第六動
卒業時はやや不況で就職に迷ったが、当時大学講師をしていた父親が、中堅議員だった上田哲哉の参謀格だった関係で、上田に仕事を斡旋された。
当時の防衛省関係の広報誌の、関西支局勤務である。そこで数年は一応まじめに勤めた。彼に転機が訪れたのは、防衛省が募集した研修論文に応募した時からである。
田巻は二つの短い論文を送った。一つは太平洋戦争の敗因の大半が、陸海軍の鋭い対立にあると言う、昔から言われていたことに関するもので、今後自衛隊も「統一組織」として運用すべきと言う、比較的まともなものだった。
その頃すでに、国防力統合は密かに研究されていた。
もう一本は所謂「超能力」実在の可能性とその軍事面での応用という、SFじみたものだった。
そして意外にもその方面においても、昭和の頃から防衛大学校などで密かに研究が進められていたのである。
連続震災前後の防衛力統合で日本国統合自衛部隊Japanese Unified Self-defense Troopsが誕生したあと、やはり上田の応援もあって情報統監部特別雇員、ついで正式な武官となった。
入隊以来情報統監部に身を預けている。彼の陰険な謀略好きが、そう言う方面の「作戦」を忌避しがちな組織において、重宝がられていた。
人は彼を謀略参謀などと呼び、恐れている。
ともかく今回も田巻の隠蔽工作は、ほぼ成功した。彼が大金を使った「ラインハルト計画」が今回も功を奏した。北陸における事件は、「ロシア極右団体に雇われた傭兵」の犯行として、発表されたのである。
「犯人らしき外国人」の死体がトンネル内から発見され、警備側にも「多少の」犠牲者が出た。大統領コンドラチェーンコ博士はかすり傷一つなく、予定より数時間おくれて同日夕方、ロシア連邦防空軍の特別機で帰国した。
両国首脳は「会談は実り多いものだった」と口をそろえた。
精神感応された倉橋は、上田のはからいによって職務中の殉職として扱われ、他の犠牲者と同じく手厚く葬られた。また来島の強い希望で、遺族には充分な補償が約束された。
事件は完全に「公的に解決」した。が、真相を知る者にはこれからが本当の戦いなのだ。
こうして事件に役所的組織的「ケリ」がついたあと、スガル部隊三人は小林から正式の説明を受けた。初実戦から一週間目の昼下がりだった。
「ではあの、事件は隠蔽されるのですか」
夢見は、「休め」の姿勢のまま、やや前のめりになった。事件直後は呆然とし、やがて数時間激しく泣いた。
数日間は不安定のまま過ごした。しかし事件前に比べ、感情の起伏がはっきりとしていた。あいかわらず他人の視線をさけるが、閉じこもることはない。
小林は例によってカーキ色のシャツの下から、黒い下着をチラつかせている。
「なんて言って発表すればいいのかしら。精神感応された将校が、ミサイルでロシア大統領暗殺をはかった。操った相手は不明だって?
