九十九藻屑・②

中川さとえ

家がない ということ。

家がないということ。

それは夜がないということ。ちがった。夜はちゃんと来る。

けど眠ることはできない。危ないから。

眠ってしまうが一番危ない。危ない。

盗られる、喰われる、殴られる、殺られる。まだまだある。危ないこと。

例えヒトやモノたちの隙をかい潜って生き延びれても、自然は必ず迂闊なやつを見つけ出して、噛みつき、踏みつけ、せせらに笑う。

家がないということは、決して眠れない夜が来るということ。決して休め……どうでもいいか。そうだな どうでもいいや、そんなこと。

まだ日は出てる。今日はまだ夜まで少し時間がある。どこかで少しうとうとしたいな、できるかな。

ベンチがある。

あそこいいかなあ。

だめだ、おっさんが座りにいった。

こっそり、歩く、歩く、歩く。誰にもみつからないように隠れるんだ。

……匂いがする。ああいい匂いだ。

あ!あれは、花壇だ。花壇だ、花が咲いてる。

誰もいない?誰もいないか?ああ…いい匂い。

沢山吸い込もう、誰かに見つかる前に。…見つからなきゃいい。見つからなきゃいいんだ。見つかりませんように。

いい匂い。これ、何て名前なんだろう。じいさんならわかるだろな。

たくさん吸おう。いっぱい吸って…、

「こらぁっっ!」

まずい…!

石が飛んできたか?ひとつ、またひとつ。当たるもんか、そんなへろへろ。

いいさ、進もう。

…なんかくたびれるなあ。

今日は全然休めない、ずっと、ずっと、ずーっと歩いてる。

暗くなったらもっとずーっと歩き続けないといけない。交差点、縁石、剥がれたタイル、割れたアスファルト、出っ張ってる看板。倒れかけてる自転車、開いたり閉まったりするパチンコ屋のドア。開くたびに飛び出すうるさい音。ここってなんであんな音出すんだろう。ヘンな音。ヘンに加えてデカ過ぎるし。中はみんなじいさんだらけなのかなあ。じいさん、音聴こえてなかったしな。

……そうか。違うとこ行ってみてもいいのか。どこに居たって全然構わないんだ。そうだった。

なんか気の良さそうな兄ちゃんかおっさんか、かっこいい姉さんか、そんなトラックてか車にさ、もぐりこんでさ、

……だめだな。すぐバレるよな。下手したらそこで、殺されるかも。でも乗れたらいいなあ、そしたら夜でも寝れる。車の中なら大丈夫。朝になってさ、初めて見る知らないところは、すごく綺麗なところかもしれない。

……また匂いがしてきた。花じゃない。油だな、揚げ物だ。揚げ物。

商店街に入りそう。

避けよう。めんどくさいから避けよう。

女の子たちとか、おばちゃんとか、こどもとか。イヤじゃないけど、めんどくさい。めんどくさい。

あれ、ココ、ちっさい店があったのにな。なんか平たくなってるぞ。店消えたんかな。消えたんだ。

おばあさん、いたような気がしたけどな。なに屋さんだったけか。半分開いてるけど薄暗くて、なかになにがあるのか、形だけぼんやりあるようなないような店でさ、ヒトの気配ない全然なくて。

でもいたよなあ、おばあさん。ひっそり、てさ、奥の方だけ見てた。や、見てなかったのかな。外には全然知らん顔だったあのおばあさん、どうしたのかな。どうしもしないか。居なくなったんだ、たぶんそれだけ。それだけなんだろう。

あ~あ、ここで休憩してもいいかな、平たいアスファルトなだけだし。白いラインで囲いがあったり、ヘンな金物あったりするだけ。この自動販売機の後ろ辺りなんか、ほらほっこり日だまりになってて、なんかいい感じ。ちよっとだけならうとうとできそう。

「おい!」

なんだ??行きなり汚い足が飛んできた。

当たるもんか!お前になんかオレは蹴られたりしない。

「こんなとこにいたらダメだぞ!」

うるさい、うるさい、うるさい!キライだ、おまえらみんな消えてしまえ!

ああ、ほんとに今日はイヤな日なんだな。

「大丈夫?」

なんだ?コドモ?。見てたのか。ほっとけよ。

「蹴られたかと思った。」

蹴られねーよ。オレ、すばやいんだ。

「あそこで寝たら危ないよ。」

え?

「あそこ、駐車場だから。うっかり寝てたら轢かれるよ。」

そうなのか?

「知らなかったの?」

うん。おばあさんの店があったよなー、て思った。

「あ、そうだね。あったね。…クリーニング屋さんだったかな。もうやってなかったみたいだったけど。」

そっか。おばあさんどうしたのかな。

「それはちょっとわかんないな。」

そっか。そうだな。

……お前、なんでオレと喋る?

「…え?なんでっ…て?」

オレと喋るのはじいさんだけだ。

「あ、そうなんだ。」

最もオレも喋んなかったけど。

「へえ。」

うん、喋るとさめんどくさいこと多いじゃん?

「あ、まあ、そら、そうだね。めんどくさいこと増えたりするする。」

な!だからさ喋んないようにしてたんだ。じいさん以外とは。

「成る程ね。」

そうさ。

「ね、名前なんていうの?」

知らない。

「え?マジで?」

じいさんはオレのことネコ、ネコって呼んでた。

「あー…」

可笑しいか?それっておかしいことなのかな?

「あ、いや、どっちかってったら、おかしい、よりアリガチ、かなあ。」

ふうん?

