三人娘シリーズ
躯螺都幽冥牢彦(くらつ・ゆめろうひこ)
春風 前編
私はミナ。この学校の三年生。
私の座っている席の後ろは、いわく付きだ。学校に伝わっている様々な言い伝え、主に怪談方面でもトップクラスのいわくが付いている。この教室で一年間生活する事になって初めて知った。
ルールはこうだ。
・その教室のその席を空席にしておかないと、空けなくていいと指示を出した者と、その関係者が死ぬ。うっかり忘れて気付いた時点で空けても、文字通り後の祭り。
・これまでにも何人も、ほぼ無差別にあちこちで死んでいるという。
よりによって何で私の丁度後ろにピンポイントでそんな席が存在するのか。
まだこれは誰にも話した事がないけれど、朝、たまたま私が一番乗りで教室へやって来てしまった時などは、背後に確実に寒気を感じるのだ。そして、教室の壁側の上の窓や、校庭側の窓から、幾度も視線を感じる。
朝練の男子達が覗いているとか、そういう嫌悪感とは似ても似つかない、陰湿な視線。生理的嫌悪を増幅させる、皮膚に生暖かい感触をもたらす様な視線。
友達に話しても、笑われるだけかと思うから、まだ誰にも話していない。そこにクラスメートが元気良く教室の扉を開けて入って来るものだから、幾度か悲鳴を上げかけたり、椅子ごと引っくり返りそうになったりした。
手を貸してもらって立ち上がる私の表情にも、いささか陰りが見えて来たらしい。情報入手の早い友達のミキやトモからも、昼ごはんで屋上に出た時に訊ねられた。
「ミナ、ホントに大丈夫? 何があったか知らないけど、随分顔色悪くなった。ダイエットでもしてんの?
『発育期の無理なダイエットなどで朝ごはんとか抜くと、いい事ない』
って保健のにゅんちゃん先生が言ってたよ?」
ああ、あのお姉さんぽいけどシメる所はきちんとシメるにゅんちゃん先生か。
「うん、ご飯は食べてるんだけど、何だか調子狂っちゃってるみたい」
にゅんちゃん先生はミキの紹介の通り、うちの学校の養護教諭で、呼び名は無論あだ名で、名前から取ったもの。肩までのウェーブがかかった髪と、同性から見ても実に素晴らしいボディーライン、そしてシックな色合いのパンツルックが色っぽいので、男子にも大人気。
でも、論文と生徒の体調管理を最優先してるので、同僚の男性の先生方からのアタックや上の立場の先生からのお見合い話なども全てスルーしているらしい。
熱や立ちくらみでお世話になった時はとても優しい。
「生理とか狂うとしんどいしなー。それは?」
「うん、それも一応周期として多少のずれはあるけど、来てるかな」
この色々心配してくれているのがミキ。ミキはバレーボール部でかなり面倒見が良く、後輩からも慕われている。ご自慢のよく櫛の通ったポニーテールが風に揺れている。
静かに話を聞いてくれているのがトモ。クールな印象の眼鏡さん。本が好きで寝る前に読みまくって、小学校の途中辺りからぐんと視力が落ちたのだ。
でも、こちらも、その背中の半ば辺りまで伸ばした黒髪と眉にかかるかどうかの前髪で、黙っていると深窓の令嬢っぽいんだけどもなかなかに鋭い運動神経の持ち主。
……そういえば私達は髪を染めるとかそういうの、無縁でずっとやって来ているな。
『相当に傷む』っていうから気にした事もないし、別にいいか。
さておいて、トモはそういう真面目な容貌で、実際に家はかなりのお金持ちなんだけど、それを鼻にかける事もなく、現状から想定出来る事をひとまず挙げて、アドバイスをくれる。
二人とも私の何が気に入ってくれたのか分からないけど、小さい頃からクラスが三人でずっと一緒。そんなトモが縁なし眼鏡の奥から冷静かつ、それでいて心配そうなのを隠しもせずに、静かに言ってくれた。
「これまで想像も付かなかったけれど、ミナはひょっとして、好きな人でも出来たんじゃないの?」
「うーん……誰にも言わない?」
「あたしらは三人の秘密と言ったら秘密にするのも自慢の、結束の固い三人じゃん。あんたも含めて私らはそういう固い絆で結ばれた三人娘な訳よ」
「ミキさん、トモさん、恩に着ます」
「ミナよ、苦しゅうない」
二人がうやうやしく声を揃えて笑顔で言ってくれたので、話し易い雰囲気になったかも。
「うーん、二人だから言うけど、その……いなくもない」
「あらら、嬉しいやら悲しいやら」
と、ミキがお茶を口に運びつつ言う。
