仮初
きよすけ
*
稼ぐぞ、と姉が言ったのは、メキシコのある町に差し掛かったあたりだと清路は記憶している。清路が9歳の頃の話だ。
メキシコといえば陽気な国民性、友好を示すアミーゴ!なんて言葉が真っ先に連想されるだろう。しかし、その町はそんな陽気なイメージを覆す澱の底であった。
麻薬戦争の舞台。それが、端的なその町の実情であった。死体は見せしめに弄ばれ野ざらしにされ、誘拐や銃撃戦は当たり前。それでも市民はそれらから身を守って、懸命に日々を生きている。そんな土地だった。
姉、真矢杏奈は、そういった土地柄だからこそそこを稼ぎ場に選んだのだろう。
当時は警察と麻薬カルテルの勢力に二分されていたが、その中でも市民の中で己で身を守るために自衛の手段を持つという流れが見られていた。それは後に自警団という形となり、町の勢力図が三等分されるのだが、割愛。
とにかく、杏奈はそうした自警団の母体となったであろう自衛の手段を求めた人々の助けをし、日銭を稼ごうと考えた。無論、殺し屋姉弟のすることと言えば一つなので自衛というには過激なものではあったが。ようは、先手を打ってカルテルの要人を殺していた。
両親を失って二年。オーヴァードとしての能力含め、優れた技術はあるものの未だ人を殺すことのできない清路に代わり、杏奈はふたり分の食い扶持を稼ぐために奔走していた。杏奈自身は14歳。少女の身であったが、生まれた頃から仕込まれた暗殺と戦闘の技術はそこいらの大人に比べれば本物、と呼ぶに能うものだった。
清路と言えば、時折能力を使って杏奈の破壊工作の手伝いをするなどはしていたが、相変わらず人は殺せなかったし、路端に転がされた拷問を受けて無残な死を遂げた人間の亡骸を見ては食べたものを吐き戻し、軟弱者と姉に頬を張り飛ばされた。
そういった事情もあり、メキシコ滞在中の清路の生活はシンプルなものだった。
姉に呼ばれない限りは、ただ日がな一日人目のないところに来ては飛ぶ鳥を銃で撃ち落として過ごした。それはけして娯楽ではなく、姉に言いつけられた何かを撃つということに慣れるための訓練であり、日々を生きるための狩猟であった。
そうでなければ、一人町を散策する。これも娯楽ではなく偵察の一環であり、逃げる時のために使える裏道という裏道を探すという作業だった。
幸い、治安がよくないとはいえ清路には人ならざる力があった。その力は恐ろしかったが、反面自分を守る力でもあると認識していた。何故なら初めてその力に目覚めて用いたのが、自衛のためにだったからだ。無意識下にそれを自覚していた。故に、おっかなびっくりであるが彼は彼の責務を果たすことができていた。
こうして列挙すれば、彼は姉の道具のような扱いを受けているように思える。しかし、それは違う。杏奈は清路の中に何もないことを知っている。それは、生まれてから暗殺者となるべく育てられ、否、設計をされて来たのを知っていたし、自分もそうだったからだ。それでも両親に全く情がなかったかといえば否で、普通の家族愛とは形は違えど確かに愛に近いものは与えられていた。おそらくそれは、自分が作った作品を愛する芸術家のような性質のものだったろうが、それでも情は情だった。両親を失う12歳の時まではそれを享受していた。
だが清路は違う。物心がつくかつかないかの歳に目の前で両親を失い、結果それが両親に関する一番強烈な記憶となってしまった。
人格を形成する段階で親を失った子供がどうなるかなどというのは明白だろう。死の恐怖に怯え、外界との接触を拒絶。本人に自覚はないだろうが、失うならば元から何も得ない方がマシだと思ったのか塞ぎ込んでしまった。故に彼には、何もない。
これではさすがに生きてはいけないと考えた杏奈は、清路を殴り蹴り、屈服させて外に連れ出した。杏奈自身正しい慈愛の形を知らなかったので、優しさで懐柔するよりも恐怖で体を動かさせる方が簡単で自分に合っていると考えたのだ。
そうして連れ出したはいいものの、殺し屋稼業の中で清路が何かを得られるわけもなく、そのまま二年が過ぎた。
杏奈がこうして、清路に一見仕事と思える暇を出しているのはその間に何か自分の虚無を埋めるものを探せ、という意図だった。無論清路は知る由もなく得るつもりもなかったので、その意図は空回り一ヶ月が過ぎたわけだが。
清路としては姉の言いつけを守れば殺さなくてもいい、自分が死ななくてもいい。だから与えられた比較的安全なタスクをこなしているに過ぎない。悲しいかな、この姉弟は生来の物分かりの良さ故に決定的にすれ違っていた。
そんな生活サイクルが形成され、今日も杏奈は稼ぎに出かけたある日である。
その日は、狩猟の日だった。
ひたすら銃を作り、弾丸を装填し、飛ぶ鳥に照準を合わせ、堕とす。