倉橋君は犯罪者になるわ。それよりも、うまく納めたほうだと思うわよ。さすがタマちゃん。ご家族にとっても、名誉の殉職ですから」
「やはり田巻一尉の得意技ですね。隠蔽と謀略は」
一佐課長は、怒った表情の来島を見つめて妖しく微笑んだ。
「そう。上田万年大臣の『草』である彼の。でも、いいこともあったじゃない」
ゆっくりと夢見に近づき、艶かしい手つきで顎をなでる。
夢見は悪寒に耐えた。香水の匂いが強い。
「閉じこもってた夢見ちゃんの心が、やっと出てきてくれたわ。
アドレナリンが分泌されると、気鬱なんてふっとぶのよ。ポテスタースも活性化されるのかしら。これからの研究課題かもね。
そして男を知ると……ふふふふ。ともかくケガの功名って奴ね」
夢見は不愉快だったが、確かにあの「声」によって自分の何かが呼び覚まされたのは確かだ。
「声」は、以前偶然に来島の「通信」を傍受してしまった時よりも、強烈だった。来島のものとは違った緊張感に満ちていた。
しかし一度破壊された心の壁を修復するのには、時間がかかる。夢見は苛立ちと暗澹たる怒り、苦い悲しみの中で日常に立ち向かうことを強制されていた。
小夜は例によってすんなり回復し、心の中でなんとか事件を客観化しようと努めている。課長副官の富野一尉は、週刊誌大の情報端末を手にして立っていた。
「まだ確認は出来ていないが、強烈なポテスタースが事件前後に確認されている。富士で観測された電磁波霍乱と似たパターンも残っている。
PSNが通常の電磁波にどう影響を与えるかは、まだ未解明だが」
「もういいわ、一尉。敵が例のミネルヴァであることは確かよ。
問題は………………」
小林は高価な香水の香りで強い体臭を消している。夢見は鼻がむずむずする。
「ふふ、あなた初陣にしては大活躍ね。たいしたものね。
どう? 少しは自分に自信がもてた?」
「その…じ、自分は何も出来ませんでした。隊長に命令されても発砲出来ず、もう少しで……。
ただあの、誰かが自分の頭の中に、助けを求めて来たんです。強力な思念で」
「そう。問題は誰が夢見ちゃんに助けをもとめたか、よ。
三尉も二曹も感受することの出来なかった精神同調を、あなただけが受けたから、細い目の国防大臣もロシア大統領も無事だったのよ。大手柄ね。
あなたはやっぱり最高のPSNを持っているのよ。ちょっと情緒不安定で精神が弱いけど。
こんな秘密任務じゃなければ、一階級特進ものなんだけど、残念ね。
ま、微笑みの寝業師にはせいぜい恩を売っておくから、任せておいてね」
三尉は鋭い語調で尋ねる。
「いったい何者が、危機を知らせてくれたのでしょうか」
課長小林一佐は、執務机の上に腰を下ろして長い足を組んだ。
「さあ。大統領の側近にもスペリーがいるらしいけどね。詳しいことは薮の中。総てウワサ。ともかく夢見ちゃんがいなかったら、もっと多くの人間が傷ついてたのは確かよ。
自信を持って、これからもよろしくね」
「あ、あの…………自分は」
倉橋の一件もあって、数日間悩み抜いていた。義務放棄といわれても、パイロットになる夢を潰されても、このままでは精神が本当に参ってしまうかもしれない。
「それとも一切手をひいて、その結果もっともっと多くの人間を死なせたい?」
その目は笑っていなかった。夢見はひきつった表情のまま硬直していた。
その夜、築地にある高級料亭「佳つら吉朝」に、
宴席は上田国防大臣が私的に催すもので、命と日本の国際戦略を救ってくれたスガル部隊に対するお礼だった。上田は統合自衛部隊発足以来、数度の国防大臣をつとめている。
小林は例によって、娼婦まがいの派手で大胆ないでたちと濃い化粧で現れ、同席した
石動統監部長のお供は、上田が後見人である田巻一尉だった。
今回の事件の最終報告書をまとめつつある。性格の陰険さはさておき、文章力には一定の評価があった。
「本当に小林先生には、世話になったな。
あのベッピン部隊は大したもんだがや」
まず上田は何度も礼を言い、小林のセクションと「勇猛果敢な乙女たち」に「格別の御高配」を賜ると約束した。それを聞きつつ、田巻は密かにほくそ笑んでいる。
医務一佐はわざと深々と頭を下げる。大胆すぎるドレスの胸元から、張りのある乳房がほとんど露出した。上田は焦り、密かに喜んだ。
「し、しかし不思議なもんだなや。
田巻君も言うておったが、なぜポテスタースのあるのは美女に限られるのじゃろうな。彼が集めた他の候補者もそうじゃった」
「神様はいじわるだから、一人に二物も三物も与えるんですわ。
