域だ。


 周囲から聞こえてくる息遣い、囁き声、嗤い声。痛みと恐怖で啜り泣くダグラスの声を、さざ波のように緩やかに覆い隠す。塗り潰されたような黒の中に、時折現われる紅く輝く幾つものは、『奴ら』の目だ。ダグラスを取り囲み、嘲笑い、そして気紛れに数匹寄ってきてはダグラスの身体から肉を喰い千切っていく。その度にダグラスが上げる悲鳴は、何処までも貪欲な深淵に呑まれて、きっと誰にも届かない。


 イヤだ。こんなのイヤだ。ふざけるな。こんな、こんな終わり方、絶対に認めない。


 幸い首の拘束は外れていて、ダグラスはとにかくその場から逃げようと踵を返す。何処でもいい。とにかくこの囲みを突破しなければ、脱出も反撃もままならないと思ったのだ。


 だが、出来なかった。踵を返し、そしてその場から駆け出そうとしたその瞬間、足下を、ダグラスの身体は地面にうつ伏せに倒れていた。


 何だ? 何が起こった?


「……富を得た。権力を得た」


 頭上から、男の声が降ってくる。


 そう思った次の瞬間、衝撃がダグラスの背中から腹へと突き抜ける。背中を踏み付けられでもしたのだろうか。悲鳴すら上げられず、息を詰まらせて身体を硬直させたダグラスは、けれど次の瞬間、自分の身に何が起こったのかを知る事になった。


「もう、十分だろ?」


 ふわりと、自分の身体が持ち上げられる。


 ダグラスの身体を突き抜けていったのは、衝撃だけじゃなかったのだ。


 ダグラスの背中から腹へと貫通したもの。ダグラス自身の腹から飛び出し、さながら生えているようにみえるもの。


 それは影と同じく塗り潰されるような黒色をした、何かの武器の刀身だった。槍か、剣か、或いは別のモノか。影はダグラスの首を掴む代わりに、身体を串刺しにして宙吊りにしているのだ。


「が、ぁ、あああああああああああああああああああああああああ……!!!!」


 闇が蠢く。


 串刺しにされ、宙吊りにされたダグラスを嘲笑うように、沢山の紅い目がダグラスを見る。大きく裂けた三日月の口が、ダグラスを嗤う。


 抵抗など出来なかった。


 指が毟り取られ、上腕の筋肉を齧られる。首筋の肉を持って行かれ、派手に食い千切られた腹からはボロボロと何かが零れ落ちていく感覚がした。痛いのと熱いのとで感覚は瞬く間に膨れ上がり、けれどいつまで経っても臨界を超えてくれない。今の痛みを次々と塗り潰していく更なる激痛に、ダグラスはもう自分が叫んでいるのか命乞いしているのか、泣いているのか狂乱しているのかすら分からなくなっていた。


「いや……いや、だ……ッ! 助け……ッ! 助けッ、て……ッ!!」


襲い来る激痛に幾ら絶叫した所で、奴らは決して止めてくれない。寧ろその声に刺激されたように、より勢い良くかぶりついて来るだけだ。


「──ィィィィアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!!!」


 体が熱い。そのくせ寒い。


 ダグラスは今、どうなっているのだろうか?


 分からない。もう、何も分からない。


 獣達の吼える声だけが、魂に染み付いて離れない。












「………………………………………………………………………………………………」













統一暦三七六四年九月七日午前零時三四分。


まず、一人目が死んだ。


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