第8話

 買い物、機械探し、見回りを終えて、自宅までの帰路に着く二人は、今日の出来事について談笑しながら歩いていた。


「一度戻ってきた時の孝太郎さんの驚き様すごかったですねー。クラリスさんが炎出したことに驚いてたもん」


「私の炎ニとてモ驚いテいた」


「そうそう、それでどうやったら出せるのかを聞いたりして……私も出せたらいいんだけどなぁ」


「明里殿も出せルように訓練ヲ」


 クラリスと話続けている道中、明里はどこか会話の中にも違和感を覚え始める。

 クラリスの声の所々がどこか電子音混じりに聞こえ、会話もぎこちなく進んでいる。電子音に関しては空耳かもしれないと流していたが、会話そのものへの妙なちぐはぐさから来るひっかかりはどうしても拭いきれなかった。


「……クラリスさん、本当に大丈夫ですか?」


「大丈夫だ明里殿。私ハ問題ナい」


 疑問符が頭の上から消えず、もやもやとしたものを抱えながら、二人は自宅へと到着した。


「ただいまー。さてと、すぐに夕食にしようかどうしようかな……」


 靴を脱ぎ、玄関からすぐにリビングに移動しようとした明里。背後から足音どころか物音すら聞こえないと振り向くと、クラリスが玄関で立ち止まったまま動かない。

 初めての精密機械との共同生活で勝手が分からない明里は、どこか不具合が起きてしまったのかと不安になる。


「あの、クラリスさん……早く上がりましょうよ」


「ソうダッた。私は今カラ玄関に上リ明里殿どうシマした?」


「……やっぱりおかしいよクラリスさん、ちょっとリビングで休みませんか」


 不安げな表情でクラリスの顔を覗く明里。固い無表情なままのクラリスだったが、よく見るとその眼は小刻みに震えている。

 人間らしい細かな動きもあったこれまでから一転、今のクラリスの瞳はまるで無機質な人形のそれで、作られた感情すらも感じない。


「りビングで休む、わカりマした」


 直線的な動きでリビングへと歩き始めるクラリス。無駄の無さすぎるその動作は、人間性が著しく欠けているように見えた。


「どこか故障したのかな。でもそんな大きなダメージ受けた様子も無かったし……うーん」


 クラリスの様子の原因を考えるも、該当しそうな事案が思い浮かばない。少しでも手がかりがないかと記憶を巡らせていると、ふとスライムの体液でわずかに汚れた自分の服が視界に入る。