それに昔から、巫女とかシャーマンは美しい乙女ときまっていますから。見苦しいオッサンに超常の力を与えるほど、神様は悪趣味じゃなくてよ」
小林は例の妖艶かつ危険な微笑みを浮かべ、策謀家の一尉を見つめた。
田巻は、やや不機嫌そうに酒を飲んでいる。歳はあまり変わらないが、階級は三段階も違う。
「でも、手を出すのは御法度よ。なぜかポテスタース・スペルナートゥーラーリスは、清い乙女でなくなると、消えちゃうみたいだから。ね、タマタマちゃん」
女に縁の乏しい田巻は赤面した。上田はたいそう興味深そうな顔を見せる。
「ほう。そりゃ妙な性質だな」
「あら、ご存知なかったかしら。急速に弱まるようですわね。
これで昔から、神に仕える女性に絶対の純潔が求められたわけが、わかるような気がしますわ。どう言う仕組みかはこれからですけど。多分妊娠時、無意識に胎児に影響与えるからかも。
それが判ってるから、田巻クンも手が出せないのよね!」
田巻は酒を吹き出しそうになる。
「な、なんちゅうことを……そもそも部隊設置を提言したのは僕ですし、家族もちの僕が未成年に手ぇだそうなんて、いくら一佐殿でもあんまりですわ」
「ふふ、赤くなっちやって、アヤしいぞぅ……」
上田はそのあと、来月にせまった事務レベル会議について述べた。
ミネルヴァ一党は必ずや会議妨害に乗り出すだろうと危惧する。これで諦めるはずもなかった。
「その時も是非頼むよ。やっとロシアを説得したんだ。アメリカさんも了承してね。なんとしても我が国主導で、協議を成功させにゃならんからな」
「ふふふ、お任せ下さい。そのかわり、研究費用追加の方もよろしくお願いしますわね」
小林は図に乗ってどんどん酒を飲み出した。酔うとますます妖しくなる。
ほどほどのところで田巻は、別室に待機している富野を呼んだ。無表情な一尉は慣れた様子で上官に肩を貸した。冨野は妖艶でグラマラスな上官を連れて、戻っていく。
「いつもいつも大変やな。うらやましくもあり、気の毒でもあり。
ま、おまはんやったら、毒牙にかかっても免疫あるやろうけどな」
「……貴様も謀略や非合法工作ばかりに手を染めていると、毒無しでは生きていけない体になってしまうぞ。いくら為政者のご用達とは言え」
鋭い眼差しでそう言うと、車で戻って行った。田巻己士郎は不愉快そうにため息をつくと、離れの部屋へと戻って来た。
「課長は戻ったのかね」
上田はホッとしていた。一人だった。
「あれ? 統監部長将帥は?」
「携帯テレヴァイザーがかかってきた。席を外しとるがね」
田巻は嬉しそうにまた飲みはじめた。酒に強くなく、すぐ赤くなる。しかし酒は好きで、ほぼ毎日飲んでいる。だが肝臓に負担がかかるほどは飲めない。
「せやけど上田先生、ここだけの話、なんや服部最高将帥閣下はスガル部隊にあまりエエ顔してへん、ちう噂もおますなあ」
「そんなことはないがね。ああ言う部隊の設置を許可したのは彼だがや。
しかし全面的にすすめているわけではないのも確かだ。研究がはじまったばかりのポテスタースを制御するのは結構、ただ兵器として利用するのはけしからんと言うことだ」
「なるほど、総長らしい慎重さや。昔から石橋叩いて壊すお方やったし。
話はとびますけど、先生」
「なんだね。いつも唐突だがね」
「ミネルヴァも問題やけど、あのクライネキーファー家がこのまま世界新秩序なんて許すと、思てはりますか。ホンマもんの錬金術師の末裔が」
「…………石動君も言っておったが、まぁただ手をこまねいてはおらんだろう」
「賢人会議の結果を、なんとか実現しようとしてますわ。それは今までの国際連合の根本方針とまっこうから対立しますやろ。せやけど賢人会議の言う人類継承問題も無視できへん。
種の進化から考えても、そろそろちがいますやろか」
世界救世賢人会議ワイズメン。正しくはワールド・インテリジェント・ソサェティ・フォー・ジ・アースと言い、その略称WISEのメンバーたる世界的な賢人と富豪たちを、ワイズメンと呼んでいる。公表されていない半秘密結社で、主要各国の政財界に多大な影響を与えている。
「継承できる者はいい。大多数は淘汰されるぞ。君もワシも真っ先にな」
「そうとも限りまへんわ」
「どう言うことだがね」
「棲みわけちゅう方法もおますな。別にお互いに殺しあわんでも。
もしもスペリーが継承人類や言うても、まだまだ少ない。全人類は天災と悪疫で減り続けて約六十億人。スペリーは多めに見積もってもまあ、世界で五十人はおへん。日本には多分……十人?
