第7章

第32話

 突如明里の周りに広がる空間。周囲には誰もおらず、小さい火や瓦礫が積み上がっている。雲は流れる気配もなく、空は夕焼けに暗さを加えたかのような色をしている。

 そんな奇妙な空間を明里は一人歩き続けていた。


「誰もいない……おーい! クラリスさーん! エステルさーん! クロムちゃーん! リリアさーん!」


 いつも一緒に行動し、暮らしている者達の名前を大声で叫んでみるも、反響も無く返事が返ってくる様子もない。


「どこなんだろここ……」


 宛もなくふらふらと歩き続けていると、後ろから突然足音のような、地面が一瞬擦れる音が聞こえる。

 明里は右手に力を入れ、警戒しながら振り向く。


「クラリスさん!」


「大丈夫ですか明里殿?」


 目の前に姿を現したのはクラリスだった。鎧を身に纏った金髪長髪の女騎士は、心配そうな顔で明里を見つめて右手を差しのべる。


「よかった、早く他のみんなも探して――クラリスさん?」


 待ち侘びた相手の手を握り、すぐにでもその場から移動して他の皆を探しに行こうとした明里。だが、引っ張っても押してもクラリスが動こうとせず、さらに握った手が、固定されているかの如く離れないことに気付く。


「あれ、どうしたんですかクラリスさん? さ、早く行きましょうよ?」


「大丈夫デスか明里殿?」


 流石に様子がおかしいと思った明里は、クラリスが立つ方向に向き直して顔を見る。

 クラリスの表情は出会ったときの心配そうな表情から変わらず、喋る言葉も録音された音声のように繰り返しているだけのように思えた。

 変化として見られたのは、言葉と口の動きにだんだんとズレが起き始めた上に、その声がノイズ混じりになり始めている事だった。そのとても人間らしい容姿からはあり得ない現象に、クラリスがいつにも増して人形的に見えた。


「大丈夫ですか!? 誰かに何かされたんですか!? だったら今からでもどうにか修理して……!?」


「大丈夫デスカ明里ドの? ダイ丈夫deスカ明リdノ? daイジョウブdスkaかrdノ? #*iジ&-@#:s@(明里/@no?」


 今現在の不可思議な状態に、何があったのかを身体を揺らしながら問いただしたその瞬間、明里を握っていた右手からクラリスの皮膚が徐々に燃え始める。

 同時に、声に混ざっていたノイズがさらに酷くなり、喋っている内容の節々がギリギリ聞き取れるかどうかという所にまで悪化していた。


「何これ……どうなってるの……? どうにかして止めなくちゃ……しっかりしてくださいクラリスさん!!」


 右手が封じられている状態では成す術も無く、ただ強く身体を揺らしてクラリスの名前を叫ぶ他無かった。

 燃えていく皮膚は顔にも及び、その後には人間の物とはほど遠い金属の骨格が現れる。


「しっかりしてください! 動いてください!」


 必死に叫び身体を揺らすも、クラリスは全く動く気配がない。

 そして全身に炎が回り燃え尽きたその時、ゆっくりと背後に倒れ始める。


「ダメ……倒れちゃダメです! クラリスさん!!」


 クラリスを失いたくないという恐怖から、明里は追いかけるように左手を伸ばし支えようとした。




「クラリスさぁあぁっっ!!??」


 ソファーから勢い良く起き上がった明里は、その時様子を見るために顔を覗いていたリリアの額に思いっきり額を激突させ、スーパーボールのように再びソファーに跳ね返った。

 正面から激突されたリリアは、何事もなかったかのように平然としており、心配そうな表情で明里を見つめる。


「大丈夫ですか明里様?」


「ぅぅぉぁぁぁ……!!」


 人工皮膚で覆われているとはいえ、生身の人間が金属で作られた骨格に正面から激しく衝突して普通にしていられる筈も無く、明里は額を両手で押さえて両足をじたばたさせながら、絞り出すように呻き声を出して悶え苦しんだ。


