気弱な彼女の小さな秘密

赤崎シアン

赤い夕陽の差し込む教室

 午後4時12分。

 3年1組の教室の窓からは真っ赤な温かい夕日が差し込んでいた。


 まあ学校の窓はだいたい南を向いていて夕日が差し込んでくるのは普通のことらしい。漫画とかドラマの演出でも何でもなくこういうことはほとんどの学校で起こるだろう。ちなみにウチの学校は若干の西を向いた南向きの窓だ。


 なんて誰に言ったわけでもない蘊蓄うんちくを披露して椅子の背もたれに体を預けて上を向く。

 体の左側が熱い。夕日が温めてくれるのはいいのだがずっと同じ方向を向いたままなのでそろそろ痛くなってくる。しかも制服が真っ黒の学ランなので服の中も熱い。

 だけど体勢を変えるもの面倒なのでそのまま上を向いたまま目をつむる。




 思い出すのはちょうど昨日の出来事。


 クラスは受験勉強だ、彼氏彼女だ、最上級生だなんだと絶えることのない喧騒が耳を通り過ぎている教室の中で彼女は僕の耳に言葉を残した。


「今日の放課後、残ってて」


 と、彼女はそれだけ言って僕から離れていった。

 しばらく僕は呆然とした後、再起動してさっきの言葉の意味を考える。


 彼女は放課後に残れと言った。信憑性は高い。彼女は嘘を言うような人ではない。多分、嘘をつけないか嘘をついてもわかってしまう人なのだろう。

 今日は残っても肩透かしを食らう確率はかなり低いだろう。


 彼女は何のために僕に残れと言ったのだろうか。彼女と仲が悪いわけではない。だが特別いいわけではない。一番最近で話したのは3日前だった。


 自分で言うのもなんだが僕はクラスでは頭のいいほうだ。クラスメイトから話しかけられることは少なくない。

 でも彼女はそういう時には話しかけてこない。僕と彼女は同じ部活――吹奏楽部――に入っていて話しかけられるのは大抵その時だ。部活の連絡が多いが。


 ダメだ。わからない。学校の勉強ができても人の心が読めるわけじゃないのだ。


 思考を諦めて意識を教室に戻した。


 12月は3年生は部活を引退して受験に向かって勉強している時期だ。

 僕はその例には半分当てはまらない。

 受験生であることは間違いない。第一志望はほど近い、割と偏差値の高い――60くらいだが――市立高校になっている。

 だが受験に対する特別な勉強はしていない。塾にも通ってはいない。勉強といっても家での宿題とここがわからないとかかってくる友人からの電話くらいだ。

 嫌味に聞こえるかもしれないがそれだけしかしていない。ゲームや読書をしているほうが多いくらいだろう。

 そんな他の人にとっては忙しい時期の大事な放課後に呼び出すとは彼女は大丈夫なのだろうか。


 外は曇っていてすっかり暗くなってしまっている。

 最終下校時刻は4時30分。今は3時50分。授業は3時半に終わっている。20分も経てば人は僕以外には誰もいなくなってしまって教室の温度が下がってきた。


 あまりに寒いのでバッグの中からマフラーを取り出す。緑と黒のチェック柄で結構気に入っている。でも一番気に入っているのは赤と紺のチェック柄だったりする。女の子っぽいので学校には持ってこないが。


 マフラーを巻いて口元まで上げる。温かい。


 その時、彼女がドアから入ってきた。窓際の自席にいる僕を見て向かってくる。


「どうした?」

「ちょっと、ね」


 彼女は少し困ったように笑う。


 わざとではないがとても似合う仕草だ。人は見た目によって性格や仕草が決まるらしい。彼女は完全にそうだろう。キレイ系か可愛い系かを誰に聞いても可愛い系と言うはずだ。


「どうしてマフラーしてるの?」

「ああ、ちょっと寒くて」

「たしかに」


 彼女が手をこすって寒そうにする。


 小動物みたいな仕草が本当に似合う。色素が薄い髪も小動物みたいな雰囲気を出している。


「それでどうして放課後に?」

「えっと……それは………」

「ん?」

「ちょっと待って……」


 彼女は目を閉じて深呼吸をする。胸が上下して大きく空気が出入りする。

 大人しく静かにして次の言葉を待つ。


「あの…………」

「なに?」

「……………」


 彼女は斜め下を向いて完全に沈黙してしまっている。


 彼女はあまり言葉を使わない人だ。人と話すことも少ないと思う。


「あの……」

「うん」


 さらに3秒ほど沈黙される。そして覚悟を決めたように僕の目を見て口を開く。


「好きです……」

「え?」

「好きです!佐伯くんっ」


 今度は僕が黙ってしまう番だった。思いもよらない言葉に固まってしまった。まさかこの時期に言われるなんて全く想像もしていなかった。


「あ、あの……」

「返事は明日でいいから!」

「う、え?」

「だから明日、またこの時間にっ」


 それだけ言って彼女は逃げるように走って教室を出ていった。


「相川さん、ちょっと……」


 伸ばした手は空を掴んだ。しかしもう彼女の姿はこの教室にはない。

 しばらく呆然として動けなかった。




 そんなことがあって今日も放課後の教室で彼女を待っているのだ。

 ついでに――ついでと言っては失礼だが――彼女への返事を考えている。


 一日考えたが返事が決まらない。少なくとも即座に断るほど悪くは思っていない。でも彼女と僕が彼氏彼女というのも想像できない。第一、彼女のことが好きなわけではない。別に好きな人がいるわけではないが。