淡々と、作業を行う。飛ぶ鳥にスコープの照準を合わせて、撃つ。堕とす。
モルフェウスの力でそこいらに転がった石をライフル銃に変えて、ブラックドッグの力が射撃を援護する。人を相手にしないのであれば、清路は自分で思う以上に適切に能力を用いることができた。
未発達な能力が作り出した武装は、弾丸を一発撃つだけで銃身を崩壊させたが大して構わなかった。言いつけさえ守れれば、それで。
そうして過ごして、時刻は夕刻。狩猟も潮時、この一発で終わらせようと、拾った石をライフルに変化させたその時だった。
「きみ、今、何をしたんだ!?小石が……銃に?」
耳慣れない、高い少年の声が耳を揺すぶった。ハッとしてライフルを抱えたまま振り向けば、そこには清路と同い年くらいの少年があんぐりと口を開けて立っていた。
金砂の髪に、彼の中に流れる血がそうさせたであろう褐色の肌。夕日を受けて紅く煌めくまなこ。
身に纏った茶褐色の外套はところどころ煤けていたが、故こそにどこか少年の居住まいに貫禄を滲ませていた。
言ってしまえば、美しい少年だった。清路はなんとはなしに、王子様というものがいるならこういう少年なのだろうと思っていた。
少年はズケズケと足を進めて清路に近づいてくる。人ならざる清路の力を恐れずに、歩みを進めてくる。
清路は反芻していた。姉の言葉、自分の異形の力を見ても驚かなかったり近寄るような者は信用するな。その場で殺せ、と。
それはその力を利用するために近寄ってくる者がいる、或いは脅威として排除しようとしている者がいる、そういった可能性を潰すための忠告だった。
両親を失った清路にとって、今の保護者代わりである姉の言葉は絶対だった。守らなければ、死ぬ。その程度には絶対のものだった。
一歩近づかれる。そのたびに、手の中に銃を作ろうと算段する。一歩近づかれる。そのたびに、殺さなければと覚悟する。
だが、ままならなった。手は動かないまま、少年が近づくのをただ見ているしかできなかった。
人を殺すのが、怖かった。飛ぶ鳥は落とせても、それだけがいつまでも怖かった。
硬直した眼前に聳える少年の足。何をされるのだろう、迫害の的になるのか、大人の前に差し出されるのか。怯える清路をよそに、少年のとった行動は単純で、かつ清路が想像し得ないものであった。
「すごい!ここにないものを作り出すなんて、なんてすごいチカラなんだ! なあ、きみ、なんて名前なんだ!? 俺と友達になってくれよ!」
興奮した様子で、清路の肩を掴んで詰め寄る少年。清路は考えもしなかったその反応に、暫し口惚けて、そして我に返った。
「あ、あの、君は……?」
「俺?ああ、そういえば名乗りもせずに友達になってほしいというのはスジがなってなかったか……」
清路が問うと、少年ははたと思い至ったように考え込む。だが、すぐに独り言は纏まったのか、改めて少年は清路の肩を掴んだ。これがこの少年の適切な距離感なのかもしれないが、人馴れしていない清路に取っては珍妙不可思議で微妙に居心地の悪い距離だった。
そんなことに構わず、少年は至近距離で高らかに、己の名を告げた。
「俺は、ミラノ! ミラノ・フェニクスさ! きみの、そうだな。アミーゴ! になる男だよ」
言葉尻に、ウィンク。子供なりに背伸びして吐き出したような、甘い語尾。
清路は直感していた。こいつは、将来女の子にモテる男になるのだろう、と。
*
少年、改めミラノは清路のことを聞き出すよりも先に自分の身の上を話した。この国の人間の模範例のようにミラノはお喋りな少年で、とにかく陽気な子供だった。年は清路の二つ上の11歳だったが、年の差を感じさせない無邪気さは今まで裏社会で生きてきた清路にとっては新鮮なものだった。
ミラノは、この麻薬戦争の舞台になっている町の市長の一人息子だった。指にはめた指輪や耳の金のピアスが、言葉にせずとも裕福な家庭の育ちであり、彼が愛されていることを訴えていた。
彼は特にハート型にくり抜かれた装飾が施された指輪が気に入りらしく、しきりに左手の薬指を撫でていた。手グセなのだろう。
彼は、まず清路の名前を聞き出すと、警戒心を解きたかったのかある手段に出た。それは。
「セージ、そう俺を怖がらなくていいよ。見ていたまえ、その理由は今にわかるとも」
そういうと、ミラノは清路の眼前に手をに広げた。それはやがて、誰の号令もなく炎を溢れされた。
タネも仕掛けもなくミラノの手の中で盛る炎。戦火しか見たことのない清路にとって、それはただそこにある、温もりの灯火が酷く眩く見えていた。
「き、君、これは?もしかして……」
何もないところから発火させる力。清路が能力に目覚めた折に、オーヴァードというものについて調査をしてきた姉から教わった、彼らが持ち得る能力のひとつ。
「サラマンダー……?」
