霊刀少女伝 ヒギリ

いち亀

起:漆駆

 月明りも満足に届かない森の中。地面から二丈ほどの、松の枝の上で。木々の間を歩き回る足軽たちから身を隠しながら、緋桐ひぎりはじっと時を待っていた。無理に息を潜める必要はない。木や土や鳥たちの音に紛れられれば、感づかれることはない。

 少し離れた木から、小枝の折れる音がする。この隊を指揮する宇雀うざくからの合図だ。いよいよらしい、緋桐は心を整えてから、敵の狙いをつける。

 呼吸を五度ほど数えると、突然に鳥たちがけたたましく騒ぎはじめた。鳥が嫌がる薬を鹿鋸かのこがまいたようだが、策通りに効いたのだろう。それを合図に、注意の逸れた斜めの下の足軽へ向けて飛び降りる。宙で組み付き、そいつが襲われたとも分からぬうちに、首元の脈を紐で絞める。同時に足を使って腕の動きを封じ、気を失うのを待つ。

 もがいていた敵が静かになってから、近くの木の洞へそいつを連れ込み、鎧を剥いでから手足を縛って、口を手拭いで封じる。これで息を吹き返しても、身動きは取れないはずだ。腹は空くし冷えるのは辛いだろうが、死ぬよりはましだろう。

「全て落とせたな……千隼ちはや、周りを」

 戦況を確認しながら、宇雀は命じる。

「はっ」

 答えた千隼は、木の幹を駆け上がってから周りを見渡す。里では彼女のような者を「風士かざし」と呼んでいるが、よそでは「忍びの者」などと言われているらしい。

「皆、殺さずに済みましたか」

 緋桐の問いかけに、一同は頷く。

「鹿鋸の薬が功を奏した故な……しかし忘れるな六代目よ。障りとなる者は迷わず殺せ」

 宇雀の念押しに、緋桐は……「緋桐」を受け継いだ少女は、しっかりと頷いた。

「心得ております。氷錐ひぎりを授かりし日から、覚悟はとうに」

 腰に差した脇差の感触を確かめながら、自らに言い聞かせるように。

 高くからの偵察を終えた千隼が、木の上から舞い降りる。

「報告します。ここより四方、一町の間に兵は見当たりません。五町ほど先から、陣が組まれております」

「ご苦労。では定めた通りに。できる限り陣まで近づいてから、八番隊を待つ」

 宇雀の下知へ、各々が返事をする。

 霊刃衆たまばしゅう・十二番隊。六代目となった緋桐が加わってから、初めて迎える討ち入りである。


 *

 霊刃たまば

 それは古来より受け継がれてきた、神の御霊みたまを宿した武具。

 霊刃を製する技術は、人間の作った武器では太刀打ちのできない鬼や妖魔を討つための術として、太古の昔に神より授けられたという。それより幾世紀にも渡り、俗世に伝わることのないよう密やかに、製法や戦術を研鑽し継承していく里があった。彼らは自らを「霊刃衆」と称し、里には霊刃を隠して「玉場たまば村」と名付けた。

 数百年前まで、この国では鬼たちがたびたび襲来し、その度に数えきれない民たちが人知れず命を落としていった。しかし国中を駆け巡り、鬼たちを討ち果たしていった霊刃衆の闘いにより、次第に鬼の脅威は鳴りを潜めていった。

 だが時が経つと、闘いの火種は思わぬ所から生まれてきた。

 この国では数十年前から、国の統一を目指して地方の豪族たちが争いを続ける戦乱の世となっていた。それだけであれば、霊刃衆が関わることではない。玉場村に危機が及びさえしなければ、それまで通りの日々を送れば良かったのだ。


 ある年のこと。見聞を広めるため長い旅に出ていた狗錆くさびという者が、こんな話を村へと持ち帰ってきた。

「村の外では、数えきれないほどの人間たちがずるずると殺し合いを続けている。我々の圧倒的な力を、徳のある君主へと託して戦えば、この国を平安へと導けるのではなかろうか」

 無理な話ではない。人外の力を持つ霊刃衆は、他の人間たちに負ける道理がないのだ。しかし彼らは太古より、力を俗世に知られることを忌み続けていた。霊刃とは、神の力である。神の意に反して力を振るう者が増えれば、やがて神は人間を見捨てるとも考えられる。そうなれば最後、次に鬼たちが現れた時に抗う術はない。

