第2話 出航です !
「只今、今回のクルーズ船のマスコットキャラクターのタラップちゃんが、皆様の本日のご乗船をお出迎えしております」
桃子の耳元で、先程から乗船アナウンスが繰り返し放送されていた。
もちろん、着ぐるみの中に入るのは、生まれて初めてである。
耳には、ワイヤレスホンが、ささっている。
これは、フロアマネージャーのポールから逐一、着ぐるみのゼスチャーの駄目出しが聞こえるもので、一応桃子からの言葉も云えるが、全く持って今回は、それが機能していなかった。
「もっと手を大きく振ってよ」
「もっと、お客様を抱きしめるように」
「もっと、全体のゼスチャーを大きくして」
矢継ぎ早にポールからの指示が耳に飛び込んで来る。
その度に、桃子は自分では最大の演技で、お客様を迎えようと努力していた。
しかし、傍らで見守っていた、桃子の職場の上司の姉川陽子には、まだまだ不満だったようだ。
「あんたさあ、身振り手振りがあざといんだよ」
しかし、桃子には、その「あざとい」の言葉が理解出来なかったようで、
「あざといって、何ですか」
と叫んだ。
しかし、その言葉は、陽子には届いていなかった。
実は、ワイヤレス無線は、桃子とポールだけのものだったからだ。
ぱかんと、陽子が客の視線を気にしながら桃子の頭の頭を叩いた。
正確には、「タラップちゃん」の着ぐるみの頭を叩く。
もちろん、その振動は桃子には、微々たるものである。
再び陽子が、さっきよりも、力を込めて叩く。
「先輩、何ですか」
桃子は、陽子の方を振り向く。
「ご乗船有難うございます」
桃子の問いかけには、全く無視を貫いた陽子は、次から次へと乗船するお客様に向かって満面の笑みを浮かべて、幾度も同じ言葉を吐いていた。
それに合わせて、桃子も、精いっぱいの身振り手振りで応対していた。
「前に出るな!お客様の進路妨害だろう」
早速、ポールの駄目出しが出る。
慌てて、後ずさりした。
しかし、慣れてない着ぐるみなので、バランス崩して倒れてしまった。
「おい、大丈夫か」
乗船しようとした、客の一人が慌てて、抱き起した。
「ええ、もちろんです」
桃子が答える代わりに、陽子が、引きつった笑顔で答えていた。
今回のクルーズ客船「平安」には、乗客五百二名が乗り込む。桃子らスタッフは、二百一名で対応する。
桃子の仕事は、着ぐるみではない。
クルーズ客船には、様々なショーが連日、催される。
そのステージ照明の仕事が、本来の仕事だった。
お客様の乗船が全て終わるのを確認してから、桃子は甲板を走り抜ける。
向かった先は、地下のスタッフルームだ。
一応、ドアをノックしたが、返答を待たずにすぐにドアを開けた。
すでに、桃子を除く全員が顔を揃えていた。
「すみません、遅くなりました」
桃子が頭を下げた。
他の人の表情が、冴えない。
何故か、桃子には理解出来なかった。
「あのう、桃子さん、一応これから会議なんだから、それ脱いだら」
思い余って、陽子が声を掛けた。
「脱ぐって、服を脱ぐんですか」
周りから、失笑がもれた。
「違うでしょう、ここよ」
陽子は、無理やり着ぐるみのタラップちゃんの頭を引き抜いた。
「ああ、生き返った」
顔から、頭から新鮮な空気シャワーが降り注いだ。
まだ五月だと云うのに、桃子の全身には、汗が大量に湧き出て、覆いつくされ、顔はサンオイルを塗ったように、テカテカ光っていた。
思わず桃子がつぶやくと、同時に笑いが巻き起こった。
笑いが静まるのを見届けてから、陽子が、
「今回、初めて平安丸に乗ります、わが社の新人の立石桃子です。皆様よろしくお願いいたします」
と云って、桃子のわき腹をつつく。
「初めまして。よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げた。
席に着くと、早速、スタッフミーティングが始まる。
「下も脱いだら。会議の席なんだから」
桃子は、陽子と隣りの席にいたフィリピン女性に手伝って貰いながら、「タラップちゃん」の上半身を脱いで、やっと素の自分に戻れた。
「あんた、面白いねえ」
桃子が席に着くと、フィリピン女性が声を掛けて来た。
「そうですか。日本語上手ですねえ」
「私のお父さん、日本人ですから」
「そうだったの」
「私語厳禁!」
今度は、とげを帯びた陽子の声が二人に突き刺さる。
会議は、これから行われる、船内でのショーの細かい段取りだった。
今回のクルーズ客船「平安」には、メインホールとサブホール二つの合わせて三つのホールがある。
主にメインホールが使われる。
早速、今夜はイギリス人船長、ジェームス主催のウエルカムパーティが開催される。
「いつも云ってる事ですが、この最初のパーティーが肝心なんです」
ポールが、流暢な日本語で云った。
「どうしてですか」
桃子が聞いた。
「だってそうでしょう、乗船されたお客様の中には、クルーズ船の旅行が、今回初めてと云うお方もおられるわけです。ですから、その人達の緊張を解く重要な任務があるパーティーなんです」
「でも、私の仕事は、ステージショーの照明ですから、あまり関係がないと思うんです」
桃子が云った途端に、隣りの陽子のピンヒールが、桃子の足を直撃して来た。
「痛いっ!」
「いえ、そうではありません。照明も音響も、全てこの(平安)の船に乗る全てのスタッフが一丸となって、お客様を迎えて、おもてなすこころが大事なのですよ」
ポールは、優しく、ゆっくりと桃子を見つめながら、云った。
「そうです」
声高に、陽子が叫んだ。
「すみませんポールさん。何分にもこの子は、初めてのクルーズ船乗務なので、全く理解出来ていないんです。私の方から、後で充分注意しときます」
陽子が、ごんと音を立てて、頭を机に叩きつけた。
桃子も同じように、、頭を机に打ち付けた。
その衝撃で、くらっと軽い目まいと、暗闇に一直線に立ち上がる花火を、一瞬見た。
「あんたもやる事ないの」
陽子の凍り付く視線が突き刺さる。
「えっ、だって」
「このパフォーマンスは、陽子さんの専売特許なのよ」
横からフィリピン女性が、云った。
「有難う。お名前は」
「エリカ。よろしくね」
白い歯と、えくぼが印象的だった。
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