「サラマンダーといえば、炎の精霊だろう?父さんの書庫にある本にそいつが出てくる物語があったけど、この力はそういう名前なのかい?ハハハ、ロマンティックだな!」
からからと笑うミラノは、自分の力に怯えている様子はなかった。彼の口ぶりからすると、オーヴァードやレネゲイドウィルスについては何も知らないようだった。無知ゆえの無邪気さなのか、それとも彼は自分とは違って心が強いだけなのか。清路は考えの差異に内心首を傾げていた。
それから彼は自分の力について話した。
いつだったかは忘れたが、ある日気がついたら使えるようになっていたこと。父親には周りには絶対に秘密にしろと念を押されたこと。その日から、家の外に出ることを禁じられ、どうしても出るときは護衛を何人もつけなければならなくなったこと。小学校も休学扱いとなってしまったこと。それからは退屈なので、こうして夕方頃から夜の時間の間で家を抜け出して遊び歩いているということ。
その人に非る力が恐ろしくないのか、という清路の問いには、人にないこの力で誰かの助けになれるかもしれないから、恐ろしくなんてないと笑顔で返した。
「ぼくは、怖いよ……。この銃だって、少し間違えたら誰かを傷付ける。殺しちゃうかもしれない」
「でも、きみはあんな遠くに飛んでいる鳥を狙い撃ちできるくらい腕がいいんだろう?じゃあ、間違って誰かを傷付けることはないさ」
それに羨ましいくらいだ、とミラノは続ける。清路は首を傾げながら言葉の続きを聞く。
「きみの力は、なんでも作れるんだろ?こんなに人の助けになれる力はないよ!俺の力じゃ、燃やしたり冷やしたりしか出来ないけれど、その力はなんでもできるじゃないか!」
「そ、うかな……。ぼく、武器以外のもの作ったことなくて、何ができるの……?」
自信なさげに、清路は返す。事実、彼は銃や姉のために使い捨てのナイフを作ったことくらいしかなかった。そもそも、初めて能力を発現させた時に作ったのも銃で、清路自身は勝手に武器類しか作り出せないものかと思い込んでいた。
清路の問いに、少し考える素振りをして、それから名案が思いついたとミラノは顔を上げた。
「明日また、今度は昼間!ここに来たまえ。きみの力が役立ちそうな場所へ連れて行こう」
そう、清路の肩を叩きミラノはそろそろ時間だからと清路の返事も待たずに足早に去っていった。
呆気にとられたまま、清路はなんとはなしに空を仰ぐ。
満天の星空。そうして、日の暮れる前に帰れ、という姉の言いつけを破ったことを思い出して青ざめた。
殺されるのではないか、と冷や汗を垂れ流しながら滞在するモーテルに戻る。
だが意外にも、姉は何も言わなかった。
何も言わずに清路が狩ってきた鳥を捌き、ほんの少しだけいつもより野菜と肉を多く盛ったプレートを清路の前に差し出して、自分は武器のメンテナンスをはじめた。
*
明くる日の昼。清路は昨日と同じ場所に来ていた。
思えば、姉以外の人間と待ち合わせなんて初めてだった。それも、仕事以外のことで。おそらくこれは、世間一般的には遊びの待ち合わせというものだろう。清路にとって、それは自分が一生味わうことなく生きるものだと思っていたものであった。
ミラノは清路が来たその一時間後に迎えに来た。なお、これはミラノが遅れたのではなく清路が単に待ち合わせというものが初めてだったので早く来すぎていただけであった。待ったか、と問うミラノに清路は首を振った。今まで無為に過ごしていた一日の積み重ねに比べれば、彼を待つ一時間なんてものは一秒に等しかった。
その日清路は、ミラノに案内されてその町の一角にあるスラム街を訪れた。
陽気な町並みを裏に入れば、そこは貧困に喘ぐ人々の住処。
とはいえ以前に立ち入った紛争地帯を鑑みれば、清路としてはマシなものだと思えた。マシなだけで、最低であることには代わりはなかったが。
家に軟禁同然で置かれるようになってから、ミラノはスラムに行くようになったという。ミラノは市長の息子であるために、町ではそこそこに顔が利く。彼が社交的な性格であったのもその一因であろう。そのため、抜け出したことがバレてしまうので昼間に町の大通りを歩くことができなくなってしまった。
それ以来昼に出歩く時は自分の顔を知る者が少ないスラムで、今まで会うことのなかった人々たちと関わろうと考えたというのだ。
理由は明快なものだった。
「俺の父さんは、市長としてこの町をよくしようと頑張ってる。俺も将来は市長になって、この町をもっとよくしたい。麻薬戦争なんかなくしてさ。もっと平和にみんなが生きていける町にしたい。その為に、こういう場所のことも知っておかなくちゃいけないと思ったのさ」
