第19話

「ただいま……ええっ!?」


「只今戻りま……??」


 研究所の入り口のドアを開けた瞬間に明里は目を見開いて驚き、クラリスは頭の上にハテナマークを浮かべた。

 入り口のドアから真っ直ぐ歩くとたどり着くテーブルとその後ろの壁に密接したソファー、そのテーブルの周りがポテトチップス等のスナック菓子の袋と、飲み終えたジュースの缶で散乱しているのである。

 そのゴミの中心には、壁から伸びた充電ケーブルに繋がっているノートPCがある。この散らかりきった元凶その主は、テーブルの下に身体を入れてうつ伏せかつだらけたポーズでくつろぎきっているクロムだった。


「あっ、おかえり、二人とも」


「えっ、クロムちゃ……えっ、何これは……」


「ああ、ごめん、明里さん、これが、あたしの、一番、くつろげる、過ごし方」


「な、なんと……ぐうたらな……」


 足を一定のリズムでばたつかせ、左手でコンソメ味のポテトチップスを頬張りつつメロンソーダで流し込む。右手はノートPCのタッチパネルや接続されたマウス、キーボードの操作に当てられ、スナック菓子の油分からはしっかりと守られている。

 その堕落した姿は、純白のワンピースを着た綺麗な髪を持つ少女の姿からは想像も出来ないものであり、二人は昨日のクロムの姿からは想像もつかない程の大きすぎるギャップに、一歩も動けない状態になっていた。


「明里さん、一枚、食べる?」


「あ、うん……ありがとう」


 明里は流されるままに手渡されたポテトチップを口に運び、ゆっくりと顎を動かす。その様子を見て、クロムはにこにこしている。

 ここでクロムが何かを思い出したかのようにノートPCの操作を始める。


「そうだ、そういえば、二人に、見せたい、もの、あった」


「ん、どうしたんだ?」


「うん、これ」


 ノートPCを180度動かし、画面を二人に見せる。そこにはネットニュースの記事が表示されており、見出しには『都内にてドラゴンの目撃情報が多数。証拠写真も殺到』の文字とユーザーから提供されたと思わしき写真が記載されていた。


「これって……」


「ドラゴン、あたし、達の、世界、でも、危険。もし、出会ったら、気をつけて」


 明里はネット上の記事を詳しく読み進めていくと、その中にモンスターについて気になる記述を発見する。

 ドラゴンが通り過ぎた後に、必ずと言っていい程に、別のモンスターが襲ってきたという情報が付随していた。


「クラリスさん、これってもしかして」


「なるほど、妙にモンスターとの遭遇が多いことと何か関係があるのかもしれんな」


「ん? 何か、あったの?」


「実は……」


 二人は今日の外出で起こったこと、妙に遭遇するモンスターが多かったことをクロムに説明する。

 何度も頷きながら話を聞いていたが、途中から疑問符を浮かべるような表情になり始め、考えを巡らせるように唸りだす。


「ドラゴン、通り過ぎた、後、何かが、現れる、初めて、聞いた」


「そうなんだ……」


「今日、ドラゴン、見てない、よね? だとしたら、関係、あるか、どうかも……」


「確かに、そうだよね……」


「他ノ場所デ現レタモンスターガコチラヘ移動シテイルトイウ可能性モアリマス」


「あれ、エステルさん! もう大丈夫なんですか?」


「ハイ、状態ハ良好デス」


 修理を終えて再起動したエステルが横から話に割って入り込む。修理後も綺麗な姿勢で、瞬きもせず無表情のままを貫いている。

 散らかり放題のテーブル周りを見たエステルは、空になった菓子袋や空き缶を一個ずつ小さく丸めて集める。


「そっ確かに他のとこからって可能性もあるよね」


「他ニモ、既ニ一度通リ過ギタ後トイウ可能性モ」


「うーむ……埒があかないな」


「何か、因果、関係は、ありそう、だけど、今は、考えても、仕方なさそう」


「確かにそうですね……手がかりも少なすぎますし」


「うん、あたしは、また、何か、あったら、伝えるね」


 そう言うと、クロムはノートPCの画面の向きをテーブルの方向に戻し、今度はチーズ味のポップコーンとりんごサイダーを口に含み始めた。

 部屋中にポップコーンのカリカリとした食感の音が響き渡り、その音に釣られたのか、明里の腹の虫が鳴き始める。


「あっ、そろそろ夕飯の時間。クランさんも呼んだ方がいいかな?」


「マスターニツイテデスガ、マスターカラノ伝言ガゴザイマス」


 エステルは明里達がいる方を身体全体で向き、口を開いて動きを止める。

 すると、エステルの口からクランの声が聞こえ始める。どうやらメッセージのために録音された音声のようだ。


『やあみんな! これは私からの伝言だが、少しの間研究やサプライズのための調整で籠りきりになりそうのので、どうしても呼ばなきゃいけない時以外はいないものと思ってくれて構わないぞ。それじゃあな!』


