第1章「平凡な世界」
第1節「ある一日(前編)」
私は考えていた。
人は、何故犯罪を行うのか。
私はずっと考えていた。
人は、何故他人を殺すのか。何故他人の物を盗むのか。何故他人を犯すのか。
私は不思議だと思っていた。
人間は何故"悪いこと"をするのか。"悪いこと"だと分かっているなら、しなければいい。
私は少しひねくれて考えたりもした。
人間は"悪いこと"を創っているのだ。正確に言えば、その行為が"悪いこと"だと設定しているのだ。だから、"悪いこと"をした人、"悪人"というのは、でっち上げなのだと考えたりもした。
しかし後で考えた。
結局、"悪いこと"とわかっていても、人間はそれをやるじゃないか、と。
そして私は気がついたのだった。
人間とは何者か。
※
2045年4月。
どこにでもある普通の公立高校に進学するという彼女の選択は、ほとんどの少年少女たちの考えと全く同じであった。とりあえず高校に、とりあえず大学に。とりあえず就活をして、なんとなくいい企業に入る。そういう普通の、ごく一般的人生の、一つの通過点。
雪の通う高校――「第2高校」という、全く飾り気のない名前――は、それなりに進学実績のいい学校である。近年は優秀な教員が多く配されている。そしてありがたいことに、この高校は雪の家から徒歩で15分のところにある。電車やバスに乗る必要もない。実はそこが一番の決め手であった。
中学校の三者面談の際、雪の担任教師は、この何を考えているかわからない、しかし非常に成績優秀な生徒をどう扱うか図りかねた。それは以前、
「この高校なんてどう?偏差値的に合ってると思うんだけど」
と、某超有名私立高校を勧めてみた際に、
「嫌です」
の一言で拒否された挙句、
「先生は、生徒の経済状態も把握されずに面談なさっているのですか?」
と手厳しい言葉を食らった経験があるからに他ならない。
ただありがたいことに、この三者面談では、雪の保護者として同席し、そしてついに沈黙に耐えかねた施設長の
「この子の行きたいと思うところに行かせてやりましょうよ」
の一言で全てが丸くおさまった。
そのとき雪は
「面談の意味なかったですね」
と頬杖をつきながら言い
「だいたい、15歳にもなって自分の人生を他人と議論する必要なんかないんですよ…」
と続けたという。
雪は、ごく普通の少年少女たちとは全く違う。それは確かに施設育ちであったり、物心ついたときから両親がいないという環境のせいもあっただろうが、明らかに、生まれながらの"素質"によるものが大きい。周囲の大人たちはこの早熟な少女に戸惑いと苛立ちを感じることが多かった。
切れ過ぎるナイフは嫌われる。
雪自身は、なるべく平凡な生活を送りたがっている。しかし、なかなか周りはそれを理解してくれない。それはおそらく、本人も半ば意図的に行っている、冷たく突き放した言動に原因があるのだろう。
こんな雪であるが、友達がいないということはない。
さっきから隣でうるさく喋っている男子生徒、和田浩樹は、中学以来の友達である。
「なあ雪!部活は何にする!?やっぱり軽音楽部か!」
「帰宅部」
「なー軽音楽入ろうぜー!あ、ベース弾きたいだろ!?」
「お前、人の話を聞いてないな。ていうか私はベースなんか弾いたことはない、やる気もない」
「なんだよ、黒髪ロングのくせに」
「…言っている意味がよく分からないが」
友人は貴重である、と雪はしっかりと理解している。くだらないやり取りをできる友人は、特に。
「だいたい、あんた楽器なんて弾けないでしょ」
前の席にすっと座りながら会話に入ってきたのは、宮前綾野。彼女も雪の友達である。
「うるっさいな!新しいことにチャレンジをしようと…」
「はいはい、どうでもいい」
綾野とは小学校以来の仲。中学校では、ずっとこの三人で固定されたグループだった。浩樹はよく"両手に花"とからかわれ、その都度「花は噛みつかない」と返し、そして綾野に殴られていた。
「そろそろ帰ろうよ」
と綾野が切り出した。いい加減浩樹のお喋りにうんざりしていたこところだ。まあ、どうせ帰り道も途中まで付き合わされるのだが。
「うん、帰ろう」
「おいおい、部活見に行かなくていいのか」
「どうせ入らないんだから、いいでしょ」
億劫そうに雪が答えると、
「そりゃそうなんだけど…」
すると、なにか思いつたように顔を上げて
「いや!でも体験入部とかやったら案外ハマってやる気出るかもしれないじゃないか!ほら、チア部が体験入部やってるらしいし行ってみようぜ」
「チアって…お前は男だろ」
「いや、雪がやるんだよ」
「なんで」
「チアリーダー姿が見たい」
と言った瞬間に綾野の拳が浩樹の頭に叩きこまれた。
「痛ってえ!」
「アホか。帰るよ」
「ていうか私だけなの?綾野は見たくないの?」
「え、綾野は別にいい」
二発目の拳が飛んだのは言うまでもない。
浩樹と綾野は家が少し遠いのでバスで登下校している。学校最寄りのバス停まで他愛無いやり取りをしつつ二人を送った後、雪は少し遠回りして家まで歩いていた。なんとなく、歩きたい気分だった。普段あまり通らない旧市街を通る。
あの二人とは3年前も同じようにふざけあっていた。気の置けない友。だが…。
信号が赤になった交差点で立ち止まる。雪は漠然とした不安を感じていた。何かを何処かに置き忘れてしまったかのような感覚。歩けば歩くほど、体から何かが抜け落ちていくような…。信号が青に変わっても、雪は歩きだせなかった。
変だ、と心のなかで呟いた。何かがおかしいのだ。確かに悪い予感が有った。しかし、はっきりとそれを掴めないでいる。これはなんの不安だ?何を忘れたというんだ?色褪せた掲示板のポスターは文字が読み取れない。1台通り過ぎた軽自動車は、ガソリンエンジンの骨董品で窓ガラスは曇っていた。俯けば、足元のアスファルトは軽くひび割れていた。
「なんで…こんな世界に…」
自然と出た独り言。何か考えて出た言葉ではない。
厭世感?安っぽ過ぎはしないか。彼女に対して、そんな言葉は。
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