道中語られる彼の理想が、清路には眩しかった。夢や理想とはかけ離れた世界に生まれ、今まで生きてきた清路が初めて触れる、暖かくて力強くて、尊い意志だった。どのように生きればそんな優しい心を抱けるのか、清路には皆目わからなかったがそれはとても美しいものなんだと感じた。
「えっと、それで……ぼくの力を役立てるって、ここで、どうやって?」
「ああ、それはだな……こっちだ!」
そうして案内されたのはある一家の家。粗末な板で作られた屋根は今にも剥がれ落ちそうだ。これは、先日の長雨でとうとう腐って落ちてしまったらしい。
ミラノはそれを指して、清路に直せるか?と聞いた。
たったそれだけなら、と清路は路端の石や壊れた板の残骸を拾い集め、屋根に登ってモルフェウスの力をもってして修復をした。
ミラノの計らいでちょうど一家のいないタイミングで修繕は行われたが、端から見ていたミラノは清路の能力を見てやはり大はしゃぎしたのだった。やっぱり見込んだ通りだ、と。
程なく帰ってきたその家の母子は、満面の笑顔で喜んだ。これでまた雨をしのげる、ありがとう、あなたすごい修理の腕なのね、と。雨をしのげるなんて、そんなものは当たり前のことだ。それでもこの家族には小さくても確かな希望の灯火だった。それを繋ぐことが出来たのだ。
自分の手で、誰かを笑顔にしたのは初めてだった。
その次は独り暮らしの老婆の家の壊れた脚立を直し、親もなく生きる兄弟たちの住居の壁を直した。何人もの家の修繕をし、道具を修繕し、そしてその全ての家に、人々に感謝された。
そうしてスラムを歩き回っている間にすっかり空は赤く染まっていた。闇に染まりはじめたスラム街を、清路は頼りなさげにミラノの外套の端を掴んで歩く。当のミラノは歩き慣れているからか、治安が殊更悪いスラム街でも臆するすることなく歩いていた。
「な、言っただろう? きみの力は人を助けることが出来る力だ。こんなに素敵なものを持っているのに、一日中鳥を撃ってるなんてもったいないぜ」
「う、うん。……それなら、よかった、かな」
振り向いて、ウィンク。屈託なく微笑みかけるミラノに安堵すると同時に、清路の胸に僅かな痛みが走る。鈍痛のようなそれは、おそらくは罪悪感だ。
ミラノは清路を、出会って間もないが友達として認めて友愛を向けてくれている。清路の活躍を心から喜んでいる。清路の力を心の底から尊敬している。
だが、そんな自分はそんな感情を向けられていい人間ではない。暗殺者の家系、人殺しとなるために設計された生けるブリキの兵。彼の親愛は、清路の掌にあまり余って溢れる。
そんなことを思いながら、清路はミラノの顔を直視することも出来ず地面に視線を落としたまま歩いていた。
その清路の服の裾を、何者かが引いた。か弱い力が、清路の歩みを留める。
「ッ……!?」
背後を取られたら、死ぬ。姉に叩き込まれた基礎中の基礎だ。こんなことすら失念するなんて、今の自分はどうかしているのかもしれない。恐る恐る、振り向く。
そこにいたのは、最初に屋根を修復した家の家族の子供だった。
「おにいちゃん、あの、これ。おれい」
「え……?」
そういって差し出されたのは、白い花だった。
「ああ! セージ、よかったじゃないか! セニョリータ、ありがとう。ほら、受け取りたまえセージ。女の子に恥をかかせるものじゃないよ」
「う、うん……。ありがとう」
ぎこちない笑顔で花を受け取ると、少女ははにかんで走り去っていった。
「いいな、セージ。素朴だけどきみに似合う花を選んで持ってきてくれたんだね。……そうだな、この花をこのまま枯れさせるのは忍びないかな」
ミラノは少し考えると、思いついたといったように清路の手を引いて走り出した。
走って行き着いた場所は、露店の花屋。ミラノは店主から赤い花を買うと、清路を人目のないところに連れ込んでその花と清路が受け取った白い花を借り受けた。そして、その二輪を手の中で凍らせた。
「セージ、これを。けして枯れない氷の花だ。これは俺の力を使わない限り溶けたりしない、枯れない花になったよ。これを、きみに」
二輪の氷の花を、ミラノは清路の胸ポケットに挿す。
「その白い花は彼女からの感謝。この赤い花は俺からの友愛と感謝の証さ」
「感謝? ……きみにお礼をいわれるようなこと、は……」
「何を言ってるんだい? この町は俺の愛する町で、この町の人々も俺の愛する人々だ。その人々を助けてくれたのだから、俺が感謝をするのは当然のことさ。それに、友達が増えるのは嬉しいことだ。俺と友達になってくれて、ありがとう」
ウィンクをひとつして、ミラノは清路の胸を人差し指で叩いた。
「枯れないということは、永久になくならないということさ。君への感謝も友愛も、けして消えないものだ。アミーゴ、君も俺の愛する人の一人だよ」
