第9話 スーゴとアルバトロス
それからギョヒョンおばさまと私はお喋りしながらケーキを食べたわ。
『また、後の会合でね』と言うおばさまを送りだした後。
キッチンでお皿とティーカップを洗っている時に、私はヨシュアに貸してあげたノートを返してもらってないことに気が付いた。
ちょっと、もう。宿題があるのに! 明日は日曜日だけど、今、返してもらおうっと。
手をふいて、春物のカーディガンを羽織ると、私は外に出たわ。
さっきはまだ明るかったのに、とっぷり暮れていた。
空にはぼんやりとした春の朧月。
真っ暗な道をお好み焼き屋さんの赤い看板の光がやわらかく照らしている。
ドアを開けた途端に、酒と煙草のにおいが襲ってきた。
うっ、くさい。
席には五人の男性客が居て、赤い顔で話し合っていたわ。
あら、お客さんが少しは入ってる、良かった。
私のパパはカウンターでまだぐだぐだ居る。
もう、何杯目なのかしら。
たいした話もできないんだから、さっさと帰りなさいってのよね。酒も弱いくせに。
カウンターにいたヨシュアのお母さんのアガニが私に向かって微笑んだ。
「おばさま、ヨシュアにノートを返してもらいに来たの」
おばさまは目で頷いて、ちらりと目を上に上げた。
二階に居るのね。
店の奥に入り、私は靴を脱いで裸足で狭い階段を上る。ヨシュアの家は土足禁止なのよね。
小さい頃はよく、お互いの部屋を行き来したけど。最近じゃ、全然そんなことがなかったから私はちょっと緊張した。
静かに階段を上って、二つある部屋の奥、ヨシュアの部屋に向かう。
途中、声が聞こえたような気がして私は立ち止った。
誰かいるの?
ヨシュアの部屋にテレビはないわ。お店に一台だけ。
ラジオもないだろうし、ケイタイも持ってないし。
私は思わず、忍び足になってヨシュアの部屋のドア前まで来た。
やっぱり、声が聞こえる。
まさか独り言じゃないわよね。
私はぺたり、と床に座ってドアに耳をくっつけた。
――というわけで、ヨシュア様。なにかやはりおかしいのではないかと。
そんな声が聞こえてきた。
どこかのおじさん?
年齢を感じさせる男の人の声だった。
――オイラ、墓を嗅いだけどねえ、なあんもにおいせんじゃって。あのお墓は中身が空っぽじゃき。
もう一人の声はお兄さん、といった感じ。
珍しい、久々に聞いたわ。ダフォディルなまりよ。
マスカダイン島は五つの地方に分かれているのだけれど、そのうちの北西部ダフォディル地方の方言、しかもこれは海岸沿いのイナカ言葉ね。
ちなみに私が住んでいるここは島の北東部、ロウレンティアよ。
マスカダイン島では、ここロウレンティアが一番人口が多くて都会。
――じゃあ、死体はどこに。
あ、ヨシュアの声だわ。
――器にするのが目的ならば防腐処理をしておりますか、冷凍保存でもして隠しておるのではないかと。腐ってしまっては使い物にならない。
――家の中に隠しておるかもねえ。広そうな家だったじゃ。
なんの話をしているの?
私は気になって、そっとドアノブを回して押してみた。ヨシュアの部屋のドアは子供の時から壊れたまんまで鍵が閉まらない。
少し隙間が開いて、私は中を覗いてみる。
小さな部屋だもの。すぐそばにヨシュアのベッドがある。
ちょうどいい位置でみんなが見えたわ。
ヨシュアはまだ学ラン姿のままでベッドに座っていた。
傍らのベッドの上には猫のスーゴちゃん。
足元にはアフガンハウンドのアルバトロス。美しい毛並みの背中をこっちに向けている。
――よくやった、アルバトロス。
――墓場は不気味じゃったじゃあ。オイラああいうところは嫌いじゃき、スーゴ大先生。
……ええ。
私は、これを見てまずひとつの答えを導き出したわ。
ヨシュアが腹話術なるものを練習しているのではないか、ってね。
ヨシュアったら路上でこの芸でも披露して、小金を稼ぐ気なのかしら。でもこんな面白くない会話、ちっともウケないわよ。もっと、マシな台詞を考えなさいよね。
そこまで考えた私だけど、少し気味が悪くなった。
だって、プロ並みの完成度なんだもの。
腹話術の芸なんて、私はテレビで観たぐらいだけど、そのレベルだと思う。
それに。
私はヨシュアの口元を見た。
ヨシュアはバナナを食べていたわ。口いっぱいに頬張りながらね。
(ヨシュアの家のおやつは昔から常にバナナかアイスキャンディーかそこらへんに生えているマスカダインよ、可哀想だけど)
一体、どうやってるのよ?
