空は遠く

夏梅はも

第1話 卒業式

 ~2020年3月1日~


 足は地に着いているはずなのに、今日は卒業式だからか、気持ちが浮わついているようだ。

 眩しい日差しが差し込んだと思ったら気のせいだったのか、見上げた先は昨夜までの雨が嘘のような、どこまでも澄みわたった青空が広がっている。

 卒業という今日の晴れの舞台にまさにピッタリだな、と口元を緩めながら時計に目を落とす。


 ─8時25分!?─


 完全に遅刻だな、と慌てながら昨日の卒業式予行が終わった帰りに山川先生が言った言葉を思い出す。


「明日の卒業式は8時30分までには教室に入っているように」


 ああ、何やってんだ、俺。どおりでともに歩む生徒がいない訳だよ。・・・・・・今さら急いでも、悪あがき。だが諦めない、全力で走ろう。俺のいない卒業式なんてみんな嬉しくない・・・・・・はずだ。

 いつもながらポジティブな自信をバトンがわりに受け取って俺は走り出す。自分が風になったような軽やかに吹き抜けるみたいに進んでいく。目指すは3年A組の教室だ!




 霞ヶ丘高校第40回卒業式と白紙に書かれた校門を横目に、静まり返った通用口へ突き進む。下足箱で履き替えたっけか?なんて、そんなの些細なこと、と急いで2階への階段を上がった。

 時計を確認すると、8時40分だ。10分過ぎたがクラスから賑やかな声が聞こえてくる。さては最後のホームルームは笑いで締めくくるつもりか、山川先生よ。

 そっと教室の後ろの戸に回り、戸越に覗いてみた。


 ─あれっ!─


 着席していない生徒もいる。先生は・・・・・・いない。ははあ、運は俺に傾いている。静かーに戸を開け教室に入るが後ろめたさか、忍び足になってしまう。着席して隣の倉石に、


 ─おはよう─


 と小声で到着を伝えた。


「ちげーねぇ」


 ハハハ、と倉石は俺に目を向けず、前の席の柳沢と何かの話題で盛り上がっている。

 こんなに騒いでいると隣クラスの菅野先生が「うるさーいっ!」て、怒鳴りこんできちゃうよ、いつもの青筋立てて。にしても山川先生どうしたのかな、卒業式の準備に手間取ってるのか。それとも・・・・・・もしかしてという状況が浮かんだので、


 ──ねえ、山川先生遅刻かな?──


 早速倉石に聞いてみた。俺が言えたセリフじゃないけど。


「だから、ホントだってよ」


 そう言って倉石は手を叩いて笑い出した。つられて柳沢も手を叩き、腹を抱えている。


 ──なんだよ、無視かよ!──


 わざと聞こえるように言ったつもりだった。それでも反応してくれない冷たさに、卒業しちゃえば友情なんて春の雪解けのように消えてしまうのさ、と言い聞かせ、まだ見ぬ4月からの新生活に期待を膨らませる。・・・・・・あれ?俺って4月からどこに進むんだっけ?


 ─えーっと─


 見上げると、手が届くまでに天井が迫っている。

 何々?!遅刻で無視されて、自分を気づかせようと机をお立ち台にしたのか、とこの教室を見下ろす状況を冷静に分析してみた、って思うことにする。


『ガララ』


 戸が開く音がして、ようやく担任の山川先生が入ってきた。


「先生、すごく似合ってる」


 女子の高い声に、男子の唸り声がかぶっている。ざわつきながらちゃんと席に座りだすクラスのみんな。見下ろしている俺を真っ先に見つけ、「こらっ」と最後のお叱りしてくれそうなのに先生は教卓で立ち止まったままだ。

 でも、青地に花柄の袖が袴姿と重なってとても似合ってますよ、山川先生。んっ?顔色悪いな・・・・・・体調悪くて遅れたのか、な?


「先生、どうしたんです。具合悪いんですか?」


 委員長だった山瀬さんが聞くと、ようやくクラスが落ち着きだしたようだ。ああ、やっぱり山瀬さんは女神のように優しい。


「──てね」


 山川先生は掠れた声ではっきり聞こえない。


「えっ?聞こえませんよ、ホントに大丈夫ですか?」


 すかさず山瀬さんが聞き返した。クラスもまたざわつき始めている。


「落ち着いて、聞いてね」


 力なくそう言うと山川先生は深く息を吸う。


「日雲くんが今朝、亡くなった」


 意味の分からないことを言った。クラスが静かになる。


『えっー!!』


 沈黙はクラス皆の悲鳴で突然に破られた。・・・・・・って、


 ──俺っ!?──


 大声で叫んだつもりだった。

 ここに居るのにって悪い冗談だと、周りにツッコミを貰うため必死に自分の顔を指差し続けた。でも、だれも俺を見上げない。

 ああ、そうか。机に乗っているんじゃなく、俺って浮いてるのか・・・・・・。目の前が真っ白になる。

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