斜陽を受けて煌めく、ミラノの瞳。射すくめられたように、清路は身を固くした。その真摯な瞳に、清路は応える術を持たない。その友愛に応えても、結局自分はいずれ血に塗れる定めだ。繋いだ彼の手まで汚してしまいかねない。
「ぼくは……そんな、こと言ってもらえるような……人じゃ」
「ストップ。自分を貶すものじゃない。俺の友達を貶すことは許さない。さあ、もう帰ろうぜ。俺たちが力をいくら持っていても、夜にスラムを歩くのはよろしくない」
その背を追うか否か、逡巡した清路の手を、ミラノは強引に掴んで表の通りに歩いて行く。
だがーーーそこに飛び込む、黒い影。それが、ミラノのちょうど顔のあたりに飛びついた。
「っあ!? な、なに!?」
「ね、ねこ……」
猫だ。黒い猫。それが、ミラノの頭に飛びついていた。
随分人馴れしているのか、それともミラノに懐いているのか。ミラノの顔をなめまわして、頭を擦り付けている。
「お前かっ! このー!」
まとわりつく猫を、ミラノは引き剥がそうともがく。猫はその抵抗にも慣れているのか上手く彼の手を躱して、彼の顔を舐め回した後は外套にその体を擦り付けて、しばらく彼を弄ぶと満足して去っていった。後から清路が聞いた話だが、その猫はミラノに懐いている野良猫らしく時折こうして襲撃という名のじゃれ合いをしにくるのだという。
「く、クソ。俺の折角の美貌が台無しだ」
「っふ……あは、あははは! ミラノ、髪の毛、ぐしゃぐしゃだよ……!」
猫の唾液でベタベタになった顔を拭うミラノを見て、清路は不思議と腹の底から笑いが湧き上がってきた。さっきまで、格好つけてアミーゴだなんて言って。男同士の自分に花まで贈った気障な少年が猫一匹に引き倒されて翻弄されていた。今までは清路の方が
翻弄されていたというのに。
笑いが止まらなかった。こんなに笑ったのは、笑うということをしたのは何年ぶりか。或いは、声を出して笑ったのは初めてかもしれない。
体を折って笑う清路の姿を見てミラノは少し呆けた顔をした後、唾液まみれのままで破顔した。
「……セージ! 初めて俺の前で笑ったな! アミーゴ、その顔が見たかったんだよ! それに初めて俺の名前を呼んだ! ハハ、なんて今日はいい日なんだ!」
清路の笑い声に、ミラノの笑い声が重なり響く。夕闇迫る町に二人の子供の笑い声が響く。
ちょうど仕事帰りの杏奈がその声を聞いていたが、煩いガキが笑い転げているな、とただ苦笑して彼女は煙草を吹かした。
モーテルに帰った清路の前に出された料理のプレートに乗った肉は、昨日より少しだけ質のいい肉になっていた。
*
それからの日々は今までの平坦な生活からは一転した。
何日かに一度はミラノと会い、郊外に遊びに行ったりスラム街で人助けをして歩き回った。
狩猟の数は必要最低限になり、表通りの道よりもスラムの道に詳しくなった。姉は相変わらず何も言わなかったが、食事は以前よりも豪勢なものになっていた。
ある日、初めて出会った町の外れでなんとはなしに語り合ったことがある。
「なあ、セージ。きみ、夢はあるのかい」
空を眺めながら、飛ぶ鳥をただ目で追いながらミラノは清路に問うた。
夢。考えたこともないことだ。
夢とは、眠る時に見る夢ではないだろう。それは自分の中にある理想のことを指すはずだ。そう考えると、清路には何一つ応えるべき思いはなかった。
「……えっと、ない、かな。よくわからない。父さんや母さんになれって言われていたものも、今は……」
夢ではなくて、将来の設定された未来は存在していた。暗殺者として大成すること。それが、両親が設定しそのように設計した人生だったはずだ。否、それは人生と呼べるものではないが。
口ごもる清路に、ミラノはそっか、と深く入り込むこともなく短く返した。彼は陽気な少年ではあったが、スラムの事情を見聞きしているからか年の割には線引きは上手かった。
「俺は、夢があるよ」
飛ぶ鳥を相変わらず目線で追いながら、ミラノはぽつりと呟いた。
「セージもこの町にいてわかると思うけど、この町は貧富の差も激しいし麻薬カルテルがデカい顔をしてのさばってる。市長……俺の父さんが頑張ってカルテルを取締をしているけど、それでもなかなかよくならない。スラムも変わらない。この問題は根深いから、一日一年じゃどうにもならないのもわかってる。だから、俺が市長を継いでこの町をよくしたいんだ」
ミラノは空に手を伸ばす。その手は、果てない理想を追い求めるように真っ直ぐに伸ばされていた。
「それだけじゃない。この町のみんなに笑顔になってほしい。この町だけじゃなくて、隣の町もその隣の町も。隣の国もその隣も。世界中の人が、今日より明日一人でも多く笑顔になってほしいと思う。俺の力は、セージみたいに人を助けることに向いていないかもしれないけど……みんなを笑顔にする助けをして生きていたい。それが、俺の夢なんだ」