 よって狗錆の考えは皆から否定されたのだが、彼は頑なに自らを曲げず、ついには村を飛び出し、村からの追手を振り切って行方を眩ました。

 それからまた季節が巡るうちに、狗錆から霊刃衆の存在を聞きつけた豪族の軍が村へ押し寄せてきた。彼らは村に力を貸すよう要請したが聞き入れられず、やがて闇に紛れて村の人間たちを攫うようになっていった。

 霊刃の力が戦に用いられるようになると、さらに多くの者がそれを求めるようになる。こうして霊刃衆による、同胞を奪い返すための闘いの日々が始まった。


 *


 闇夜に紛れつつ森の中を進み、敵陣の様子が充分に伺える位置まで来た。後は別方向から陽動を掛ける八番隊を待つだけである。緋桐ひぎりは風が運んでくる音に耳を澄ませながら、頭の中で手筈を繰り返す。

 八番隊の「雷鎚いかづち」により兵たちの注意を引き、そちらへ軍勢の主力を差し向けさせる。その間に緋桐たち十二番隊は敵陣を抜け、その先の屋敷へと踏み入る。そして、屋敷のどこかにいるはずの将、奥我おうがを見つけ出す。

「隊長、改めて聞きますが。奥我を殺める許しは、鍛司かぬし様から出ているのですね?」

 管槍くだやりの使い手であり、緋桐の幼馴染である八郎はちろうが宇雀へと訊ねる。

「そうだ。いかに奥我がこの地の要であろうとも、奴は暴れすぎた。我々の手によって勢力が崩れる害よりも、再び奴が霊刃を使う害の方が大きいと、鍛司様は判断された」

 鍛司とは、神の御声を聞き霊刃衆の総意を決定する人間であり、今は二十一代目である。

「使い手が霊刃衆から離反する意思だったとしても、ですか」

 鹿鋸が苦々しく聞いた。

「ああ。同胞であろうと、背信の者には容赦するな……だができれば生きたまま捕らえろ。叶わぬなら殺すのもやむを得ん」

 

 発端は六日ほど前に遡る。

 奪われた同胞の行方を捜すべく方々を巡っていった者たちの一人から、明らかに霊刃が使用されたという戦についての報せがあった。北方で頭角を現していた将である奥我の軍が、かねてより領土を争っていた朝葱あさぎ氏の軍勢と正面からぶつかり、圧勝した。この時に朝葱軍の部隊は、幅にして五町、高さは六丈にも及ぶ炎の壁に襲われ、総崩れとなったという。その炎は人間の火計によって起きるようなものではなく、意思を持つかのように自在に動き、千を超える兵たちを瞬く間に呑み込んだということから、鍛司はこれを霊刃の術によるものと断定。奥我から霊刃とその使い手を奪い返す任を、八番隊と十二番隊へと授けた。


 ふと、腰に差した氷錐ひぎりから気が伝わるのを感じる。霊刃同士の共振だ。

厳土いかづち殿が術を始めるようです」

 緋桐はそう報告しながら、髪を結わえ直す。

 その数呼吸後、南の空で雷鳴が轟いた。一里近くも離れたこの場所でもこれだけ大きい音なのだから、より近くにいる人間は間違いなくたたき起こされるだろう。また陣の至る所には雷が落ち、火の手が上がっている。霊刃「雷鎚」によるものだ。

 ほどなくして、兵たちが慌て騒ぐのが聞こえてきた。落雷により混乱する陣へと八番隊が斬り込み、派手に暴れているのだ。十人ほどではあるが、まともに捉えれないほど速く動き回り破壊を引き起こしていけば、どこかの勢力の忍びによる夜襲だとでも思いこませられるだろう。

 やがて、陣の北側から兵たちが動き出すのが見えた。

「よし、行くぞ」

 宇雀の声で、十二番隊は足早に進み始める。しばらく行くと、一町ほど先に見張りの兵たち。

「八郎、玖滝くだき、行け」

「はっ」

 二人は先ほどの足軽たちから剥いだ甲冑を身に着けている。自らは奥我軍の兵であり、見張りに出ていた所を襲われて逃げ帰ってきた……という筋書きで、怪しまれずに接近するためである。その後、偽の情報を伝えて目をそらさせ、後の隊が潜り込めるよう攪乱するという手筈だったのだが。