 どうするか決めあぐねて煮え切った時、彼女は教室に入ってきた。

 僕は慌てて上を向いた体勢から元に戻る。


「あの、返事は……」

「その前に質問がいくつか」

「え?は、はい」


 彼女は戸惑ったように両手を胸の前で重ねる。


 こんな仕草が自然に、あざとく見えないのが彼女の長所だ。


「相川さんは昨日『好きです』と言ったけれどそれは『付き合って欲しい』って意味も含まれる?」

「そ、そうです」

「オーケイ。次、僕が否定的な答えを渡したらどうする?」

「ノーってことですか?」

「例えばの話だけど」

「潔く諦めます。それで受験が終わったらもう一度告白します」


 彼女はちゃんと僕の目を見て答える。嘘ではないだろう。


「なるほど。じゃあ次、僕がお前のことを異性としてどうとも思っていないのに付き合ったらどうする?」

「その時は好きになってもらえるように努力します」


 真っ直ぐと彼女の視線が僕の目を刺す。


 なかなかすごいことを言う。でもそういうのは嫌いじゃない。


「最後、受験する高校は?」

「松ヶ崎高校です」

「僕と同じだね」


 彼女は真剣な顔で頷いた。彼女も成績は悪いほうじゃない。


「わかった、返事をしよう」

「はい……」


 彼女は固くなったように動かずに僕の顔を見ている。

 僕は一度息を吸い直してから口を開いた。


「僕はお前をクラスメイトとして、人として良く思っている。でも異性としては考えたことがなかった」

「そんなに魅力ないですか、わたし」

「そういうわけじゃなくて僕が恋愛に興味がなかっただけ。僕の知ってる限りだとお前のことを好きな男子は2人このクラスにいるぞ?」

「佐伯くんに好きになってもらわなきゃ意味がないです」

「それはありがとう。一日考えたけど異性としてもいいと思ってる」

「そう、ですか」

「それで告白の返事だけど……」

「はい……」


 彼女が不安そうに僕の目を見る。捨てられた子犬のような目だ。

 僕もきちんと目を見て返事をする。


「好きかどうかはわからない。でも付き合ってもいいと思う」

「それって……」

「オーケイってこと」


 途端に彼女の暗い表情が解けていって満面の笑みに変わる。


「本当に?」

「本当」

「夢じゃないですよね?」

「ああ。夢じゃない」


 彼女は今にも泣きだしそうな顔をしている。そんなに嬉しかったのだろうか。


 彼女の喜びは僕にはわからないけれど、とてもいいように思える。


「まさか佐伯くんと付き合えるなんて……夢みたいです」

「だから夢じゃないって」


 僕の頬まで緩んでしまう。


「こ、これからよろしくお願いします……」

「こちらこそよろしく」


 彼女の目からは今にも雫が落ちそうになっている。

 右のポケットからタオルハンカチを出して相川に差し出す。


「涙、拭いて。泣くほど嬉しいのか?」

「はい、まさか、オーケイしてくれるとは思っていなかったので……」

「ちょっと嬉しいかな」


 すると相川は少し怒ったように目を細めて僕を見上げる。


「ちょっとじゃなくてもっと嬉しくして見せますからっ」

「……それは楽しみだ」


 相川は目に残った涙を拭ききってハンカチを返してくれる。

 そして少し赤い目で真っ直ぐに僕を見る。


「高校、受かるといいね」

「お前が落ちるなよ?」

「佐伯くんも油断大敵だからね?」


 お互いに睨み合った後どちらからでもなく同時に吹き出した。


「ははっ、僕も頑張るよ」

「ふふっ、絶対に一緒の高校だよ?」

「ああ、約束だ」

「約束ですね」


 彼女が小指を差し出してくる。

 僕も小指を出し相川の小指に絡める。


「「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます、指切った」」


 同時に指を切って笑い合う。


「久しぶりにやったよ、これ」

「わたしも」

「じゃ、帰ろうか」

「はい」


 僕らは階段を下りて昇降口まで下りていく。

 なぜか気まずくなって会話がなくなってしまった。

 昇降口で靴を履き替えて外に出る。外の冷気が頬をかすめていく。


「相川はマフラーしないの?」

「え……?マフラーは持ってないです……」

「寒くない?」

「ちょっと寒いかも……。佐伯くんは手袋はしないの?」


 相川は昇降口でベージュ色の手袋をつけていた。

 髪の色と似ていてよく似合っていると思う。


「手袋は持ってないな。ポケットに突っ込んじゃうから」

「危ないよ?」

「そうだな」


 正門に着いて互いに違う方向を向く。


「じゃあ、また明日」

「はい、また明日」


 手を振って離れていく相川。僕も手を振り返してそれからは振り向かずに真っ直ぐに進んでいった。




「ただいま」


 誰もいないのにいつもの癖で言ってしまう。

 リビングには行かずに階段を上って部屋に行く。

 制服を脱いでハンガーにかける。

 机に置いてある部屋着に着替える。


 今日は母さん早く帰ってくるかな?

 今日は何を作ろうかな?

 お風呂も沸かしておかなきゃ。


 僕はベッドに身を投げ出す。

 布団の柔らかさが心地いい。

 目に腕を当ててため息をつく。


 相川と付き合う、か……。

 楽しくなりそう、だな。


 自然に笑みがこぼれた。


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