【改稿中】マジカル・ステラ ─魔法少女と卵と俺─

林太郎

第一章 邂逅編

第一話 星の魔法少女

「誰か! 助けて! ねえ! 誰か!」


 閑静な住宅街に、一人の少女の悲鳴が響き渡る。

 しかし、少女の悲鳴に答える者はどこにもいない。


「なんで!? なんで誰も応えてくれないの!? おかしいよ……こんなの!」


 時刻は午後十時過ぎ。

 夜中とはいえ、住民が寝静まるにはまだ早い時間だ。

 にもかかわらず、人の気配はおろか家々には明かりすらもない。


 住宅街は不気味なほど静まり返っている。


 その不気味な街の中を、少女は息を切らしながら必死に走り続けていた。

 一つの奇妙な影に、執拗に追いかけられていたからだ。

 影は道路のアスファルトを踏み砕きながら少女に迫り、そして──獣のような咆哮を轟かせた。


「ひっ!?」

 

 短い悲鳴を上げ、少女が背後を振り返る。

 咆哮を轟かせた影の姿──それはまさしく獣そのものだった。

 体長五メートル程もある巨大な黒い犬が、紅い瞳を爛々と輝かせ、唸り声を上げていた。


「やだ……やだぁ!」


 黒い犬は泣きわめく少女に追いつくと、その巨大な前脚を振り下ろした。

 前脚は少女のすぐ側を掠め、路面のアスファルトを粉砕する。


「────あぁっ!」


 衝撃でアスファルトの破片と共に吹き飛ばされていく少女。

 地面に落下した後も、数メートル程転がった。


「……なんでぇ」


 地に伏しながら、少女が嘆く。


 少女はアスファルトの地面を転がったせいで、全身が擦り傷だらけになっていた。

 足も吹き飛ばされた際に捻ったのか、ズキズキと痛む。


「う、うぅ……」


 痛みと恐怖で、少女の瞳から大粒の涙がとめどなく流れ落ちていく。

 しかし、それでも少女は立ち上がる。

 歯を食いしばり、痛みを堪えて、涙を拭った。


 死にたくない──ただその一心で、少女は恐怖を必死に押し殺した。


 少しでも遠くへ逃れるために、少女は足を引きずりながら、再び走り出した。

 

「うぅ……」


 だが悲しいことに、その速度は足の痛みのせいでかなり遅い。

 せいぜい早歩き程度の速度しか出ていない。


 巨大な黒い犬がその気になれば、少女は一瞬の内に追いかれるのは明らかだった。


 だが、黒い犬はなぜか少女に追いつかなかった。

 いや、

 それどころか、少女に追いつかないように速度を落とし、付かず離れずの距離を取って走っていた。


 そして時折、先程のように前脚を振り下ろして、少女を甚振いたぶり続けている。


「うっ……あぅ!」


 黒い犬は何度も何度も──少女を執拗に甚振り続ける。


 まるで、


「うぅ……!」


 当然、そんな黒い犬の意図など少女には分からない。

 黒い犬の唸り声に怯えながら、ただ必死に走り続けた。


「……ぁ、……っ!」

 

 だが、人間の体力は無限ではない。

 疲労のせいで少女は足をもつれさせ、再び地面に倒れ込んでしまった。


「……っ!」

 