「うえぇ、そういえば汚れたまんまだったっけ……先にお風呂の準備でもしておこうかな」


 答えに辿り着く前に、明里の感情は不快感の排除を優先した。

 浴室の前まで移動し、リュックサックを置いてからそそくさと風呂を洗う準備を始める。扉を開けたままの浴室から、風呂の洗い流しで使っている最中のシャワーの音が漏れる。

 シャワーの水音はリビングにも僅かに届いており、その水音を聞いたクラリスは、ゆっくりと歩き出す。

 クラリスは今、眼球が上下左右に不規則な動きをし、表情も左右非対称で微笑んだり無表情で舌をちろっと出している状態となっている。


「わたシはアカりどノはカラだをながシナガしなガしましししシしょう……」


 敵を薙ぎ払った高潔な女騎士の面影は既にそこには無く、今動いているのは、中途半端に作られた人間性を保った壊れた人形の姿だった。


* * *


「クランさんの家みたいな大きい風呂もいいけど、やっぱりうちの風呂がいいよね。これでよしと……あとはお湯を入れて」


 お湯を溜めようと蛇口を捻ろうとしたその時、浴室の入り口に立つ鎧を脱いで下着とTシャツ姿のクラリスの姿が目に映る。

 何か用でもあるのだろうかと疑問に思いながら、蛇口を捻ってお湯を勢い良く流す。


「クラリスさん、お風呂はまだ沸いてないですからリビングに戻って……きゃっ!」


「あかリドノのわたシはせなカをながシてりょウカイしたドウしたのか?」


 明里の言葉を無視して浴槽の中へと入って行く。狭いかごの中で無理矢理明里を背中向きに座らせ、両足で身体を固定して両手で背中を擦るような動きを服越しに行う。


「ちょっとクラリスさ……いたっ」


「あかりどのごシゅじんあかリドノアカりどのaかりどアkkkkかりどのののののnnn……」


「ひっ……クラリスさんちょっと離して……くださいっ!」


 言い知れぬ大きな恐怖と危険を明里は感じ取る。矮小な己の力を振り絞り、全身を使って暴れてクラリスの拘束を振りほどく。

 その勢いのまま、クラリスの方を向く。そこには目、鼻、口、耳等、ありとあらゆる場所から緑色の液体を溢れ出させるクラリスの姿があった。

 クラリスの目はゆっくりとかつ不自然に、不規則に、上下左右斜めと不気味に動いている。

 明里はその緑色の液体が昼間に倒したはずのスライムと同じものであると直感的に理解した。


「きゃあああっ!!」


 その異様な光景に耐えきれず、悲鳴を上げて浴槽から必死に逃げ出すが、獲物は逃がさないと言わんばかりにスライムが明里の足めがけて身体を伸ばす。それを肌で察知した明里は、咄嗟に足を引っ込めて間一髪のところで躱した。

 獲物を捕り損ね、床に当たったスライムの一部は周囲に飛び散った。


「逃げ……逃げなきゃ……」


 恐怖に縛られ、いつものように動いてくれない身体をなんとか引きずりながら、浴室を出て、時間を稼ぐために扉を閉める。


「はぁ……はぁ……どうしてスライムが家にいるの……もしかして……!」


 明里は今日のスライムを退治した時の事を思い出す。明里の中で、覚えた違和感とそれからのクラリスの状態、今この瞬間の危険な状況の原因が繋がっていった。


「クラリスさんの中に潜り込んでやり過ごしてた……? とにかく今のうちクランさんに連絡を……」


 扉の前から離れ、リュックサックの中から携帯を取りだし、退避するようにリビングへと移動しながらクランに電話をかける。




 その頃クランは、好物の堅揚げポテトチップスを頬張りながら、回転する椅子の上でモンスターの生態データの閲覧を行っていた。


「んーーやっはりもうひょっとデーハほひいなー……」


「マスター、オ電話デス。明里サンカラデス」


「ん、なんらひそはひいとひに……はい、もひもひ?」


 クランはめんどくさそうに、油まみれの左手をすぐそばのティッシュで握り締めるように拭いてから、エステルの手にある電話を受けとる。


「ク、クランさん! 大変ですクラリスさんが!」


「あーひそがしいはらあほへ」


「クラリスさんが、スライムに取り込まれてしまったんです!」


 クランの表情が変わり、口の中の物を全て飲み込む。


「なんだと? 明里君は無事なのか?」


「はい、今はなんとか。クラリスさんはスライムと一緒に風呂の中にいて……」


「わかった、今からエステルをそっちに向かわせるからそれまでなんとか持ちこたえてくれ。乾燥剤を直接かけるなりすればなんとかなるはずだ」


「乾燥剤……そうでした! ありがとうございます!」


 明里からの電話が切れ、疲れたと言わんばかりに携帯を持った方の手をだらしなく垂れ下げる。


「というわけでエステル、明里君のところに急いで向かってくれ。場所はわかっているな?」


「カシコマリマシタ。マップハインストール済ミデス」


「よし、行ってこい」


 一礼をして、周囲に埃が立ち込める程の速度でエステルは走り出した。

 エステルの出発から間もなく、クランは再び堅揚げポテトチップスを頬張り始める。


「……ひゅうりへつひのひゅんひをしておふは」




「乾燥剤を持ってこなくちゃ。確か私の部屋に……っ!」


 クランとの会話で、乾燥剤の存在を思い出したまでは良かったが、それがある二階の部屋は、一度浴室を通りすぎて玄関前の階段まで移動しなければならない。そうなると、どうしてもスライムを対峙する可能性は避けられない。

 今の自分では対抗することができるのか、掻い潜ることができるのか、そんな不安が脳裏を過ぎる。

 そんなことを考えているうちに、スライムがリビングへとじりじりと身体を引きずるようにやってきた。

 蛇口から延々と流れ出るお湯を吸って、スライムは最初に出会った時のような大きさを取り戻し、明里の前に再び姿を現した。


「これじゃ部屋に行くどころか、廊下にさえ……」


 万事休す、追い詰められた明里はお仕舞いだと諦めかけた。しかし明里は、まだクラリスの身体を完全に分解していないことを思い出す。

 クラリスの部品に触れてみたい、自分の工具で弄ってみたい、とても精巧に作られたロボットの事をもっと知ってみたい。頭の中で構造や分解している時の感触や、何が起こるのかもわからない未来、絶体絶命の状況で、これから起こるかもしれなかったであろう愉しみを想像するうちに、まだまだ生きたいという意思が明里の中で大きく強くなっていった。