 エステルの口が閉じられ、音声の再生が終了する。

 目の前の機械仕掛けのエルフのさらなる機能に、明里はたまげたようなポカンとした表情をさらけ出す。


「エステルはご主人の物真似がうまいな!」


「も、物真似とは違うような……それじゃクランさんのことは後にして、これから夕飯に」


「夕食ニ関シテハ、私ガ調理致シマス。明里サンハユックリトオ休ミクダサイ」


 キッチンに向かおうとした明里の足を右腕一本で胸を押さえて止め、止まったことを確認してからエステルがキッチンへと向かう。


「……意外と家事大好きなのかな?」


* * *


 夕食、入浴等の日常的な行為、クラリスの充電兼スリープモードの設定、部屋の消灯を一通り終えると、明里は前日の夜と同じように自身のPCがある仕切りのスペースへと移動し、PCを立ち上げた。


「さて、今日もやりますか!」


 一人で集中できる環境になった時に出来た明里の新たな楽しみである、クラリスの内部構造図を眺める作業をこの日も始める。

 ぐっと小さく右手のガッツポーズを引いて、早速画面を注視する。


「そっか、腰の部分ってこんな風になってるんだ……」


 一人でぶつぶつと小さな声で喋りながら、暗闇の中でバックライトで明るく光るPC画面をじっと眺めているその光景は、端から見たらどこか危ない印象を持たれそうなものであった。

 その様子を、だらしないポーズでソファーの上に寝転ぶクロムがじっと片目だけを開けて見つめている。明里のどこか元気のないような動きや表情を見て、クロムは何か原因があるのではと心配していたのだった。


(……明里、さん、大丈夫、かな……?)


 そのような非常に身体に悪い生活を続けて一週間程経った頃のある朝、目の下にクマを作って、口が常に半開きのような状態で元気の欠片も見られない様子の明里が、ゆっくりとスローペースで朝食のエステルお手製焼きたてパンを食べている時のことだった。


「ねえ、明里さん、今日は、ここで、休んだ、ほうが、いいよ」


「ふぇ……? ああ……だいじょうぶだよ……だいじょうぶ……」


 反応も鈍くなっているのか、クロムからの気遣いの言葉への返事もどこかタイムラグが感じられ、言葉と言葉の間も長くなっている。


「明里サンノ状態ハ視覚的ニ見テモトテモ良好ト言エル状態デハアリマセン、休息ヲ推奨シマス」


「明里殿、私と同行することは何も強制されていることじゃない。ここは休もう」


「うーーーーん…………それじゃ……きょうの……ぶんだけ……でも……」


 明里は唸った挙げ句、心配を無下にすることもできないために今日の見回りの後で休むと口にする。

 唸った時間は長考していたわけではなく、至極単純に行くか行かないかだけの二択をなんとか考えていただけであった。今の明里はそれほどまでに疲弊している。


「明里さん、あたし達、から、見ても、今の、状態、良いとは、思えない。だから……」


「…………」


 口に咥えていた食べかけのパンを皿に置き、しばらくの沈黙の後で皆に口を開く。


「うん、ありがとう……でもね、いまここにいさせてくれるくらんさんへのおれいもあるから……ね?」


 疲れの中からたぐりよせたような笑みを見せながら、呂律も回っていないひらがな喋りで自分の意思を皆に伝える。

 それを聞いたクロムは、これではいくら説得しても応じないだろうという折れない意思に根負けし、明里の手を握る。


「仕方ない、わかった。今日、だけ、でも、明日、絶対、休む、こと」


「うん……わかった……ふあ……ぁ……」


 なんとかわかってくれたという安堵感の後に、力が抜けて欠伸が出る。

 欠伸でほんの少しの間だけ眠気が晴れた明里は、残ったパンと用意された牛乳を流し込んで外出の仕度をする。



「……本当に大丈夫なのだろうか?」


「大丈夫、とは、思えない、けど、今回、あたしも、ついて、いく。明里さん、隣で、サポート、する」


「そうか、そうしてくれるとありがたい」


「一緒に、行って、みたかった、のも、ある」


 クロムはやれやれとした表情の後、テーブルに戻ってクロムは明里と同じようにパンと牛乳を流し込んで食事を終えた後、軽く背伸びと柔軟運動で身体を慣らし、外出の準備を始めた。