「相手には言ったの?」
「ううん、まだそういうのより全然前の段階。一応言っておくけど、目立たないけど真面目な子だよ」
「そこは相手の事をミナが話してくれたら、ミキさんとトモさんがミナの幸せを願う一心で、一応の審査をします」
「ミナはそういう話をするのは初めてだものね。体調が悪そうなのも含めて私も心配」
トモがミキの意見に同意する。
「まあ、その時はお手柔らかに、かな」
トモが続ける。
「そういうのでこじれた話、たまに聞くけど、大体は友達にも相談し辛い流れで、最悪の状況下になってから、ニュースとかで報道されたりするから、実際はかなり心配」
確かにそういうのは時たま聞くかも。
「ああ、私も部活のOBや後輩の噂話で良く聞くな。見てくれじゃ想像が付かないでしょ?放課後どうしてるのかいちいち聞かないし。
で、付き合ってみたら……って奴。
ミナ、気付かないかもしれないけど、スタイルいいし、性格も言う事無しだし、うちのクラスでも真面目な話、狙ってるの結構いるよ?」
そんなの初耳だ。スタイル……確かに胸は時折邪魔だけど、そんな対象になっているとは。
で、好きな人の事だけれど、控えめで読書ばかりしてるものの、意外に運動方面や勉強方面でもなかなかの成績を誇る、一つ下の同じ美術部員の、エドガワくんがいいな、と思っている。
当人は全く気付いていないけど、彼の描いた作品を見て、私は正直心を奪われた。
元々大人しい子だなと思ったけど、彼の絵筆の繰り出す色使いや構図に、底知れぬ可能性を感じているのは私だけでなく、顧問も同じ様子。現在彼はアクリル絵の具を主に使って次の大会の出品作を描いている。
アクリル絵の具と言うのは聞いた事のない人には馴染みがないかもしれないが、水彩絵の具の一種で、まず、乾きが比較的早い。そしてどんどん重ね塗りが出来る。
乾いてしまえば水をかけても絵の具が落ちる事はないので、修正したければひたすら重ね塗りをしていけばいい。
なので、失敗しても幾らでもフォローが利くその利便性から、愛用している部員も多い。油絵派とアクリル派に分かれている感じ。まあ、応募作品項目で使用する絵の具の指定などもあるから、そこはそれなんだけど。
さておき、そのアクリル絵の具を溶かして入れて使用するエアブラシというスプレー式の道具で、思いもよらぬリアルな効果が出たりもするから、そこはもう使えば使うほど良さが見えて来る。
ノズルの手入れをこまめにしないとすぐ詰まってしまうのと、画材は基本的に専門の道具なのでお値段が少々張るのは仕方ない所。でも、前述した様にそれ以上の利点があるのだ。吸引してしまうと身体によろしくないので、防塵マスクも必須だけど。
部にそういう道具が充実していてホントに良かった。
話が逸れたけど、クラスも学年も違うし、距離を縮めるチャンスがなかなかないんだけれど、エドガワくんが私は一番いい。しかし残念ながら、進展なんて全然してない。言い出せないんだもの。
アプローチするとしたら部活の時が一番のチャンスなんだけど、いざ話しかけるとしてその際に話題が浮かばない事ってよくあるよね?なので大体は彼の作品の出来と彼自身に見惚れつつ、たわいのない話や、つたない経験を元にしてのアドバイスくらいが、私に出来る関の山。
で、席の後ろの得体の知れない気配が、実情一番の問題だ。
私は三年生。春の終わりには部活を引退し、芸大を目指すべく、これまで以上に自分の作業に没頭しなければならない。
一度で通るのはかなり難しい分野―五浪、六浪なんてのが珍しくないのだ―なので、親には予備校通いを予め相談して、一年だけだよ、という事で受理してもらっているけど、出来れば一度で通りたいのが本音。
それまでに、後二ヶ月も猶予がないけれど、エドガワくんに、気持ちを伝えたい。彼は、私にとっては特別な人なんだ。
席の後ろの気配とかに、気を取られている余裕などありはしないんだ。
そこで思った。
ここは撃沈覚悟で彼に告白をし、成功してもダメでも、早々と結果を出そうと。
ダメならダメで、自分でお寺なり神社なりへ行って、事情を話してお祓いでも何でもしてもらおう。でも、上手く行ったら、二人で相談して、何らかの解決方法を見い出せるかもしれない。
勿論前者が望ましい。
だけど……もし、告白後に事情を打ち明ける事で、彼の負担になったら?