五十人で七十億人類を支配するわけにもいかへんし、現世人類皆殺しにして少数でやって行くわけにもいきまへんやろ。遺伝学的に、繁殖には二万固体ぐらい必要みたいやし」
「つまり、継承人類はまだまだ現世人類を必要とするわけか。
共存出来そうかな」
かつて七十五億を数えた人類は、温暖化による災害激化と、世界的な紛争多発で七十億程度に減っていた。
「まあ、なんとかなるやろ、思てます。いい例が、明治維新ですわ。
文明開花で全く新しい社会システム、文化風習学問にすすんで対応したモンもおった一方、死ぬまでチョンマゲ結うとったんも、仰山いてはった。
西南戦争は別としても、古い連中と新しい文化は共存してましたわ」
「とは言え、人口過剰が自然環境の破滅的情況を招いているのは確かだや。
原君によると、例の極秘賢人会議は環境と資源を回復保全して、新しい人類に禅譲したがっとると言うぞ。そのためには莫大な犠牲が必然的に………」
襖の奥から足音が近づいて来た。二人は会話をやめた。
「失礼しました、先生」
そう言ってから襖をあけたのは、石動だった。田巻は慌てて姿勢を正した。
情報統監部長将帥石動麗奈は東京日本橋で、普通の家の長女として生まれた。兄が一人いる。
女性ながら当時の防衛大に入ったのは、空にあこがれたからだった。まだ民間航空会社では女性パイロットが少なかった。
防衛大ではかなりの好成績を収め、念願通りに航空自衛隊に入った。
当時からその成績と美貌で、マスコミに注目された。国防省の前身たる防衛省は、彼女をPRに利用しようとした。「美しすぎるパイロット」としてアイドル的に活用しようとした。
当時の防衛族の中堅議員だった、上田議員もそれを応援した。
しかし彼女は実力を磨いた。女性初の戦闘機乗りも夢ではなかった。そんな彼女の運命を変えたのは、信頼し敬愛する教官と共に遭遇した「不可解な事故」である。
そのことで彼女の教官は殉職し、彼女は右足をけがした。そしてパイロットの夢はあきらめ、かつ自己のこと自体の口外を厳禁された。事件は普通の訓練中の事故とされた。
その時からこの勇気ある才媛の運命と、世界観は一変したのである。
田巻は立ち上がり、無謀ゆえ腰を折って敬礼した。須藤は正座して、言った。
「……わたくしもそろそろ、失礼させていただきます。
田巻君は、残って先生をお送りしてください」
自ら選んだ道とは言え、夢見はますます人嫌いが酷くなりそうだった。これではなんの為に辛い思いをしてまでジャストに入ったのか。そう思い、つとめて明るくふるまおうとする。しかし一人でいると気が滅入る。
宿舎では隣の部屋がうまく斑鳩小夜だった。夢見より頼りないが、もともと楽天的で大雑把な性格である。この先輩と一緒にいると夢見もほっとする。
上官とは言え歳も一つしか違わず、夢見はついつい時間があれば、小夜の部屋に遊びに行くようになっていた。
この夜も小夜は、国から送ってきた自家製の梅酒をソーダで割って飲ませてくれた。小夜はもう、いつもの彼女である。
「いろいろと辛い目にあうけど、宮づかえだもん、仕方ないわ。
このご時世、親方日の丸の公務員なんて恵まれた方よ。特に私たちは、地方人に顔向けできないわね」
小夜の従兄は越後長岡でサラリーマンをやっていると言う。電子機器の営業だが、公務員には想像できないほど疲れるとしょっちゅうボヤいているらしい。
木訥とした人物のようだ。
「私達、何の因果かしらないけど不思議な力があるじゃない。
始めは自分でも驚いたり、あなたみたいに悩んだわ。でも、今では誇りに思ってる。あなた、昔からそんな力あったの?」