 生唾を飲み込み、恐怖心を押さえつけながら、じっとスライムへ、その先の廊下へと瞳を向ける。


「そうだよ、また私にはやりたいことがある……またこんなとこで死ぬわけにはいかない!」


 明里の目付きが変わり、今ここで、自分が出来る限りの抵抗をしようという決意を固めた。

 周囲を見渡し、何か使えそうな物はないかと即席の対抗策を練る。復活したばかりで鈍っているのか、幸運にも今のスライムの動きは蛞蝓よりも少々速い程度であり、緊張感によって集中力が増した今の明里には、充分すぎる程の猶予をもたらした。

 最初に明里が手をつけたのはテレビだった。テレビの電源をつけて電気を流し、精一杯の力を振り絞って両手で持ち上げて、スライムめがけて投げつける。

 力が足りず殆ど前には飛ばなかったものの、地面に落ちたテレビはショートし、スライムに電流を走らせる。スライムの身体は大きくゼリーのように震えて進みを止めた。


「やった! 今のうちに次の手を……そうだ!」


 明里が次に目をつけたのはキッチン。全くモンスターの知識が無く何が有効かもわからない明里は、スライムから蛞蝓を連想し、もしかしたら塩が有効なのではないかと考え、駄目元の考えだとしても何もしないよりはましと、塩を探す事にする。

 なんとかテレビから離れることが出来たスライムは、テレビがある方向とは反対側にソファーを乗り上げながら移動して、明里を追い詰める。


「どこに置いてあったんだっけ……あーーもう! こんなことならちょっとでも料理やっとくんだった!」


 料理しなかったことを後悔しながら、塩が入った容器をひたすら闇雲に探していく。そして、なんとか苦労の末に容器に入った塩と袋の中に入った予備の塩を見つけるが、スライムが明里の真後ろまで迫っていた。


「ひいっ!」


 一瞬後ろに下がり、勢いをつけてから明里に飛びかかっていくスライム。

 溜めによって出来た隙のおかげで、真横に飛んでかわす余裕が生まれ間一髪のところでダメージを回避した。キッチンにぶつかったスライムの体液が、周囲に激しく飛び散る。


「危なかった……今度はこっちから! うりゃあ!」


 攻撃を外し、体勢を建て直しているその隙を狙い、塩を容器ごとスライムに投げつける。

 巨大化した事が逆に明里側に有利に働き、ノーコンであることが関係無い程に当てやすくなったスライムの身体へ、見事命中した。

 塩を取り込んだスライムは、ある程度丸みを持っていた形を大きく崩して暴れまわる。どうやら相当効いたらしいが、激しく暴れる以外にこれといった変化は無く、足止め程度にしかなっていないのではと、明里の中にわずかな不安も生まれた。


「今のうちに……」


 苦しみもがくスライムを背に、リビングの入り口へと走って行く。スライムが通った床は体液でベトベトに汚れていた。


「うえ、気持ち悪い……でもそんなこと言ってる場合じゃない」


 床のべとべとした感触に、表情が歪み吐き気を催し、思わず足が立ち止まる。

 リビングの入り口までたどり着いたところで、スライムの状態と位置を確認するために振り向いた明里。

 その瞬間、明里の胸めがけて勢いをつけたスライムが体当たりをぶちかました。

 鋭い形状で突っ込んできた体当たりはこれまでよりも威力が上がり、明里は大きく廊下の向こうまで吹き飛ばされた。


「が……あっ……ごほっ……!」


 これまで経験したことのないような重く沈むような痛みが明里を襲う。骨にまで響く痛みと肺にまで伝わった衝撃で、呼吸すら危うい状態まで持っていかれた。


(痛い! 苦しい! 痛い苦しい痛い苦しい痛い痛い痛い痛い!!!)


 激しい痛みを押さえつけるように胸を押さえて床に手をつき、なんとか階段を昇ろうとする明里。幸運にも、吹き飛ばされた先は、二階へと続く階段の側だった。

 動く度に穴の開いた袋の中の塩が漏れ出して床に散らばっていく。

 スライムは明里を逃がすまいと、リビングを出て追いかけようとするが、床にばら蒔かれるように漏れ出した塩がまきびしのような効果を発揮し、スライムの移動速度を大幅に減少させ、強力な足止めとして運良く機能した。