いいだろ、ともはや見慣れたウィンク。茶目っ気たっぷりに言ってみせたが、それでもその言葉は真剣なものだった。
「な、セージ。今夢がないならさ……」
「夢が、ないなら?」
「手伝ってくれよ。そのうちセージは、ここを出ていっちゃうんだろうけど。俺が市長になったらまた帰ってきてさ。その時までまだ夢が決まらなかったら、俺の夢を手伝ってほしい」
あまりにもそれは、眩いものだった。夢もなく、意志もなく生きていた清路の目の前に差し出された導きの手。
誰かを殺すこともなく、人の笑顔を作る優しい夢。尊い理想のカタチ。
答えは、出せなかった。これから誰かの血で汚すであろう手が、彼の清い手を取って共に歩きたいと思っていいのか。同じ夢を見たい、そんな言葉が喉元までせり上がってくる。今からでも、今日からでも一緒に夢を追いたい。でも、言えなかった。
ミラノは答えない清路に何も言わなかった。特に不満にも思っていないらしく、なんと答えようか逡巡する清路にただ微笑みかけるだけだった。それは清路ならついてきてくれるだろうという自信の現れだったのか、また或いは別の感情だったのか。今となっては誰も知る由がない。
そんな話をした、一週間後だった。
麻薬カルテルの要人が密会を行うらしく、姉は今日も出かけていった。
その日は雨で、遊びに出かけられるような日ではなかった。ミラノに会うことも出来ないだろうと思った清路は、一人で姉がストックしている武器のメンテナンスをしていた。人の命を奪うモノ。それを砥いで、万全の状態にして、人を殺す助けをする。その時点で、直接手を下さずともそれは人の命を奪う罪となる。
反芻するのは、一週間前のミラノの誘いの言葉。こんなことを手伝っている者が彼の尊い手を取って言い訳がない。でも、生まれて初めて与えられた光を手に取りたいと心は訴える。
そんなことを延々と考えながら、宵の口。ついに最後のナイフを手入れしようと取ったその時だった。
―――爆音。
室内では篭って聞こえたが、それはたしかに爆音だった。
反射的に窓によって、外の様子を伺う。モーテルから南西方向に炎が立ち上っていた。ふと、思い出す。
あの位置は、市長の家がある場所だ。前にミラノに教えてもらった―――彼の家だ。
考える暇もなかった。気がつけば清路は窓から飛び出て走っていた。
カルテルと警察の戦闘が起きたのだろうか。彼の家が、彼が無事でいればいいが。考えは上手くまとまらない。焦燥感が足を突き動かす。早く、彼の安否を知りたい。
果たしてそこは、火の海だった。
立ち上る炎が、周囲の家々を撫でて燃やす。壊す。市長の家はといえば、完全に炎上していた。全焼。それは地獄だった。
打ち付ける雨もその炎に焼かれて、地面に届くことなく蒸発する。煙と蒸気が辺りを覆い、視界は非常に悪い。
不思議なことに、その場には誰も武装した人物はいなかった。否、何人かいはしたがそれも疎らで、大規模な戦闘を行っているような雰囲気ではなかった。警官隊はこの爆発を受けて今駆けつけたらしく、やはり戦闘が起きていたようには思えない。
なりふり構わず、清路は燃え盛る市長の家に走り出す。爆発でその家は半壊していて、殆ど木屑の塊に過ぎない。探す。人だったものの残骸を見つけても何も吐かなかった。それどころではなかった。
見慣れた金砂の髪を探す。失くしたくない。彼は清路の力をなんでも作れる力と言ったが、失った命は作れないのだ。
そうして見つけた、揺らめく炎の向こう側。佇む小さな影。見慣れた背格好。
ミラノ、そう呼びかけようとして足を止めた。
周囲を焼き尽くす炎は、彼を起点として巻き上がっていた。彼の周りに転がっていた黒いものは、炭化した人間だろう。それを誰がやったかはこの状況を見れば明白であろう。
「……セージ?」
炎の踊る音に混じって、か細い声が清路の耳に届く。その声に答える。彼の足元なんて見えないふりで、ただ彼の無事を安堵した。しようとした。
それでも、現実は残酷だった。手首の周りに爛れた火傷の痕。それは彼が自身で焼いたものだろうと容易に想像できた。力を行使し過ぎた影響なのか、それとも別の要因なのか。それは清路にはわからなかった。
どうしてこんなことを、困惑だけが清路の胸中を占めていた。
「なあ、セージ。……俺は、何を思って今まで生きてきたのか。よくわかんなくなってしまったよ」
独白が、宙に投げられる。清路に向けた言葉のようで、その実それはあまり意味をなしていない独り言であった。
「見てくれよ、この炎をさ。俺に出来るのはこういうことぐらいなんだ。汚いものを燃やすだけ。きみみたいにさ、その手で作ったもので誰かを笑顔にするなんて出来ないんだ」
