骨と心臓の処理について
古新野 ま~ち
第1話
太郎くんは大きくなったら綺麗なお嫁さんが欲しいと願いましたが叶いませんでした。それも仕方がありません。老骨はウエハースのような脆さで、咳してもひとり、嚔をすれば肋に罅が入り、痩せ細った白髪を思っては白濁した視界の端が歪むことしばしば。徒に死を待つ日々です。四十を越えて心臓を病み、五十を越えて咽頭を病み喘息もちとなり、六十の手前で陰嚢が腐ってしまいました。俺がこんなはずはない。
五年前に団地の裏の草陰で、泥酔して立ち小便をしたときに陰嚢が腐って落ちたのでした。万有引力です。今、あの地面には汚いドクダミが生えています。俺がこんなはずない。
俺はこんなはずなかった。咽頭を病んでからは声がでない。噯気のようなドロドロとして自然と拍の遅い声しか使えない。心臓を病んでからというもの距離のある道を歩けんくなった。俺がこんなはずない。俺は墓を買う金がない。
太郎くんは実母に末代までの恥と言われた事がありました。心臓を病む前のこと。婚姻を前提に肉体関係を結ぼうとした女性がいたのです。
姓も名も忘れられたが俺の記憶が確かやったらかんなりの巨乳やった。薄い茶色の形の崩れた小さなぶつぶつが目立つ乳首に這いよる青い血管が好ましい。腹や臍にたまる脂肪も触り心地は悪くない。あれが名前のある存在というのを忘れててさ。二の腕に芯の通った感覚があるのが許せんかった。
太郎くんは紳士たらん紳士たらんと自己啓発本にあてられて多少の鉄拳は赦されるし女は殴られることを愛と勘違いしてくれると考えていました。蹉跌でした。現実は女がヒトであったのです。
あれが目元を真っ青にしながら俺より二歳下の男とできてたんを知ったときは笑いが止まらんかった。とりあえずあれを息ができんくなるくらい首を締めて片方は焼いて海に棄ててもうた。
幸いにも女性は恐怖から海を越えた県に逃げてくれました。太郎くんと実母との縁が切れたのもその時期です。実母の最後の言葉を彼は今でも想起します。あんたなんかはよどっかでくたばったらええわ。
くたばれって言われたんは、後にも先にもあれだけ。死ねとかやったら何遍も言われたけどさ。
太郎くんは陰囊を失して以降は記憶さえ茫洋とし始めました。記憶はまるで蝋燭のようで、生きてる限り消えては固まり別の形になるようです。俺は白痴だ。通称ではその通りと言いたいのですが、語義を参照すれば否です。一般的に認知症と呼ばれるそれです。すまない。
昔日の記憶は冷えて固まっているようで、太郎くんも容易に参照できます。近々のものはドロドロの不定形で、何が何だかさっぱりです。最も硬い記憶は、人生で初めて太郎くんが生殖を前提にしない肉体関係を結ぼうとしたときのことです。
セックスやろ。もったいぶんなって。
それは太郎くんがまだ幼くて実母と入浴していた頃のことです。油揚げのような肌をした実母に比べてクラスの女の子たちは木綿豆腐くらいにはなるのでしょうか。そんな中でひとりだけ絹ごし豆腐がいたのです。太郎くんはその子と仲良くしたかったのです。太郎くんが女性に対して世間程度の価値しか見出だせなくなったのは二十四歳の新入社員として働き始めたときに同じ研修生を睡姦したときです。小学生の太郎くんは只お腹を空かした少年でした。
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