第1章

 月の匂いがする。

上等のアイスクリームのファミリーパックの蓋を開けた時の、匂い。

強いて例えれば、そういう匂い。

 あ、今夜は三日月だな、とか感じた一瞬後には、ぶわっと熱気に包まれる。

七月の宵の風。小さく深呼吸をして、ぼぅっとした黄金色に包まれた鋪道に踏み出した。




 西暦2000年。ノストラダムスの予言した「恐怖の大王」は訪れず、

結局何事もなく地球は21世紀を向かえる準備を着々と進行した。

 1999年の大晦日のカウントダウン以来、

半年以上経っても、夜の街ではお祭り騒ぎが続いていて

電飾やら音楽やら

人々の笑い声が、深夜まで絶えることが無い。

まぁ、1999年の、あの痛い程に張り詰めた街のムードを思い出せば

こんな風景を見られることを、とても幸せに思えるのだけれど。

 ビルのすぐ前はかなりの幅の大通りで、

中央のグリーンベルトがちょっとした公園になっている。

ここを突っ切ってしまえば、友人と待ち合わせているバーまでは15分もかからない。

 公園の真ん中あたり。

巨大な電波塔の前を通り過ぎようとして、

立ち止まる。振り向く。

今のひと…今の女性(ひと)は!


 振り返ったそこに、やはり目を大きく見開いた

彼女がいた。

知らない。

こんな女性、"知らない"のだが。

「あなた…まさか」

 まわりの空気まで震わせる…弦楽器系の声だな。綺麗なロイヤルブルーのボディコンシャスのワンピースに

ストレートのロングヘア。

この街にはざらにいる、

当たり前の美人。

彼女はどうやら僕を知っているようだけど。

 知らぬふりをすることに決めた。

くるっと振り向き、もとの方角へと、歩き出した。

本当に、僕は彼女を"知らない"のだ。

もしかすると彼女は僕の事故以前を知ってるのかもしれないが。

もしそうなら、正直言って何となく面倒。

 …彼女は…追い掛けてこない。

公園の出口で振り向くと、

心残りがありそうな感じで、

あちらも何度も振り返っている。

 何故だろう。僕は彼女の顔に覚えは無いのに。

こんなにも心臓が脈打つのは。

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