「…そう言われると、あの、いくつかそんなことあったかな、って感じですね。
近所にいじめっ子がいて。覚えてないんですけど、無我夢中で逃げるとき、その子の体が突然宙に浮いたんですって」
「あなたがやったの?」
「あの……その子はそう言ってたけど。先輩はなにか?」
「……後ろの正面だあれってあるでしょ。あれ百発百中だったし、トランプの神経衰弱もすごかった。でもみんなこんなもんだと思ってた」
「不思議な力を持つ人、世界で少し増えてるんですってね。なんなのかな、これって」
「みんながそんな力持っちゃったら珍しくもなんともない。私達も失業かもね」
「……その方がいいかも知れませんね。特別な存在なんて、嬉しくもないです。
だいたいこんな能力、どうしてわたしたちに備わってるんでしょう」
「定め、神様が決めたことかもね」
「それを、わたしたちだけが、受け止めないといけないのですね」
「そうね。わたし、あなたみたいなスラリとしたモデル体型になりたかったよ。
でも父親に似てどうしても脂肪のつく体質でね。スポーツとかバレーもやりたかったけど、この胸が邪魔になって諦めるしかなかったの。
これも運命だし、まあいいこともあるから」
「……はあ」
「田巻のヤツ、ジロジロ見るけど、おかげでわたしのやることには比較的寛大なのよ」
多少心を開き直してくれたことが、小夜には嬉しかった。不思議だが、夢見の「調子がいい」と、小夜自身もなにかしら陽気だった。夢見と出会ってから、小夜の力は強まっていた。
小夜と夢見は小林一佐の用意した特別プログラムを惰性でこなし、日々を過ごして行く。
しかし特殊超常能力PSNの研究開発ははじまったばかりで、責任者の小林といえども何をどうしていいか手探りの状態だった。
ともかく「伝統」に従い、座禅や自律訓練、自己暗示等の精神集中と、基礎的な筋力トレーニングを組み合わせるしかなかった。
そう言ったものをすすめたのは来島である。彼女の家は代々、そうやって「気迫」を強め「殺気」「覇気」を養って来たと言う。
おかげで代々弱いPSNが備わっているらしい。
小夜も夢見も、自らの体内にふつふつと沸き起こる特殊能力の制御が、まだまだ出来ていない。その正体すら実感出来ないのだ。
はじめてポテスタース・スペルナートゥーラーリスに目覚め、研究のために集められたとたん、準備も整わずに実戦にほうりこまれてしまった。
言わば構造も使用方法も判らない最新兵器をもたされ、未知の闇の中に突き放されたようなものだった。
また「はじまったばかり」と言うわりには、基礎的なデータが整理されている。また各種特殊測定機器などもしっかりと用意されている。
理解不能で、脳の「芯」に響く特種検査も頻繁に行われる。夢見にはどこか無気味で不可解なPSN研究開発が、どうしても好きになれなかった。
セントラル・コンピューター・コンプレックス、略してCCCと呼ばれる極超並列型電算複合体には「ブラフマン三世」と言う名前がつけられている。
五ヶ年計画の最終年度を迎え、いよいよ本格的な試験段階に入っていた。
このシステムが完成すれば、我が国の社会システムは文字どおり「頭脳」を持つことになる。
国家の経済計画、国民への各種サービス、その他各種データがここに集中されるのである。まさに「国家脳ハイパーブレイン」だった。その最終的目的は、十年前我が国を破滅の淵まで追い込んだ、大地震の予知である。