 塩の上を動く度にスライムの形が激しく怒りを表すように崩れていく。


「はぁ……はぁ……げほっごほっ……もう……少し…ぃ……」


 必死の思いを力を振り絞って階段を登り終える。登り終えた頃には袋の塩は無くなってしまっていた。


「急が……なきゃ……」


 痛みが先程よりも引いてきたお陰か、なんとか立ち上がって壁伝いに自分の部屋を目指して行く。そしてドアノブを握り、部屋の中へと入った。




 塩によって水分が抜け出る苦しみにもがきながら明里を追いかけるスライム。餌を捕獲するために死んだと装い、クラリスの内部に寄生して以降、偶然にも水分も確保することが出来た上に最初の餌も非力で捉え易そう等、良いことずくめで進んでいたが、ここにきてその捕獲対象に必死の抵抗をされるという事態に、スライムの本能は怒りに満ちていた。

 塩が撒かれた階段をさらににじりにじりと、ほんの僅かながら身体が小さくなりながらも餌のために登っていく。

 階段を登り終え、撒かれた塩が無くなる頃には、お湯を吸収して肥大化した身体も、最初に二人に遭遇した時の四分の三程度のサイズになっていた。

 それからスライムは、小さく隙間の開いたドアを見つける。そこに自分の餌がいる、そう確信してスライムは移動速度を上げて勢いよくドアを弾くように開く。

 開いたその先には、粉末が入った袋を持って構える餌の姿があった。


「…………っ!」


 明里は歯を食い縛り、強ばった表情で粉末をばら蒔いた。得意の体当たりをする隙もなく、粉末はスライムの全身に降りかかる。

 塩とは比べ物にならない程の苦しみがスライムを襲う。激しく身体を変形させながら身体が縮んでいき、やがてスライムはその視界から姿を消した。


「や、やった……私……モンスターを倒せたんだ……あははは……」


 自宅という安全圏から突如殺すか殺されるかの死闘に放り込まれ、そしてその状況から解放された明里は、ただただ笑うことしかできなかった。嬉しいとも疲れたとも怖かったとも、一つには絞れない複雑な感情が明里の中を埋め尽くした。

 ほっとしたのも束の間、今度は玄関の方向から何かが破壊されるような音が聞こえる。


(なにか来たの……? もうだめ、動けない……)


 緊張の糸が切れた明里は、一撃をもらったダメージもあり、その場に倒れて気を失った。


* * *


 玄関のドアを破壊して入って来た何者かは、迷うような足取りも見せず、真っ直ぐと二階へと登って行く。そして、ドアが開いたままの明里の部屋の前で止まり、一言。


「明里サンヲ発見、意識ヲ失ッテイマス」


 スライムとの戦いが終わったちょうどそのタイミングに、エステルが到着した。

 ぐったりと気を失っている明里の状態を見て、放置しては危険だと判断し、ゆっくりと優しく刺激しないように明里を肩に抱える。


「残ル対象ハクラリス。探索ヲ開始……」


 部屋を出ようとしたその時、エステルと同じように部屋から出ようとする小さく蠢くスライムが視界に入った。


「研究対象ヲ発見、捕獲シマス」


 直接触らないように、明里の側に落ちていた空っぽの袋を使って、駄菓子のラムネよりも小さくなったスライムを捕獲する。そしてそのまま袋の中へと入れ、袋を何度も捩り、熱を軽く加えてビニールを溶かし、逃げられないように閉じ込めた。


「捕獲完了。クラリスヲ探シマス」


 階段を下り、スライムの体液の形跡のある浴室へと向かって行く。

 その先には、大きく歪んだ扉と、風呂の中でぐったりと力無く浴槽の中で寄りかかりながら痙攣するクラリスの姿があった。


「クラリスデスカ?」


「わワwたししし&#@+しssシsごsyじんくらららrrrララrららりすす+*@&#*@すアかりリリrrrr……」


「……正常ナ稼働ハ不可能ト判断、回収シマス」


 電子音と女性の声が入り混じり、言語としてほとんど聞き取れない程の声を発し続け、頭は下を向いたまま全身を痙攣させ、右目は白目を剥き、左目は上下左右に一定間隔で動き続け、口はぽかんとだらしなく開いた状態で、浴槽で異常を起こしていたクラリス。

 耐えず震える身体を押さえるように力を入れながら、明里と同様に肩に担いで運び出す。

 クラリスの垂れ下がる両腕と指が、ぴくぴくと不規則に反応している。


「全回収対象ノ確保完了。コレヨリマスターノ下ヘ移動シマス」


 二人を担いだエステルは、全速力で明里の自宅を後にした。

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