ライティングガール・桃子の航海日誌
林 のぶお
第1話 乗船客のつぶやき
( 1 )
紙テープと云えば、港の船と、それを見送る人たちとのきづなが相場だけど、昔は、歌手と観客席とを結んでいたんだよ。
と云っても、今の若い人は、信じないけどもな。でも本当なんだよ。
歌手は、客席から投げられた幾つもの、紙テープを持ちながら歌っていたんだ。
客席のファンは、自分が投げた紙テープを今持って歌ってくれていると固く信じていたんだ。
でも、本当は、持っているのは、多くて30本ぐらいで、大半は、よけていたから、左右のステージに落ちていたんだ。
昔は、紙テープの芯なんか取らずにそのまま、投げていたから、当たったら、相当痛かったんだよな。
俺なんか、ある時、紙テープが目に当たったんだ。
それこそ、その瞬間目の前に、星が幾つも輝いていたんだ。
皮肉にも、その時の、俺たちのヒット曲が、「星数の恋」
これは、売れたねえ、文句なしに。
もちろん、ドーナツ盤、A面だよ。
と云ってもCD世代の若い人には、わからないか。
当時レコードは、ドーナツ盤とLP盤の二種類があったんだ。
ドーナツ盤には、表のA面と、裏のB面とがあり、それぞれ、一曲ずつ音楽が入っていたんだよ。
LP盤は、大体10曲前後の曲が入っていて、レコード、それを収納するジャケットの大きさも、縦横40センチは、あった。
今、流行りのLP盤をそのまま片手で、わき腹に挟んで持ち歩くのが、一種のステータス、流行だったんだ。
レコード針を慎重に、レコードの溝に落とす。
もう、知らない世代がの方が多くなってしまったなあ。
俺たち、元音楽家から云わせると、どうもあのCDの音質が、気に食わない。
どう気に食わないかって?
分かりやすく云えば、音の響き、重厚さが全然違う。
もっとわかりやすく説明すれば、蛍光灯と、白熱球の違い、いや今ではLEDと白熱球との違いかなあ。
今年八十歳の田山洋三映画監督が、云ってたのを思い出した。
「今は、デジタル全盛だけど、私は、根本的にフィルムが好きだ」と。
シネコンで見るデジタル映画は、はっきりとした色で、人も風景もシャープで美しい。
しかし、フィルムのあの、ぼやっとした温かさの方が、人間的だ。
上映中、フィルムなんか切れたり、画面が揺れたりする。
そのアクシデントもありの全てが、人間的なんだ。
何、わからないって、もういいよ。
あっ、でも云っておくよ。
俺たちの音楽聞けば、わかるよ、全てが!
どこで演奏してるかって?
今回は、陸じゃなくて、海。いや、正確には海の上に浮かぶ船。
今、流行りの、クルーズ客船の中で演奏してるからな。
よかったら、聞きに来いよ。
えっ、そんなお金ないって!
ちぇっしけてやがるなあ。
まあ、若者と貧乏は、共同体みたいなもんだからな。
気長に、お前さんたちが乗船するまで、待っているよ。
いや、そこまで長生き出来るかなあ。
もう死んじゃってるかもな。
死んでたらごめんよ。
天国で演奏してるよ。じゃあ、またのちほどな。
( 2 )
船が出ようとしていた。
私は、一人デッキに佇み、港を見下ろす。
あの紙テープが、うっとおしくてこのうえない!
それに、乗船した人たちの笑顔が気に食わない。
いや、逆に云えば、仏頂面を抱えている私の方こそ、彼らから見れば、うざいのかもしれない。
よく人は、船の出航は、哀愁が漂うと云ったけれど、乗船した彼らと、彼らを見送る人たちの顔からは、微塵も感じ取れない。
よくも、ああして大きく口を開いて笑っていられるもんだ。
何が、あんなに楽しいんだろう。
そうか、これから始まる船旅に期待しての笑顔なのか。
確かに船旅はいい。
煩わしい、陸地を離れての、別世界への入り口の扉が開こうとしている。
人は、未知への世界へ期待を持つ。
だから笑っているのか。彼らの未知の扉は、一つ。
しかし、私の場合、扉は二つかもしれない。
しかも、その二つ目の扉は、きわめて重くて苦しい。
私一人で開けられるか、全く自信がない。
もしよかったら、誰かに手伝って貰いたい気分だ。
いやっ、今から人に頼るのは、よくない。
やはりしんどくとも、二つ目の扉は自分で開けないと意味がない。
だから、乗船したのだから。
私が、二つ目の扉を開けた時、他の乗客はどう反応するのだろうか。
「私も入れさせて!」
と扉に殺到するのだろうか。
いや、幾ら何でもそれはないだろう。
しかし、少しはあるのかもしれない。
いつ、二つ目の扉を開くか、これから考えよう。
何も焦る事はない。
時間はたっぷりとあるのだから。
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