またCCCの最深部最高機密ファイルには、いくつもの厳重なセキュリティーに守られた国家最高機密群「アルカーナ・マークシマ」が隠されている。そのことを知る者は、政府中枢のごく一部のはずだった。
麗らかなこの日、木崎正志工学博士は御殿場にあるホテルをいつも通り夜の十時前に車で出た。彼は松江に本社のある山陰電子の主任研究員で、我が国電子工学界の若き権威である。
彼は富士山麓の岩盤奥に建設すすむ、極超並列型電脳ブラフマンの最終実証試験を指揮していた。このところ昼間は寝て、夜を徹して働く毎日である。
作業は三つのグループが夜日を徹してすすめており、木崎が夜間チームを率いていた。
慣れた高原ハイウエーを半自動クーペで走っていると、道端に影が見える。長身の女性のようだが、木崎は何故かそれが知り合いのように思え、車をとめた。
赤いセミロングヘアで長身の女性は、夜にも関わらずサングラスをしている。色白のコーカソイドだった。
女は何もしゃべらず、窓越しに木崎を見つめている。やがて夜間チーム責任者は、ややぼんやりとした顔で言った。
「判りました。中央演算ユニット群に侵入すればいいのですね」
――そうそのセキュリティーを解除してくれればいい。あとは外部から入るわ。
よろしくね」
「……まかせてください、ミネルヴァ様」
木崎は虚ろな目のまま、半自動化クーペを発進させた。富士山麓の林の中につくられたトンネル入り口で身分チェックを行い、広大な地下CCCへと入って行ったのである。
情報第十一課の
定期的な全身検査と、大好きな格闘術の短気集中訓練を受けると、市ヶ谷へ帰還し二人の部下の尻をたたく。何事にも動じず何事にも負けない来島に、生来神秘的な力が宿っているわけではない。
事実彼女の特殊能力は低い。擬似PSNとも呼べる程度だが、それだけに制御がきく。だが我が国最大のポテスタースを持つであろう三等曹長の能力はまだまだ未知数だ。
とてつもない力を秘めているであろうことは、各種調査から推測出来る。
しかしそれがいつ、どう言った状況で発揮されるのかは今後の調査に待たねばなせない。
来島は小林課長から、こんな命令をも密かに受けていた。
「あの子、半覚醒状態ではじめて実力らしいものを発揮したけど、素面の時は恐がってばっかりじゃない。
なんとかあの力を自分でコントロール出来るようになれば、超兵器よ。
必要とあらば薬物や、催眠操作をつかってもいいわよ」
無論来島は、そんなことなど断固拒否した。しかし小林や情報統監部がホップをどう見ているか、おぼろげながら判る気がしていた。
「しかし上田先生。あのケッタイな小林はんや、感情あらへん富野一尉に危険すぎるおもちゃ任して、ホンマよろしおすのん?」
田巻一尉はこの夕方、議員会館近くのホテル・グロリア・インターナショナル東京のメインダイニング特別室で、後見人である上田大臣と早めの夕食を共にしていた。
統合自衛部隊ジャストの情報将校たる彼は、相手が大臣だろうと、上官の命令なく情報を与えてはならないはずだ。だが彼は半ば公然と、国防族巨魁との会合を重ねている。
上田もこの胡散臭く狡猾な男を警戒しつつ、その利用方法を心得ていた。必ずしも政策と理想の一致しない連立与党のまとめ役が、この「微笑みの寝業師」だった。
「………いやわかっとるんだがな。なんせ首相とその、昔ただならぬ関係があったらしくて、あの女だけには手が出んのだがや」
「!そ、そう言うことか。なんとまぁ、あの恐妻家の白瀬首相が。あの色気怪物に太刀打ち出来る奴は、まぁおらへんやろから。ある意味特殊能力や」