「おじいさんと住んでるの?」

ううん、もう住んでない。

「へえ。そうなんだ。」

うん。じいさんもういない。オレはオレだけ。

「…ふうん。」

お前、すごいキレいな顔してる。

「え?!そうか?」

うん、つるつるでさ、すべすべで、すごくキレいだ。

「あ。そっちな。…ま、そりゃおじいさんと比べたらシワもシミもなくてな。」

うん、とってもキレいな顔だ。ずっと見ていたい。

「ふふ。とりあえずありがと。キミもすごいキレいだよ、特に目とか。」

じいさんもそういってた。

「そうか、それさらほんとのことだよ。」

…お前ほっぺたになんかつけてるの?

「あ!……やっぱわかる?」

うん、それつけてんの?

「それがつけてるんじゃないんだ。」

そいつはグレーのマスクを外して言った。

「いつの間にか出てきたんだ。」

困ってる?

「あ、今はもうそんな困ってない。…これどんな風に見えてる?」

んとな、ふわふわでなんかすごくいい感じだ、いい匂いしてるし。

「あ、匂いはね、いい匂いのクスリ貰ってね、それさっきつけたからだと、」

ううん、そいつは元からスゴイいい匂いだよ。

「そうなの?匂いは、全然わかんなかった。」

それ、要る?

「え!や、要るか要らないかなら、…要らないけど?」

オレ、それ吸っていい?

「…吸えるの?」

うん、吸いたい。

そいつがすっとほっぺを差し出したから、吸っていいんだな、と思った。

だからオレは、そのほっぺにちよこんと乗ってる薄いピンクの柔らかいやつに、近付く。オレの鼻先と唇がほとんどそいつにつきそうで、つかないそこで、そのピンクをちゅっと吸い上げた。ピンクはシュワシュワっと嬉しげにオレの中に入って融けた。

「あ、ありがとう。」

呆気にとられるか、呆然か、あ、おなじことか。とにかくそいつはそんな感じでオレにそう言った。

どういたしまして。

「すごい助かったよ。」

そうなの?

「うん、これでマスクで隠さなくてもいい。」

でもそいつまた出てくるよ。

「…!そうなの?」

うん。そいつはさ、エネルギーの塊だから。また溢れたら出てくるよ。

「…マジか。」

出てきたらまた吸っていい?

「!それはすごい嬉しい。けど、キミ具合とか悪くならないの?」

ならない、お前のそれはキレいなエネルギーの塊だから、汚れっぽいやつのエネルギーのと違うから。

「よ?汚れっぽいやつ?」

うん、ふつーにお前らに飛び出すニキビとかの。

「あー、…成る程なあ。」

オレもエネルギーいるからさ、吸わせてくれたら有難い。

「あ、なら、全然吸って、頼むわ。」

うん、まかせろ。

「うち、どこ?送るよ。どこいったら会えるかも知っておきたいし。」

なんだ?こいつ。

なんだ?なんでドキドキする?でも、いわなきゃ。

オレうち無いんだ。

「…おじいさん、いなくなった、て言ってたね、」

うん。じいさん居ない。

「……。」

オレずっとじいさんと居た。じいさんはいつもオレのこと触るんだ。ゆっくりゆっくり触るんだ、よしよし、よしよし、て。ねこ、ねこ、て。愛して愛して愛するんだよ。そしたらこの世界でもお前は生きて行ける。

「ほう。」

ある日目を覚ましたらさ、じいさん動かなかった。オレ随分待ったんだけどな。やっぱり動かなくて。オレそれからも随分待ったんだよ。けどさ。

「…うん。」

じいさんは動かなくて、そしたらある日知らないヒトがきて、いっぱいきて、

「…それで、どうした?」

オレ隠れて、それから逃げた。なんか怖かったから。

「うん。」

で戻ってみたら、何も無くなってた。じいさんも家だったとこも。

誰かが全部持っていっちゃったんだ、きっと。

「じゃあ、いま家ないんだ?」

うん。だから夜は寝れない。歩いてないと危ない。

「……。」

するとそいつは丁度オレたちが伸びをするような感じで言ったんだ。

「うちくる?」

!…いいの?

「うん。たぶん大丈夫。」

そうなの?そうなのか?

「たださ、うち家族いるんだ。」

ああ、そうだよな、お前コドモだしさ。

「だから、上手いことやってほしいんだ。念のためにね、」

あ!どうしたらいいか、わかるような気がする。

こうかな?

オレは正座ぽく座って両手をちんと、揃えて首をちょっと曲げて言ってみた。

「なーーー。」

「カンペキ。当面それで、やってみて。」

うんわかった。

「家族のみなさん、どうせキミのコトバ分かんないかもしれないんだけどね、でも一応同じDNA持ってるから。」

うん用心する。

「じゃあ、決まり。」

そいつはひょいとオレを抱き上げた。

抱かれるのは久し振り。

なんか震えそう。ヒトの手だ。ヒトの胸だ。あったかい。あったかい。

じいさん、オレこいつと行ってもいいか。オレ行っちゃうな?

こいつの手はスベスベで少しも引っ掛からないから、触られてても全然痛くないよ。じいさん。

こいつはオレを愛してくれるかな。

「あそこ、曲がったらうちだよ。」

その家にはちゃんと明かりがついている。

「ただいま。」

戸を開けたら、中から揚げ物の匂いがしてきた。

じいさん、じいさんの好きな揚げ物の匂いがしてるよ、オレがんばる。がんばるね。

あんた学校行かなかったの?ていいながら女のヒトがでてきた。でもすぐにオレに目が止まった。

あらあ、て。

オレがんばるよ。

愛して愛して愛するよ。

お前はとってもキレいだから、オレはずっと恋することにする。

ね?てオレを抱くお前を見上げたのに、全然わかんないみたい。

女のヒトと名前がどうのとか言ってるし、奥にもまだ誰かいるみたいだし。

…今日のごはんはコロッケなんだ。じいさん好きなやつだよ。

オレがんばるね。








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