わからない。わからない。彼が何を汚いものと形容するのか。彼のような、優しさと光を集めて作ったような少年がどうしてこんなことを言うのか。
汚いものを燃やす。今、燃えているのはこの町。彼自身の家。すなわち、汚いものは彼が燃やした―――町々。彼が愛していた筈のもの。
「ミラノ、きみ、なんで。こんな」
「ねえ。セージ……殺してくれよ。もうわからないんだ。俺の見ていたものが今まで何だったのか。俺の目指そうとしていたものがなんだったのか。挙句こんなさ。……じゃないと、もうダメなんだ」
ミラノが左手をゆるりと上げる。薬指にはめた、ハートの意匠を施された指輪が炎を受けて煌めいた。
瞬間、熱風。清路の両脇を、炎の柱が駆け抜けていく。胸に挿していた氷の花が、熱風に散った。
「きみも、殺しちゃうよ。なんか、自分を抑えられないんだ。目に見えるものが全部汚く見える。燃やさないと気がすまない。きみのことまでそう思いたくない……!」
次に構えられる右の掌。そこに漲る炎。
混乱を凌駕して、恐怖が清路の心を埋め尽くした。次に彼が炎を開放したら、自分は死ぬだろう。
恐怖で指の先が凍りついた。しかし、自分の死を目の前にした瞬間に本能は生きることを選び取った。
掌に銃を作る。媒介は胸にささったままの氷の花の茎。銃は冷たかった。燃え盛る炎の中で、清路にとってその冷たさがだけが思考を繋ぎ止めるよすがであった。
照準を合わせる。飛ぶ鳥を落とすよりも狙いは容易い。標的は動かないし、距離は近い。急所は一瞬で撃ち抜ける。
右手の炎が踊る。その瞬間に、引き金は引かれた。
まず心臓。左手、右手、右足、左足。一呼吸の間に、その工程は完了した。最初から定められたプログラムのように、正確無比な弾丸が急所と体を動かすための要所を貫いた。
彼の華奢な体が揺らぐ。手の中の炎が散って、同じように鮮血を散らして倒れていく。
まだ、足りない。オーヴァードは簡単には死ねないと、姉が言っていた。自分が死にかけたことはないが、きっと化け物じみた力があるならそうなのだろうと思っていた。故こそ、倒れゆく刹那のその体に追撃をする。
肝臓、腎臓。心臓を撃ち抜いただけでは殺せない。
肺。肋。ただ、穿つ。恐怖で冷え切った指はそれしか出来ないように引き金を引き続ける。
時間にして、十秒に満たない。その時を、不思議と清路は客観的に見つめることができていた。人を殺すのも鳥を堕とすのと大差はなかった。死ににくいだけの違いだった。
足を踏み出す。狩りの後は獲物を取りに行かなければならない。それは清路がそう思って行動していたというよりも、体に染み込み習慣付いた行動だった。
地面に染み出した赤い色を、もう散ってしまった彼がくれた花の色に重ねる。もはや何も思うことも出来ないまま、自分でもどうしたいのかわからないままその赤く染まった体を抱き起こした。
火勢は少し弱くなっていたが、それでも炎は消えることなく体を焼く。吹き出ている筈の汗も、周囲の熱量が瞬く間に乾かしていった。
「俺は思うに、弱かったんだよ。セージ……」
ポツリと、血に塗れた唇が独り言のように語り出す。
「憧れたものが、まやかしだった。嘘だった。それに耐えられなくて、この有様さ。俺は……愛した人たちを笑顔にするどころか、ハハ、こんな……」
諦観。虚ろな目で語る彼のこんな姿を、清路は初めて見た。初めて会う人間を腕に抱いているような心地だった。
「俺みたいなのがいなければ……もっとみんな、笑顔でいられたのかも、なあ。この炎で誰を何人焼いたわからない。わからないんだ……」
彼の命の残量はもう僅かだろう。そういう風に、撃ち抜いたからだ。喋れば喋るだけ辛くなる筈だ。それでもいつものように彼はお喋りで、そこで漸く自分が手にかけたものが自分の初めての友達だったことを清路は自覚したのだった。
今更のように、清路の瞳に水がこみ上げてきた。久しぶりだった。何かを失うということが。あまつさえそれを自分の手で、などと。あふれて溢れた水は、その下にあるミラノの頰に落ちる前に蒸発して消えた。
「誇るといい。きみはいいことをした。俺みたいな化け物を倒した英雄さ。明日生きる人の笑顔を確かに守った。俺が殺してしまっていたかもしれない、人たちの笑顔を。だから……笑いたまえ、セージ」
そう言って、今際の際だというのに破顔して、いつものように気障ったらしいウィンクをした。
もう四肢を動かすことも満足に出来ないだろうに、ミラノは左手を上げ、その薬指にはめられたハートのくり抜きの施された指輪を清路に差し出した。
「亡くなった母さんが、結婚指輪にと父さんから贈られた指輪なんだ。駄々をこねて俺が母さんが亡くなった時に貰ったものさ」
世間話のように、彼は語る。口からは血の塊を時折吐き出して、それでもその口は止まらなかった。