「あれ、何か、あったの?」


 後方から明里の強烈なリアクションが聞こえ、早朝ネットサーフィンを楽しんでいたクロムが、テーブルの中の体勢を仰向けにして様子を伺う。


「はい、なんだか明里様がうなされてるようでしたので、心配になって顔を覗いていたら突然起き上がって……」


「それで、激突、したの?」


 目を細めてジッと悶える明里を見つめる。余程痛かったのか、先程まで眠っていたことを感じさせない程激しく動いていた。


「とりあえず、おでこ、冷やそうよ」


 重い腰を上げて冷凍庫から氷を取り出そうとキッチンへ向かう。キッチンでは、エステルが三人分のちょっと豪華な手作りの朝食を作っている最中だった。

 朝食への期待を流し目でキッチンに残しながら、手に持った氷を明里の下まで持って行き額にそっとゆっくり当てる。


「冷っったああぁぁ!!?」


 ひりひりとした痛みが残る額に直に氷を当てたために、刺激的な冷たさが明里を襲いかかる。明里は思わず、叫びながら鯉のように飛び跳ねた。


「クロム様、せめて布か何かを通して当てた方が良いかと……」


「あっ、そっか、ごめん、明里さん」


 ゴーレム基準のやり方を直接人間相手に行ってしまった事に気付き、やってしまったと心の中で軽い冷や汗を掻いて、クロムは反省した。


 額の痛みも治まり、朝食のためにクロムと一緒にテーブルで待つ明里。しかしまだ違和感が拭えないのか、右手を額に当てて軽く優しくさする。


「うう……まさか起きていきなりあんなことになるとは思わなかったよ……」


「事故、みたいな、もの、だから、仕方、ない」


「申し訳ありません明里様……」


 少し落ち込んだ表情で、リリアは明里に頭を下げて謝罪する。


「ううん、リリアさんは私を心配してくれていたんですから、リリアさんは何も悪くないですよ」


「うん、事故、だよ、事故」


「クロムちゃんは別」


「ちぇー……」


「しかし、あれから長いこと気を失っていましたね。それでいてうなされている様子も見られましたし、大丈夫ですか?」


「はい、ちょっと嫌な夢を見ちゃったくらいで……」


「…………」


「朝食ノ用意ガ終了シマシタ。只今オ持チシマス。」


 先程のハプニングを三人で振り返っていると、キッチンからエステルの調理終了の報せが聞こえる。

 チラッと作業の様子を見て匂いを覚えていたクロムは、期待に心を躍らせて頬の力を緩める。

 気を失ってから長いこと眠り続け、前日の食事が抜きになっていたも同然だった明里は、漂う甘く香ばしい香りに腹を鳴らし、無意識に口の端から涎を少しだけ垂らしていた。

 エステルと手伝いのリリアの手で、人数分の二品の朝食が運ばれてくる。

 一品目はスイートコーンから作られた冷製コーンスープ。濃厚な黄色い見た目で表面に散らされたパセリ、随所に見える形を残したコーン、スープの中心に添えられた少量のコーンフレークがまた食欲をそそる。

 二品目はエステルが早朝から仕込みを行い作られた、大きめの焼き立てクロワッサンに切り込みを入れ、その中に瑞々しいレタス、手作りハム、スライスされたプロセスチーズを挟んだクロワッサンサンド。エステルの計算された調理時間と行程の調整により、まだクロワッサンは温かく、ほんのりと食欲をそそる甘い香りが期待を増幅させる。

 その二品に加えてコップに運ばれたのは、果汁100%の手搾りりんごジュース。紙パックのりんごジュースを切らしてしまい、仕方なくエステルが素手でりんごを握り搾った物だった。

 朝食が運び終え、テーブルの上に全てのメニューが揃った光景に、明里とクロムは目を輝かせた。


「おいしそう……いただきます!」


「いただき、ます」


 二人は手を合わせて軽く一礼をし、早速クロワッサンサンドに手をつける。

 明里はそれを横から、クロムは山の頂点のような先端部分から口に運ぶ。一口噛んだ瞬間に、焼き立てクロワッサンの表面の軽いクリスピーな食感と音が五感を刺激する。


「ん……んん~~! おいしい!」


「すごく、おいしい……」


 焼きたてで温かいクロワッサンに挟まれた、正反対に冷たいプロセスチーズとハムとレタス、相反する温感が口の中で遊びを起こす。軽い表面の食感とモチッとした生地から溢れる甘味が、チーズのコクと塩気、ハムから滲み出る肉の旨味を尖らせつつ包み込み、一つの強大な旨味となる。それらを音と瑞々しさでレタスが引き締めた。


「こっちはどうかな……」


 二人は続けてスプーンを手に取り、冷製コーンスープに手をつける。

 明里は一枚、クロムは欲張って三枚コーンフレークを乗せながら軽く掬って口に運ぶ。スイートコーンの甘味と牛乳の乳脂肪分が融合した優しい濁流が、スープの一口で冷やされて神経を尖らせた舌に鋭く突き刺さり、舌の上に旨味が拡がっていく。