コンクールも近いし、今まではそんな事なかったけど、どうにも気持ちの悪い後ろの『気配』から、彼に何らかの危険が及ぶかもしれない。
私は、ミキとトモに、自分の席の周囲の異変を、打ち明ける事にした。
「私だけじゃなかったんだね、あの変な雰囲気が嫌なの」
驚いた事にミキとトモも同じ雰囲気を察していたらしい。
どちらもたまたま、これは移動教室の帰りとからしいけど、一番乗りだった時に感じたらしい。
「まあ、話し辛いよね。ジャンル的にオカルトだし」
ミキが深く息をつく。
「私は本の読み過ぎだと流されるかと思ってて言わなかった」
トモも呟く。
「でも、この三人が同じ気配を感じていたんだって分かると、少し心強いかな」
私はかなり気が楽になった。
「そうだね。
『何処かの教室がそれだ』
ってのは聞いてたけど、うちの教室だと思わないし」
「先生方にも緘口令が敷かれているというのは聞いたわ。犠牲者も出ているらしいけど、私達が入学してから、時々校門前に取材陣が来ていたのが全部そうだったなら、結構な頻発ぶりですこと」
トモが、興味本位で首を突っ込んでカメラとマイクを突き付けて来るマスコミを軽蔑する様にぴしゃりと言う。
「うーん、どうもこの学校って、噂の流れ方が変に偏ってるよね?ツキヤマ先生も何も話さないし」
ミキが担任の名前を挙げた。
……そうだ、先生も何も言わない。興味がないのかもだけど、トモと同じく、うるさいだけで、面白おかしく事件を書いて売れればいいマスコミが嫌いなのだとばかり思っていた。
何かの疑念が湧きかけたのを、ミキの話がかき消した。
「あたしさ、二年生の時に、その時は教室までは分からなかったんだけど、何かでクラスメートが亡くなったっていうのを部の先輩から聞いた事があって、でもさ、その先輩も事情とかほとんど知らなかったりしたよ。
朝起きてニュース見てびっくり、って流れがほとんどみたい。で、学校の先生はだんまりじゃない?
おうちの人はお葬式だし、それどころじゃない訳だからずいずい押しかけて行って事情を聞く訳にも行かないし」
「そうね。で、学校の宿題や行事で次第に忘れて行ってしまう、か。
他のクラスの事なら尚更ね」
トモの眼鏡の奥のまつげが揺れる。
確かにそうだ。部分的にしか知らない人の事を意識する事はないし、覚えてなんかいやしない。
改めて考えると、小さな集団のそのまた集合体って結構冷たいかも。
ミキが肩を思い切りすくめてボキボキ鳴らし、コリをほぐしてから言った。
「あたしがOBや後輩とかにそれとなく、
『学校の怪談とかってあります?』
って、そ知らぬ顔で改めて聞いてみようか? こういうの、意外な奴が深い事情を知ってたりするし」
「にゅんちゃん先生は何か知らないかしら?聞いたけど、この学校に来て七年くらいになるらしいわ。何かご存知かも」
なるほど。
「その方がいいかも。後輩よりは先生の方が普通色々ご存知だし、にゅんちゃん先生は口が堅いし」
「分かった。
ミナは今日は部活でしょ? トモは合唱部だし、部活休みだから、あたしがにゅんちゃん先生に聞いてみるよ。
何処まで聞けるか分からないけど、上手く行ったら私達の代でそのつまんない因縁を断ち切れるかもしれないしね」
俄然やる気が湧いて来た様子のミキに、トモが小さな腕輪数珠を渡した。
「お祖母ちゃんがくれたんだけど、魔除けの効果があるって言うわ。実際肩凝りとかほぐれるし、ミキに渡しておく。
一人で深入りはダメよ?」
「む、サンキュー。サポーターの下に付けておくわ。
午後の授業が終わったら行動開始だね」
「ねえ、約束して、二人とも。本気で深入りする時は三人一緒よ?」
「うん。あたしだってそんな何年も続いてる変なのに一人で突撃する度胸なんかないよ」
ミキが苦い顔で、指で頬をかいた。
「そうだね。本気で調査をするなら、徹底的な前準備をしてから。
お祓いくらいしてもらってからの方がいいよ」
「そうしましょう」
トモが私の言葉に頷き、三人で何となく手を繋いで、笑顔を見せ合った。
翌朝。
テレビのニュースで、ミキとイリガキ先生―にゅんちゃん先生の本名だ―の首が、屋上でキスをする様に向かい合って置かれていたというのを、私は知った。
血だるまで見つめ合う様に、キスする様に置かれていたのだと。
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