「このハートの隙間にさ、母さんの心がある気がしたんだ。母さんは俺に笑顔でいてと言って亡くなって、その想いがここにあると思っていたんだ。ねぇセージ、これを、きみに。俺もきみに、笑顔でいてほしい」
清路は何も言えなかった。また、同じ夢を見てほしいと言われた日と同じで返す言葉が持てなかった。
差し出された指輪を手にしたらきっともう彼はいなくなってしまうのだと思い、その手を取れなかった。
「愛する友、セージ。俺の英雄。ああ、叶うことならきみと一緒に、理想を追いたかったな……」
指輪がミラノの手から滑り落ちる。腕から力が抜けて、眠るように瞳が閉ざされる。炎を受けて紅く煌めく瞳。夕焼けを映して輝くあの日の、初めて会った日の瞳の光が消えていく。
全てが終わって思うのは、どうしてあの時、同じ夢を追ってほしいと言った彼の手を取れなかったのかということだった。
それで何が変わったのかはわからない。何も変わらなかったのかもしれない。そもそも清路は、彼の身に何が起こったのかもわからない。でも、彼の蛮行を繋ぎ止めることは出来たかもしれない。
生きてしまった。何もないまま、空っぽで死ぬ理由も生きる理由もなかった自分が、彼を殺して生きてしまった。
彼は彼の愛する人々を守れたのだからそれでいいと言ったが、清路にとってそう思える相手はそう赦したミラノただ一人でしかなかった。それを、彼の愛する人々を守るためでなく己の命惜しさに殺した。こんなに無価値な生き物が。彼の導きなくては何が出来るかもわからなくて、人の為になることもできなかった自分が彼を殺してしまったのだ。
贖罪が、必要だ。この命一つで贖えるものとは思えない。けれど彼を殺めてしまった分、彼がこれから生きて果たしていくはずだった理想の分、彼の命を背負って罪を贖わなくてはならない。彼の理想を引き継いで、彼の人生を背負って、彼がこれから見て、愛していくはずだった数多の人々を愛して生きなくてはならない。
地面に落ちた指輪を拾い上げる。ハート型の空白。そこに、ミラノの心がある。指にはめてみる。元々成人女性用の指輪だからか、やはり今の清路には大きかった。これを、理想の礎としよう。彼の理想を引き継いで、この町だけではなく世界全ての人が、今日より明日一人でも多く笑顔でいられる世界にしよう。その為に生きて、その為に死のう、と。
だが、清路は考えた。所詮自分が出来ることで最も秀でていることは、人殺しでしかない。そのように設計され、そのように生きていたからだ。
それならば、当たり前の日常を生きている人々を脅かす存在を殺して生きていこう。そうでなければ正しくない。ミラノを、友達を殺した意味が、それを彼が赦してくれた意味がない。
気がついたら、背後に人の気配があった。息荒く、鬼気迫る風情で。しかしそれは、馴染みのある気配だった。
「……姉さん」
「なんだ」
姉は何も聞かなかった。振り向いた時に見た顔は、珍しく焦燥の色があった。それがどんな意味を持つのか、清路にはわからなかった。
ただ、清路は伝えなくてはならないと思った。初めて姉に、自分の思いを、自分の意志を伝えなくてはならないと思った。
「“俺”に人殺しを、させてください」
杏奈は眉根一つ動かさなかった。ただ帰るぞ、とだけ告げて踵を返した。
清路は最期に、そこに横たわる今まで友達だったモノを灰に還した。
清路が打った弾丸は九発で、遺った灰の中に埋もれた銃弾は十個。その意味を清路が考えることはなかった。考えてもどうにもならないし、考えられる余裕もなかった。
無二の友人が褒めてくれた能力をこの町で使ったのはそれが最後だった。
*
町を後にする車の中、清路は姉の仕事の話を聞いていた。
麻薬カルテルの要人の密会。それは、市長の家で行われていた。
早い話、市長もあの町を牛耳るカルテルと繋がりがあったのだ。
高い資金力、広く分布した勢力。市長選に当選したいのならカルテルと繋がりを持つのは当たり前のことらしかった。
ぼんやりと、清路はミラノの暴走の原因を理解した。尊敬していた父がカルテルと繋がっていることを知ったとしたら、もしや。
しかしそれはもう知ることはできない。永久に。
振り向けばもう、点に見えるくらい遠くなった麻薬戦争の舞台の町。いつかこの地も、そこに蔓延った闇を払うくらいの力を得たら戻ってきて、その時は。
ペンダントにして首から下げた指輪をなぞる。心と理想は、共に永久に。
「さようなら、ぼくの……」
その先の言葉は、姉の連絡用の端末から発せられた呼び出し音で掻き消された。
仕事だ、と短く告げた姉に応えて、清路は武器のメンテナンスをはじめたのだった。
仮初 きよすけ @kysk_913
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