ここから先、一切の希望を捨てよ

肥前文俊@ヒーロー文庫で出版中

第1話 そして天才は消えた

 アスレイン流剣術、門下生三万余人の頂点に立つ男。

 それがクラウドという男だった。


 三万余人もの門下生を抱える剣術流派とはどのようなものであろうか。

 王都はもちろん、片田舎でさえも、その名を知るような有名な流派であると考えて相違ない。

 となると、その頂点に立つ男とは、半ば生きた伝説のような存在と言えた。


 どのような分野にも、稀代の天才と呼ばれる存在はいる。

 剣の道を志し、一意専心に修業を重ねた剣士たちが遥か高く仰ぎ見る。

 己と何が違うのかと羨望や嫉妬を抱えながらも、憧れる存在だ。


 背が高く、手足は長い。

 俊敏で獣のように勘が鋭い。

 眼光鋭く、しっかりと目を合わせると、思わず気圧されてしまうような男だった。


 押すべきときと、退くべきときの判断がおそろしく上手で、どんな相手に対しても常に優位な間合いを外さない。

 十代の頃から神童と持てはやされ、気づけば二十歳で頂点に立った。


 田舎の剣術道場から、王都の本道場に招かれ、後は跡継ぎに選ばれるか……。

 そのような噂が経っていたが、クラウドの選んだ道は、まったく別物だった。


「冗談はよせ。お前が冒険者になるだと!?」

「そうだよ、なにか問題あるか?」

「大ありじゃ! 馬鹿なことは止めよ。冒険者などならなくとも、お前はもはや名声もある、実力もあり、そんな危険を冒さずとも師範としてやっていけるじゃろうに」


 道場を辞し、冒険者になりたい。

 ラザニア特区難攻不落の大迷宮に挑みたい。

 そう伝えたクラウドを、周りの人間は必死で留めた。

 その中でももっとも説得を続けたのは、アスレイン流の三代目当主だった。


 大迷宮は凶悪で多数の魔物、悪辣なトラップ、目をみはるような財宝と、富と危険が揃った場所だった。

 それだけに多くの人間が危険を顧みることなく、迷宮に挑み、その多くが帰らぬ人となっている。

 そして限られた一部の人間だけが、富と名声を得る。


 名剣士と呼ばれた存在も例外ではない。

 剣豪や剣聖などと呼ばれる高名な剣士も迷宮に挑み、そして帰ってこなかった。

 武力だけで生き残れる場所ではない。


 だからこそ、多くの知り合いや師はクラウドを止めようとした。

 だが、クラウドは止まらなかった。

 もはや王都にも自分が楽しんで腕を競える相手がいないのである。

 まだまだ上達できるはずだというのに、立ちふさがる壁がない。

 このまま腕を腐らせるのか。


 そのような鬱屈とした感情を晴らすには、危険な場所に飛び込むしかなかった。


「どうしても止まらぬというのか?」

「ああ。止まるつもりはない」

「ではお主を破門とするぞ。それでも良いか?」

「……くはは。破門か」

「何がおかしい!」


 憤慨する当主に、クラウドは殺気を放った。

 目に見えぬ刃が二度、三度と当主の体を捕らえ、当主の顔が青ざめた。

 今、自分がどのような目にあったのか察したのだ。

 当主ですら相手にならない。

 破門の何が怖いといえるだろうか。

 いざとなれば自分で流派を立ち上げればよいのだ。


 ゆうゆうと立ち去るクラウドに、当主は嘆いた。


「それだけの才を持ちながら、なぜみすみすと手放そうとするのだ。愚か者じゃ! お前は底なしの愚か者じゃ!」




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