第57話

 少しどんよりとした曇り空の下、研究所から出てすぐの地上にあかり達は集っていた。その中には、普段外に出る姿を全く見せないクランの姿も確認できる。


「それじゃあみんな、準備の方を進めておいてくれ。おそらく奴がこちらにくるまであと三十分程だろうが……私がなんとか引き伸ばす」


「あの、本当に一人で大丈夫なんでしょうか……?」


 クランが立てた作戦の中では、ベルアが到着する前に反撃のための態勢を整えるという手筈となっている。しかし今の状況ではそれ行うための時間がとにかく足りず、このままでは不充分な状態からかつ、作戦を実行するまでもなく真正面から対峙する事態に陥ることは明白だった。

 そこでクランは、自らがベルアと対話を行って時間を稼ぎ、その時間を有利な状況を作るための猶予に当て、万全の状態で戦いを始めようという策を立てた。

 しかし明里の言う通り、造り出したクラリスやエステルやリリアと違ってクラン本人は非力であり、ましてや明里が出会った時のような装備も無くほぼ丸腰同然のクランに、明里は強い不安を覚えた。


「なあに心配するな。いざとなったら逃げる手段は用意してあるし、その時はエステルにでも助けてもらうさ」


「カシコマリマシタ、マスター」


 クランの顔には、自ら危険に飛び込んでいるというような緊迫は無く、むしろそんな状況さえも難なく越えられるという余裕さえ見えた。


「……わかりました」


「死なないでください、ご主人」


 明里の後から、クラリスの主人を心配する言葉が投げ掛けられた。しかしその声色には不安のような負の要素は殆ど無く、主人を信じるというクラリスなりのエールが籠められていた。


「心配するな、私はそう簡単には死なんよ」


 そう皆に言い捨て、クランはゆっくりと後ろを向き、右手を上げて軽く手を振りながら、一人廃墟同然の家電量販店の中へと向かっていった。

 クランを見送ってから間もなく、四人の視線は明里へと集中する。初めて自ら願い出た戦いを前に、そのお願いを皆に託した張本人の言葉を待っていた。

 当の明里も、協力してくれた感謝の言葉を皆へ向けようと一瞬考えたが、この時間がない現状で今はする必要はないと、一瞬目を閉じてから軽く息を吐き、再び目を開いてから信頼に満ちた瞳のまま口を開いた。


「お礼は……終わった後で言います。皆さん、よろしくお願いします!」


 明里は頭を下げずに胸を張って、協力してくれた感謝の意を込めて依頼の言葉を再び向けた。


「勿論だ、共に行こう明里」


「了解シマシタ、明里サン」


「借りは、全部、返さないとね」


「クラリス様を傷つけた者は許しません」


 一人一人に戦う理由を持った明里達は、それぞれに受けた傷を抱えて、一度蹂躙された既知なる怪物と戦うための準備へと赴いた。

 その様子を、一足先に移動していたはずのクランがこっそりと遠くから見守っていた。


(余計な心配をする必要は無さそうだな)


 いざという時の為に、ギリギリまで進捗を見守り、それから中へ向かおうと考えていたクランだったが、そのような余計な不安は全て吹き飛び、自らの役目に集中するように改めて意識を取り直した。


「さて、時間稼ぎのついでに色々と聞かせてもらうぞ、異界の悪魔」


* * *


 首都上空、新たに召喚石を撒き終え灰色の空の下を飛ぶベルアは、一直線に明里達が住まう場所へと向かっていた。

 ベルアは一度も研究所を訪れたことはなく、ましてや入り方や入口すら知らなかった。しかし、クラリスと明里から引き出した記憶から、その場所を大まかに把握し、さらにはその場所が明里達の拠点であることも確信していた。

 前日のクラリス相手に精神を弱らせられず強気のまま攻撃を中断させられた上、逃がしてしまった事に対してはらわたを煮えくり返ったままのベルアは、時間を置いて多少は頭は冷えたものの、それでも内に秘めた怒りの炎は燃え上がったままだった。


「このままでは終わらせねえからな。とっとと殺すよりも徹底的に痛めつけ、苦痛に溺れさせたまま殺してやる」


 逃がしたその瞬間は嬲り殺すのを止めてとっとと殺すという考えにシフトしていたが、時間が経ったために、ひたすら虐げた末に殺したいという欲望が再び沸き上がっていた。


「さあて、だいたいこの辺りだったか」


 二人から読み取った記憶の中には、当然ながら上空から見た光景の記憶は無い。そこでベルアは、自らの視界の中に入る情報と記憶が一致するポイントを探り当て、それを頼りに研究所の場所へと移動する。

 確実にたどり着くならば、明里達と出会った場所へともう一度向かい、前日の記憶から逆算して移動するのが確実だったが、ベルアはそれを面倒臭がって行おうとはしなかった。

 ベルアは今、研究所の真上に建っている家電量販店の廃墟を真上から見下ろしている。目的地にたどり着いたまでは良いものの、現在明里達がまだ研究所にいるのかどうかまでは知らない。


「……居ても居なくても関係ねえか。とりあえず上からぶっ壊しちまえば――」


 ベルアは、引き出した記憶から研究所には必ず誰かが留守番のために最低一人が残ることも知っている。そこでベルアは、廃墟ごと真上から膨大な魔力を放ち、根城を全壊しない程度に破壊してから反応を確かめようと考えた。

 早速ベルアが廃墟の真上を陣取ろうとしたその時、生命探知の能力によって視界の中に写る光が一つだけ見えた。

 その光は、廃墟の屋上で一つだけ輝いており、かつベルアが一度も見たことがない物だった。


「誰か居やがんのか?」


 その光が誰の物かは見当もつかないが、明里達の根城にいるならばその関係者であろうと考えたベルアは、翼を羽ばたかせてその見知らぬ人物がいる屋上へと飛んでいった。

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