私は首をひねる。
――何処に消えてしまったのか。ミゲロ殿には着任早々、気の毒ですが、もっと気張ってもらいませんと。
――間に合わんようになったら困るけえ。ヨシュアさんが死んでもうたら、オイラたち、申し訳ないじゃあ。
――こら、軽々しくそういうことを言うな、アルバトロス!
にゃおん、と猫のスーゴちゃんが鳴いて、アルバトロスの頭を引っ掻くように手を伸ばした。
アルバトロスがびくりと後ずさる。
…… ちょっと、待って。
それを見て、私は目を見開いた。
もしかして、これ、ホンモノのホンモノなんじゃないの?
私は目の前の茶番劇を疑い始めた。
これって、もしかして本当の本当にスーゴちゃんとアルバトロスが喋ってるんじゃないのかしら?
――ごめんじゃあ。でも、オイラ、ヨシュアさんの消耗が最近、激しくて心配じゃあ。授業中も、起きとれんのじゃろ?
――体調は以前に比べてどうなのですか? 他に痛みが出たところはありませぬか?
――眠くて仕方ない。痛みの場所は変わりないけど。段々、強くなってきた。
なんだかさっきから不穏な言葉ばっかり聞くわね。
ヨシュアったら、身体のどこかが悪いの?
――なあ、もし、間に合わなかったらさ、母さんに弔慰金でも教会から貰えるかな。家族葬にすると思うから、葬式代はかからないと思うけど。
――ヨシュア様、何をそのような。私たちが何としてでもあなた様に『試練』を受けさせますので。
ちょっとちょっと、何よ、何なのよ!
何を言ってるのよ!
私は思わず立ち上がり、勢いをつけてドアを押し開けていた。
「ちょっと、何を話してるのよ!」
ドアを開くと同時に叫んだ私に、ヨシュアと二匹は驚いたようにこちらを見たわ。
やっぱり、部屋の中にはヨシュア一人と猫一匹、犬一匹しか居ない。
「お嬢」
ヨシュアが大きく目を開いた。
「今、話していたわよね、ヨシュア! スーゴちゃんとアルバトロスと! 見てたのよ!」
「いや。ええと……」
ヨシュアの目が泳ぐ。
「ボク、腹話術してたヨ」
ヨシュアはミッキーマウスの声みたいな裏声を出した。
なによ、へったくそ!
「ねえ、さっきみたいに話してみなさいよ!」
私はヨシュアから目を離して足元の二匹をにらみつけた。すると。
ニャー。
ワン!
スーゴちゃんとアルバトロスはいかにも、といった感じで鳴き声を出すじゃないの。
なによそれ、しっらじらしいわね!
ムッときた私は、二匹の顔を交互に見て目を細め。
低く呟いた。
「……ねえ、今、どっちもニャー、て鳴いたわよ」
「ああっ、すまんじゃあ! スーゴ大先生!」
「馬鹿者! 引っかかってどうする!」
耳を振って狼狽えるアルバトロスに、スーゴちゃんが反射的に叱咤する。
やっぱり!
アルバトロスに狙いをつけて正解だったわ。
そろってやらかしたことに気がつき、しまった、と人間みたいに手で口を押さえるスーゴちゃんとアルバトロスに、私は眉をつり上げて仁王立ちした。
「さあ、ちゃんと説明しなさいよ! 」
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