「おうい! 敵襲だあ!」

 そう叫びながら向かってくる二人を、見張りの兵たちは迎え入れようとしたかに見えたが。その背後から、ざわめきと共に別の部隊が駆けつけ。

「――なんでっ!?」

 格好は味方であるはずの八郎と玖滝へ向け、次々と矢を射かける。二人は素早く岩陰へと身を隠したため傷はないが、策は大きく狂ってしまった。

「騙されるな!その者らは我らを欺き、殿の首を狙う曲者である!逃さず殺せ!」

 足軽大将だろうか、格上らしい者がそう叫んでいる。要は、我々の存在は見破られていたということらしい。

「あちらに遠視とおみの者でもいたか……なるほどな、であれば致し方ない」

 宇雀はそう言うと、刀を抜く。

「これより敵陣を切り抜け、奥我を強襲する。殺しも厭うな」

 霊刃衆が闘いにおいて最も恐れるのは、敵に捕らえられること。次いで命を落とすことである。無用な斬り合いは避けるべく、まずは隠密に動くものの。ひとたび衝突した後であれば、手向かうものには容赦しない。

「爆ぜ筒を」

「はっ」

 宇雀の指示で、鹿鋸が火薬など種々の粉末を詰めた筒を取り出し、宵知よいちへと手渡す。彼女は受け取った筒を矢に括り付け、敵陣へ放つ。放たれた筒は狙い違わず、一町先の敵兵たちの足元へと運ばれ、爆ぜて兵たちを吹き飛ばし、煙をまき散らす。

「参るぞ」

 宇雀が駆け出し、緋桐たちが続く。

「はっ、ご武運を」

 宵知は彼らを見送りながら、再び弓を構える。


 疾走して一気に間合いを詰める。煙が晴れ、立ち直った足軽たちが慌てて弓を構えるが。

「遅いっ!」

 宇雀が爆ぜ筒を投げ込む。先ほどのよりは威力を抑えた爆発だが、しかし動きを止めるには十分だ。その熱を頬で感じながら、緋桐は敵陣へと踏み込む。

「うろたえるな!ものども、槍衾やりぶすま!」

 号令に従い、十人ほどの足軽が槍を揃え、こちらへ突き出す。思いのほか隙がない構えだが、その手はとうに読めていた。

「はっ!」

 緋桐は右足で地を蹴り、一丈あまりの高さまで跳び上がる。そして弧を描いて槍の柄へと跳び乗る。重みに耐えかねて構えは下がり、穂先が地に付く。柄を足場に再び跳びながら脇差「氷錐」を逆手に抜き、真正面の兵の首を掻き切って着地。氷錐に篭められた御霊みたまへと、念を送る。

「出でよ、氷錐よ――」

 兵たちは慌てて槍を捨て、刀を抜こうとする。緋桐はそれより速く、血に濡れた氷錐を地へ突き立てる。

「――凍草いくさ

 兵たちの足が凍り付く。ある者は悲鳴を上げ、なす術もなく刀を落とす。別の者は痛みに耐え、小刀を抜いて緋桐へ投げつけようとするが、すぐに平衡を失って倒れる。足さえ封じるだけで、大方の武器は扱えないのだ。

「おのれぇ!!」

 別の兵が、槍を突き出してくる。左手に抜いた鎌で穂先を逸らしてから懐へ入り、右手の氷錐を首へ突き立てる。そのまま辺りへ目を配ると、緋桐へと弓を構える兵たちが見えた。氷錐を抜き、空を切り払う。

氷風ひかぜ

 氷錐の刃先に沿って、雹を含んだ突風が生まれ、弓兵たちへと吹き付ける。彼らが打ち倒されたのを確かめてから、周りの戦況を確かめる。

 怪力の持ち主である玖滝は、陣屋を支えていた柱や杭を捥ぎ取って投げつけている。あちらこちらで、木材の下敷きになった兵がもがいていた。次々と馬が逃げ出しているのは、馬小屋へ乗り込んだ千隼ちはやの仕業か。

「おうらあっ!!」

 管槍をぶるんと回し、兵たちを薙ぎ倒す八郎。油断なく構え直すが、他の者は恐れをなしたのか向かってこない。

「もうよかろう、進むぞ」

 宇雀に従い、陣の奥へと足を向ける。

「ものどもぉ!! やれぇ!!」

 肩の傷口を抑えながら、足軽大将が喚く。しかし大方の兵は傷で動けず、そうでない者も腰が抜けている。その中で一人が鉄砲を構えるのを見て、緋桐は苦無へと手をやるが。

「うがあっ」

 それより先に、胸を矢が射貫く。遠くから様子を見ていた宵知が放ったのだ。

「貴様ら!」

 宇雀が呼びかける。

「追わぬのなら命は助けてやる、だが邪魔立てする者の命はないと思え……参るぞ」

 

 

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