長すぎる大人の階段
痛瀬河 病
第0話プロローグ
おそらく彼女は笑っていた。
僕はそう記憶している。『おそらく』をつけたのは僕が今まで見てきたどの笑顔よりも美しかったので、本当にそれが笑顔と呼んでいいものなのか自信がなかっただけだ。
歯が浮きそうなのは分かっている。
彼女の真っ直ぐな透き通った瞳が、僕を捉えて放さない。
ただですら、その綺麗な瞳に見つめられて動かないのに、次に彼女の桜色の小さく整った形の艶やかな唇から洩れた言葉が、僕の身動きを更に拘束する。
「私を大人にしてね」
思春期、反抗期、発情期、モテ期、様々な時期が交差することも珍しくないであろう高校一年の春。
取り敢えず彼女の唇と言葉に色っぽさを感じ、言葉の裏を邪推した僕が発情期なのは確定なのだろうが、なかなかどうして得てして中高生の思考など大抵が妄想である。
それが中高生男子なら、イチローもびっくりの十割といっても過言ではないかもしれない。
この時も例外に洩れず、これから起こる高校生活のことなど都合のいい妄想ばかりしてる僕には微塵も想像出来なかった。
僕はこの笑顔に騙されたのかもしれない。
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