 その後ろで、少しずつリュックサックの中身確認等を行って外出の準備を続けていた明里だが、ぽつぽつと自分は何を用意しようとしていたかを忘れ始める。


(あれ、えーっと……なんだったっけ……なにをよういしようと……)


 忘れた何かを思い出そうと、立ち上がって室内の全体を見渡しながら考え始める。その時の視界は、自分が知っている場所のはずなのに空間把握が歪んでいるかのような奇妙な感覚に囚われ始めていた。

 思考もだんだん抽象的な物になり、足元も覚束無くなってくる。


(あれ……おかしいな……いまわたしは……たってるけど…ういてるみたいで……あれ……なんだか……まわって…………)


 この思考を最後に、明里の意識は闇の中に落ちた。

 クロムとクラリスは、後ろでどさっと何かが倒れる音を聞いてとっさに振り向く。

 クロムの頭に嫌な予感が走り出すが、その予感は的中してしまった。リュックサックの側で気を失って倒れた明里の姿が視界に入り込んた。


「明里さん? ……明里さん!?」


「明里殿!」


「明里サン?」


 三人が一斉に駆け寄り、クロムは身体を揺らして意識を確かめ、エステルは脈拍や心臓の鼓動、息の状態を確かめた。


「あ、明里殿は……大丈夫なのか?」


「安心シテクダサイ、オソラク気ヲ失ッタダケカト」


「よ、よかった……」


「でも、さすがに、こう、なると、放って、おけない。明里さんを、休ませる」


 見過ごせない事態が起きてしまったことを皮切りに、今は明里を介抱することを優先することを判断したクロム。

 まず何をするべきかを考えていたその矢先、今度は調整室の方向から興奮していることが音からも伝わってくる程の激しい足音が聞こえてくる。

 三人はその方に一斉に振り向いた次の瞬間、調整室の扉が開いたと同時に一人の人物が砂漠の中のオアシスを見つけたようなテンションで、跳ねながら部屋に入ってきた。


「やったぁぁぁぁ!! やったぞぉぉぉぉ!! ついに私は魔力を突き止めたんだぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 右腕を天に向けて突き上げる力強いガッツポーズを取り、今までに見たこともないような生き生きとした表情を見せたのは、ゴブリンの死体を手に入れて以降ずっと調整室に籠りきりだった藤堂クランだった。

 ガッツポーズのまま止まったクランを含め、いきなりのテンションの高い叫び声とポーズを取られた三人は思考が追い付かずに固まり、冷凍されたかのように室内の時間が止まった。

 そしてそれから数秒後、クランはポーズを取ったまま床に倒れてしまった。


「ご主人!?」


「マスター……」


 クロムを除いた二人は倒れた主人の元に向かい、無事を確かめる。


「明里サント同ジヨウナ状態ニ陥ッテイマスガ、命ニ別状ハアリマセン」


「そ、そうか……よかった……」


 ほっと胸を撫で下ろすクラリス。扉が開いたままになっている調整室から、何やら空になった缶らしきものが転がってくる。転がった缶はエステルの足に当たり、それをゴミと判断して拾った後で、その缶がエナジードリンクの空き缶だと識別した。


「……マスタート明里サンハ同ジ原因デ倒レタ可能性ガ高イト思ワレマス」


「……とにかく、二人、まとめて、寝かせましょう」


 倒れた二人をエステルとクラリスがそれぞれソファーまで運び、起こさないようにゆっくりと隣同士で寄り添って眠る形で座らせる。

 クロムが上から毛布をかけると、似てはいないものの、身体を合わせて寝息をたてる様子はまるで、親子が隣同士に寄り添って肌を触れあわせながら眠る光景のようだった。


「ふう、これで、よし……ん?」


 エステルが拾ったエナジードリンクの空き缶と開いたままの調整室の扉が視界に入り、まさか変なことになっているのではないかと中の様子が気になったクロムは調整室へと足を踏み入れる。

 入ってすぐに視界に飛び込んできたのは、設置されたゴミ箱から溢れて入りきらなくなって床に散乱するほどのコーヒーや炭酸飲料、エナジードリンクの空き缶、眠気覚ましのタブレットの空き箱複数等、無理矢理意識を覚醒させて研究を続けてやろうという具現化した執念が散らばっているかと思わせる光景が広がっていた。

 この光景にクロムは、呆れた感情を押し出したような溜め息をついた。


「はぁ……人間、みんな、無理、しすぎ、だよ」

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