 そして、足がまたズキリと痛んだ。

 黒い犬に無理矢理走らされていたせいで、足は赤く腫れ上がっていた。


「うっ……げほ……っ」


 しかも肺と喉も痛いほどに苦しかった。

 少女にはもう、走るどころか立ち上がる事体力すら残っていなかった。


「あ、あぁ……」


 嗚咽が漏れた。


 ────ああ……これじゃ、もう逃られない。


 悲観的な考えが頭を過り、少女の体から力が抜けていく。

 そして、少女はそのまま立ち上がる事なく背後を振り返り、


「…………ぁ」


 虚ろな目で狼を見上げた。

 黒い犬を見上げるその少女の表情には、深い絶望が込められていた。


 そんな少女の表情を見て、黒い犬は満足気にニタリと笑った。

 なぜなら、この少女の『絶望』こそが、黒い犬の食事にとって必要なものだったからだ。


 巨大な黒い犬の正体──それは人の恐怖の感情を情報エネルギーとして食する『魔獣』であった。


 少女が逃げ惑ったこの街すらも、魔獣が作り出した特殊な空間──『魔獣結界』の中にある、虚構の街に過ぎなかった。


 故に────


「誰か……誰か助けて……」


 か細く紡がれる助けを求める少女の声は、誰にも届かない。


 少女に待ち受ける運命は、たった一つ。

 魔獣に死ぬまで甚振り続けられ、絶望し、最後には捕食される事。


 ただ、それだけ──……


 そのはずだった。


「いやああぁ!」


 だが、再び黒い犬の魔獣の前脚が迫った、その刹那。


 ────闇の中に光が輝いた。


「……え?」


 光は虚構の街を明るく照らし、人の姿へと変わっていく。

 淡く光を帯びた黄金色の髪と蒼い瞳を持つ、この世のものとは思えぬ雰囲気を持つ少女の姿へと。


 髪と瞳に帯びた淡い光──それらは彼女が魔獣と同じく、この世ならざるものである事を示していた。


 絶望を糧とする『魔獣』から人々を守護する者──『魔法少女』であった。


「綺麗……」


 少女が陶然と、酔いしれるようにつぶやいた。


 恐怖を一瞬を忘れる程の美しさを、魔法少女が携えていたからだ。

 だが、少女はすぐにハッとした顔をして、いつの間にか自分の傍らに立っていた魔法少女に助けを求めた。


「お願い……助けて!」


 魔法少女は少女の声に応えるように深く頷き、一歩前へ踏み出した。

 そして、その蒼い瞳で魔獣を睨みつけた。


 獲物を横取りされた黒い犬もまた、地面を踏み砕きながら一歩前に出て、不愉快そうに低い唸り声を上げる

 そして、赤い瞳で魔法少女を睨み返した。


 黒い犬の魔獣の赤い瞳には、強い怒りと憎しみが籠められている。


 魔法少女か助けに来たせいで、少女の『絶望』が薄まってしまったからだ。

 しかも、魔法少女は自分に少しも恐怖を感じていない。

 黒い犬の魔獣にとって、目の前の魔法少女は絶対に許容出来ない存在であり、見ているだけで不愉快であった。


 ────八つ裂きにし、気が済まない。


 低い唸り声と共に、黒い犬の魔獣の中でそんな身勝手な怒りが徐々に燃え上がっていく。


 やがてその怒りの炎は、確かな熱量を持ったとなって、黒い犬の魔獣の牙の隙間から溢れ落ち始めた。


 黒い犬の名は黒妖犬『ヘルハウンド』──炎の攻撃を得意とする魔獣であった。


 そのヘルハウンドが怒りを爆発させ、再び咆哮した。

 咆哮して大きく開いた口からは火球が放たれ、魔法少女達の視界を炎で埋め尽くしていく。


「きゃあああああ!!」


 迫り来る火球の炎に包まれる自分と魔法少女を想像し、少女が絶叫した。


「え?」


 だが、炎は少女へと届く事はなかった。

 魔法少女が手から放った光の盾──魔力障壁バリアによって阻まれていたからだ。


「────っ!」


 火球を防がれたヘルハウンドは、驚いて目を見開き、体を硬直させた。

 魔法少女はその隙を見逃さず、すぐさま反撃に転じる。


 魔法少女は全身を魔力によって発光させ、強化された脚力でヘルハウンドの懐へ飛び込んでいく。

 さながら閃光の如き速さで、あっという間にヘルハウンドの懐に魔法少女は接近する。

 そして、魔法少女は手のひらに光を集めると、それを杖へと変化させ、ヘルハウンドの鼻先に思い切り叩きつけ──……


 骨の砕ける音が響き渡った。


 砕け散ったのはヘルハウンドの鼻骨だ。

 魔法少女の杖がめり込み、血が周囲に飛びっている。

 ヘルハウンドは骨折の痛みに悶えて絶叫し、その場に蹲った。


 魔法少女はその隙に素早くヘルハウンドの背後へと回ると、跳躍。

 ヘルハウンドの背に飛び移った。


 そして、呪文を唱え始めた。


「聖なる鎖よ!邪悪なる者を束縛せよ!『ホーリー・バインド』!」


 魔法少女が紡いだ呪文は、ヘルハウンドの周囲に巨大な鎖を作り出した。

 そして、鎖はヘルハウンドに向かって絡みつき、全身をガッチリと拘束していく。

 雁字搦めだ──ヘルハウンドはもがいて抵抗しようとするが、身動き一つ出来ない。


 魔法少女はヘルハウンドが完全に拘束された事を確認すると背中から飛び降り、今度は腰のカードホルダーからカードを取り出した。

 白い無地のカードだった。魔法少女はそのカードを構え、狙いを定め──ヘルハウンドに向けて投げ放った。