 スープ単体の旨さだけでなく、まだスープの水分を吸っていないコーンフレークのサクサクとした音にも心地いい食感と仄かな香ばしさ、身が詰まったコーンの野菜としての食感も重なり、スープの美味しさをさらに増大させた。


「~~!! 冷えたスープってこんなに美味しいんですね!」


「あたしも、こっちの、世界、じゃ、食べた、こと、なかった。とても、おいしい」


「アリガトウゴザイマス」


 初めて体験したとても美味しい料理に二人の口と手はどんどん進み、幸せそうな表情をもたらした。

 二品を食す合間に飲んだ手搾りりんごジュースも、搾りたて特有の粗い舌触りとさっぱりとしたりんごの甘さが重なり、二人の舌を潤した。


「ごちそうさまでした!」


「ごちそう、さま、でした」


 とても美味しいエステルの手作り料理に、二人は夢中になってあっという間に食べ終わってしまった。


「あーおいしかった……もっと食べたいくらいだよね!」


「あたしは、あと、五個、くらい、食べたい」


「あはは、さすがに食べすぎだよ」


「アリガトウゴザイマス。ソレデハ、片付ケ二移リマス」


 いつも通りの無表情のまま一礼をし、そのまま淡々と食器類をキッチンに運んで水洗いを始めた。


「むー……こういう、時に、エステル、さんの、無感情、なとこ、寂しい」


「確かにね。ちょっとは笑顔になったりしても」


「あの一礼と言葉が、エステル様なりのお礼の意思表示なのだと思いますよ」


 少しだけエステルの淡々とした態度にちょっとした不満を漏らす二人に、リリアがそれなりのフォローを加える。


「なるほど……そういえば、クラリスさんはあれからどうなったの?」


 気を失ってからの情勢を何も知らない明里は、それからのクラリスの現在の状態を二人に尋ねる。

 自身を庇い、ボロボロの火達磨になってしまったクラリス。いくらロボットであるとはいえ、原型も怪しいほどに壊れてしまったとなっては、可能性が残されているとしてもその不安は拭いきれない。


「クラリスさん、再起不能、ではない。けど、状態、結構、酷くて、時間、かかりそう、だって」


 少しだけうつ向き、神妙な面持ちで現状のクラリスの事を話すクロム。

 それを聞いた明里は、一瞬落ち込んだような暗い表情を見せつつもホッと安心したような一息をつく。しかしそれでも、明里の表情にはどこか陰りが見えた。


「よかった。完全に壊れたわけじゃないんだ……直る……のね」


「クラリス様は、明里様を勇敢に庇って一撃を喰らいました。しかし、クラリス様は後悔していないと思われます。あれだけ必死に飛び出して護りに向かうような相手が無事だったんですから、本望だと思われます」


「……そう、なのかな」


「はい、クラリス様をよく知る実の妹ですから、信じてください!」


 設定上血の繋がっているだけの造られた姉妹の言葉とはいえ、クラリスの行動は間違いではなく望んで行った物だという実の妹の言葉に、明里の心は少しだけ救われたような気がした。


「……ありがとう、リリアさん」


 明里は、リリアに食事の時とは違うどこか柔らかで複雑な笑顔を見せた。


* * *


 クラリスがいない今、ほぼ毎日行われていた外への視察兼パトロールを誰が行うか、そしてまずはどこに向かうかという疑問が浮上する三人。

 その時、明里の中に一つの気になる事象が浮かび上がる。


「そうだ! ちょっと確かめたい事があるんですけど、良いですか?」


「あいつが、いる、コンビニ?」


「あっ、分かった?」


 だいたいそんなこと見当が付くという意味を込めたような溜め息を吐き、クロムはちょっとだけ距離を明里寄りに詰める。


「孝太郎、さん、だっけ? 安否が、気に、なってる、のと、あそこに、いる、人達が、大丈夫か、知りたい、でしょ?」


「なんだか心を見られてるみたい……それもそうなんだけど、リリアさんも紹介しておきたいなって」


「その……孝太郎様というのはどのような御方なのですか?」


「えっと、見かけによらず優しいいい人……かな?」


 割と特徴的な人物のためどういう説明をすればいいのか一瞬困ったものの、その中から適当そうな言葉を絞り出す。


「そうですか、明里様のような方がそう仰るのならば、優しい方なんでしょうね」


「よし、それじゃ、一先ずの、行き先、決定だね。早速――」


「おおっと君達、ちょっと出かける前に話を聞いてもらいたい」


 部屋の各所から、スピーカーから通したようなクランの声が聞こえる。明里とクロムは部屋の中を一度見渡した後で、リリアと共に調整室の扉へと視線を移した。

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