第7話突然疾走
僕が部室を出ようとすると、深会先輩も今日は帰るらしく、身支度をして部室を出ようとする。
一足先に部室を出ると、すぐに部室から深会先輩も出てきて、部室の鍵を締める。
こちらに気付くと、
「あら、待っててくれたの? ありがとう」
「……紳士ですから」
そんな深会先輩の素直なお礼の前には下手な照れ隠しをするのがやっとだった。
また長い階段を降りて、部室棟から校舎の方に帰ろうとすると、校舎側から誰かが凄い勢いで走ってきた。
その人影が僕らの前で急ブレーキをかけて止まった。
「ハーッ、ハーッ…やっと辿り着いた」
両膝に手をついて、肩で息をしている伊勢だった。
「どうしたんだよ、伊勢? そんなに慌てて」
「あんたがその女に連れていかれたから、慌てて追いかけてきたんでしょうが‼」
声を荒げる伊勢に対して、深会先輩は不思議そうな顔をして首を傾げる。
「変ね。それにしても時間のかかり過ぎじゃないかしら。部室棟まで校舎から五分もかからないはずよ」
その疑問は一瞬で解けるので、僕が深会先輩に耳打ちをした。
「伊勢は、かなりの方向音痴なんです」
「あぁ」
正直、自力でここまで来れただけでも、大したもんだ。
深会先輩は、まだ息の整ってない伊勢に声を掛ける。
「わざわざ出迎え御苦労様。アマ。帰っていいわよ」
「誰が出迎えじゃ! て言うかアマって呼ぶな‼」
お前も、僕が何回ビックリ箱って呼ぶなっていっても、お前も聞かないけどな。
「でも、やることは全部済んだから本当に帰っていいのよ」
深会先輩は、手首でシッシっと猫でも追い払うかのような仕草をする。
「ハッ? 何が済んだのよ?」
伊勢が、深会先輩の追い払う仕草を無視して、疑問をぶつける。
「何って笹箱君の入部手続きに決まってるでしょう」
深会先輩が、小さく肩をすくめて「何言ってんのこいつ?」みたいなポーズを取る。
「……笹箱に何かしたの?」
ここで一旦キレることやめ、冷静になる伊勢。
ここが、かろうじて獣と伊勢の違いともいえるかもしれない。
何か獣的直観で違和感を感じ取ったのだ。
……結局獣じゃん。
「何もしてないわ。平和的な話し合いの末、快く入部してくれたわ」
「笹箱は、高校の部活をかなり決めかねていたわ、そんなあっさり決めるはずないでしょ」
バチバチ❘❘両者に火花が散る。
「どうなの、笹箱?」
「何も問題なんてないわよね、笹箱君?」
ヤバイこちらまで火の粉が回ってきた。
二人が、こちらに向き直る。深会先輩に至っては、レアな笑顔付きだ。
……目が笑っていらっしゃらないけど。
「……はい、入部しました」
蚊の鳴くような声とは、今の僕の声ぐらいの音量のことを言うんだと思います。
「なにか弱みでも握られたんじゃないの?」
伊勢が、訝しむようにこちらを注視する。
「なっ、なんでもないよ。僕が心から望んだことですよ。はい、マジで」
慌てて手をブンブンと振って、目線を逸らし、口笛を吹く。
金に目がくらんだなんて、言えないしな。
「正直に言いなさい」
伊勢は、僕のハリウッドスター張りの名演技もあっさり看破して、こちらに詰め寄ってきて目力を強める。
「いや、昔から映画作りに興味があるって言ってたじゃん」
「初耳よ! そもそも、この部映画作ってないし。と言うか、あんた面白そうな映画がとかあ
っても『どうせ二、三年後には地上波で見れるし、わざわざ金払って今見たくねー』とか言って、私が何度映画とか誘っても来ないじゃない!」
最後の関係ない気がしますんで、そんな恨めしそうな目で見るのやめてね。
うーん、そうなってくると、もう入部する言い訳がなくなってくるな。
どんだけ、栄華部中身スカスカなんだよ。
ここは、古今東西ありとあらゆる言い訳をし尽くしてきた僕の実力を見せる時がやってきたか。
「いやー、実は深会先輩があんまりにも美人さんなんで、ついつい入部しちゃった(テヘッ)」
最後に、冗談めかして言うところが肝である。
多少恥ずかしいが、思春期にありがちな入部理由だし、本当のことをばらしたら不味いだろうから、深会先輩も秘密を守るための嘘だとわかってくれるだろう。
ちらりと、深会先輩の方を見ると両手で自分の体を抱くようにして、顔を赤らめながら、なおかつ目は軽蔑するようにこちらを見るという器用なことをやっている。
わかってるよね? わかってくれてるよね? あなたのために就いた嘘なんですけど。
ピキッ―何かの切れる音がした気がした。
多分、伊勢さんの血管が切れた音かも。
だって、その証拠に目の前の伊勢が、何か目に見えないどす黒いオーラを撒き散らしてるもの。
おらゾクゾクしてきたぞ。
「へぇー、あんたそういう子が好みなんだー。そんな表情筋の死んだ、元気という言葉をベビーベットに置き忘れてきたような奴が?」
こうなった時の伊勢の罵倒は、少々独特である。
例えどんなに欠点のなさそうな人からでも、罵倒を生成する悲しき怪物モンスターになってしまうのさ。
「おっ、落ち着けって伊勢」
このままでは、伊勢と深会先輩の第二ラウンドのゴングが鳴りそうなので、僕は慌てて伊勢を諌める。
そんな僕らを見ていた深会先輩は、何かを悟ったのか、きらりと目を一瞬光らせ、フッと微笑して
「あら、ごめんなさいね。私の部員の笹箱君があなたに迷惑を掛けたみたいで、私の部員の笹
箱君はまだ至らないところも多々あるけど、これからも私の部員の笹箱君と仲良くしてくれる
と嬉しいわ」
やたらと、私のを強調する深会先輩。あと部員のところは、気持ち小さく言っています。伊勢は、肩をわなわなさせている。爆発するか?
「……グスッ、もう帰る。あんたは、せいぜいその女の無表情を定点カメラでも使って、いやらしく観察してればいいじゃない」
予想が外れ、伊勢は校舎の方に、とぼとぼと肩を落として歩いて行った。
その光景を、深会先輩と二人でNHK特集の山に帰る熊でも見るような気持ちで見送った。
「ねぇ、笹箱君。伊勢さんってあなたのことが好きなんじゃない?」
深会先輩は目線はこちらに向けず、真顔で思ったまんま事を直球で口にしてきたので少々面喰ってしまった。
「さぁ、小さい頃からの遊び相手をとられて、機嫌が悪いだけなんだと思いますけどね」
「それ、本気で言ってるの?」
「どうでしょうね」
世の中、ブラックボックスに閉まって置いた方がいいことなんて山ほどあるのだ。
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