 当然、鎖で拘束されているヘルハウンドには避ける術はなく、カードは命中。

 そして、その直後──カードから放たれた光がヘルハウンドを包み込み、光の粒子へと変換し始めた。


「────ッ!」


 消滅する自分の体を見たヘルハウンドの顔に恐怖の色が宿る。

 ヘルハウンドは雄叫びを上げ、光とカードから逃れようと体をよじらせるが、もうすでに手遅れだった。


 ヘルハウンドの体は数秒で完全に光の粒子へ変換され、カードの中に吸い込まれ、消滅した。


 残ったのは、ヘルハウンドを吸い込んだ白い無地のカードだけだ。

 ヘルハウンドを吸い込み終えたカードは地に落ちることなく空中で回転しそのままひとりでに魔法少女の手の中へと戻っていく。


「…………」


 魔法少女は戻ってきたカードを受け止め、腰のカードホルダーの中に収めた。

 その直後、ぱりん、と何かが割れるような音が響いた。


「あ、街が……」


 少女が驚いて声を上げた。

 辺りの景色が硝子のように砕け、壊れ始めていたからだ。

 ヘルハウンドが消えた事で、魔獣結界もまた崩壊が始まっていた。


 空も街も、全てが次々に砕け散っていき──やがて、魔獣結界は跡形もなく消滅した。


「……帰ってきた、の?」


 少女は恐る恐る周囲を見渡した。

 街には人の気配が戻り、家々に明かりが灯されていた。

 あの不気味な静けさも、もうすっかり消え去っている。


 少女と魔法少女は、現実の世界へと帰還していた。


「ああ……」


 少女はほっと安堵のため息をついた。

 だが、すぐにハッとした顔をして、魔法少女の方を振り返った。

 そして頭を深々と下げ、


「 あの、その……た、助けてくれてありがとう!」


 精一杯声を振り絞り、魔法少女にお礼を言った。

 街を眺めていた魔法少女は、振り返ると、


「お礼はいいよ。……魔法少女の……勤めを果たしただけだから」


 透き通るような声でそう応え、照れくさそうに微笑んだ。


「────」


 少女はその表情に意表を突かれ、胸がどきりと高鳴った。

 胸の鼓動は段々と早く、音も大きくなっていく。


「……足、痛むよね?」


 少女の腫れ上がった足を見ながら、魔法少女が訊いた。


「えっと……その……」


 魔法少女は返事を待たずにしゃがみこむと、腫れ上がった少女の足にそっと手を添えた。

 すると、魔法少女の手から光が放たれ──少女の足の怪我を、あっという間に治癒してしまった。


「……え、ええ!?」


 足の痛みも、嘘のように消え去っていた。

 魔法少女は微笑み、驚く少女に問いかける。


「……他に痛むところはある?」

「え? あ、あぁ…」


 少女はすぐに返事をしようとするが、上手く言葉が出てこない。


「あ……ぅ……」


 顔と耳が熱くなって、呼吸も苦しい。

 魔法少女の笑みを見てから、胸も締め付けられるように痛い。

 けれど、魔獣に追いかけられていた時とは違って、嫌な感覚ではない苦しさと痛みだった。


 むしろ高揚感すらあって……。


 そうして、自分の感情に戸惑っている間に、いつの間にか魔法少女は立ち上がっていた。


「あっ……」

「じゃあ、私はこれで……」

 

 少女は自分に別れを告げて立ち去る魔法少女を、ぼうっとした目で見上げた。


 魔法少女は再び体に光をまとわせると一気に跳躍し、夜の星々の中に紛れ、あっという間に姿を消してしまった。

 

「あれが……マジカル・ステラ……」


 魔法少女が消えた夜空を見上げながら、少女がぽつりと呟いた。

 マジカル・ステラ──それが少女を絶望から救い出した、あの魔法少女の名前だった。


「ステラ……」


 少女はしばらくの間、黙って夜空を見上げ続けた。

 まるで夜空に浮かぶ星々の中に、星の如く煌めていたステラの光の残滓を探すかのように。


 いつまでも……いつまでも────……


□□□



 一方、その頃。

 少女の目の前から立ち去ったステラはというと……



「ああ……ああー!やだやだ、死にたい!」


 なぜか人気ひとけのないで絶叫して、頭を抱えていた。


「なんで死にたくなるの~? 呪文も恥ずかしがったり、噛んだりせずにちゃんと詠唱出来てたよ~?」


 そんなステラを、二本足で立っている・・・・・・・・白い猫のような生き物がからかった。


「ちゃんと言えたから、恥ずかしいんだよ!」


 ステラは勢いよく立ち上がり、白い猫に向かって叫んだ。

 そして、やりきれない気持ちを吐き出した始めた。


「なんだよ聖なる鎖よ! とか! いい感じにポーズとか決めた自分を殺したいよ!」

「格好良かったよ~。あの助けられた女の子も見惚れてたね~。モテモテだね~。よかったね~」

「嬉しいけど、この姿で見惚れてもらっても複雑だよ! だって……!」


 自分で言うように複雑な表情しながら、ステラは胸元にある宝石を取り外した。

 するとその瞬間──光がステラを覆い、一瞬で彼女を別の姿へと変化させた。


「だって……」

 

 そして、ステラを覆っていた光は消え、そこには────


「だって──俺は! 俺は男なんだよおおお!」


 自身の境遇を呪う、一人のの姿があった。

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