田巻と少し上の年齢で、もう一等佐官なのである。
ただ者でないのは確かだった。
「ともかく、我々の当初の目的とは多少ずれたが、計画は順調にすすんでおる。
ポテスタース・スペルナートゥーラーリス部隊が完全にコントロール出来れば、我が国は世界最大の防衛力を手にいれたも同然だ」
「世界新秩序確立の前に、既成事実作っとこう言うわけでんな。
上田センセらしい」
「先進国で、いまだ頑固に表面的非核を貫いている我が国の切り札じゃ。
ポテスタースを完全にコントロール出来れば、例えば飛来する核ミサイルを無力化することも可能だそうだ。いや、発射前に自爆させることもね」
「そうも言われてますが、そりゃ各国が必死になって研究するはずや。
そやったら例のミネルヴァたら言う女、どっかの国の回しモンちがいますか。我が国の開発を妨害する」
上田はじろりと田巻をにらんだ。
「そんな単純な話ではない。もっと危険な存在、と言う話だがや」
「…………なんか、知ってはるんですか?」
「こう見えても我が国の国防大臣だからな。
ともかく、きたる事務レベル協議はなんとしても成功させにゃならん。コンドラチェーンコ大統領も強力な助っ人を貸してくれるそうだし、小林君らには活躍してもらわんとな」
「助っ人………?」
「まぁそう言うことだがや。
ワシも詳しくはしらんが、一応課長の指揮下に入る。
PSNの研究はソヴィエト時代からロシアが先行しとった。アメリカさんと張り合って莫大な予算を使っておったはずだ」
「ははあ、それがここにいたって我が国に先越されたんで、あわてて共同研究言うわけか。留学生すなわちスパイ、ちうこと違いますんか」
「そこまで穿った考えはせんでいい、君らしいが。
ロシアの現状では、スペリーにろくな処遇もしてやれんだろう。
我が国でせいぜい開発してやることだ」
「おまかせを。PSNの解明と制御については、僕も不退転の覚悟やし」
いざとなれば真っ先に逃げ出せるよう、いつも複数の脱出ルートを確保している。そんな男の性格を、上田は熟知していた。
木崎正志は上司に夕食に誘われていたことも忘れ、ただ一人CCC再下層へと降りて行った。
彼のクリアランスパスは最高レベルであり、地下に広がる広大な施設のどこへでも入れる。
汗のにじんだ青い顔を見て、職員の多くは過労だろうと気の毒がった。
木崎は一人仮設作業指揮所に入ると、自分のパスワードでコントローラーを作動させた。
工事資材を搬入する大型エレベーターは日頃厳重な警備が行われている。この日は特にエレベーターを使用する予定がなく、電子ロックが幾重にもかけられたままだった。
木崎はそのロックを次々とはずし、自動警備装置を解除して大型エレベーターの搬入扉を開いた。焦りも躊躇いもない。当然のように淡々と「作業」する。
「作業指揮所! 作業許可は出ているか」
最下層の警備室から電話がかかった。木崎は反対に警備室との回線を切断し、警備本部との連絡を妨害してから作業を続ける。
やがて二子山山頂近くから、大型エレベーターが最下層まで降りて来た。
待ち構えていた最下層警備室の警備員五人が自動小銃を構える。エレベーターに乗っていたのはミネルヴァと二人の女性だった。
ドアが開くと、銃口が三人をとらえる。
アジア系の長髪美女が右手をあげると、警備員たちの頭に激痛が走った。それからはほとんど抵抗も防衛処置もなく、世界最高性能のコンピューター複合体がのっとられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます