ホーンテッド・マンション

むきめい

第1話

「エルザ、エルザ起きなさい。……エルザァ!!」


 呼ばれた金髪の少女はまだ起きない。


 それから1時間半たった頃、


「起こしってって、言ったでしょ!」


バタバタと騒がしく足音を出かける支度をするエルザがそこにいた。


「起こしたわよ」


 母親らしい女性が、目玉焼きとベーコンを小さなフライパンで焼きながら言う。ベーコンの焼ける音と匂いにエルザは母親の方を向く。


「ベーコンは」


「焼きすぎない方が良いのよね。わかってるから早く準備しなさい」


娘の注文ぐらい覚えていて当然、とエルザが言い終わる前に調理をすませて盛り付けにはいった。


「早く食べちゃいなさいよ。お好み通りに作ったんだから」


 白い皿に黄色の目玉焼きとピンク色を残したベーコンが並んでいる。その隣には小皿に盛られたサニーレタスとプチトマトのサラダがある。


 エルザは髪をとかしながら席に着いた。母親が持ってきたドレッシングを受け取り、サラダにかける。ドレッシングをテーブルに置き、代わりにフォークを手に取る。フォークはサラダめがけて動く。


 しかしサラダは横へと避け、床へと刺さる。


「お行儀悪いわよ」


 母親のその言葉にエルザが反抗するように、サラダをひったくった。


「急いでるの」


 最低限、と髪を梳かし終わりサラダを食べる。シャキシャキと軽く小気味よい。かかったドレッシングの程良い酸味がお気に入りなのか頬をほころばせて食べている。キッチンの方からはトーストの匂いが流れてくる。母親がトーストを持ってきたようだ。四角く角がついたバターがトーストの熱で溶け始め、更に食欲を誘われる匂いがしている。


 エルザは置かれたトーストを手に取り、載ったバターをフォークで塗る。表面の焼けた部分にバターが染み込んでいく。カリッと心地の良い音を立て、エルザがトーストを食べ始める。咀嚼するたびに、感じる味が好きなのか、ニコニコしながら食べている。


「ホント、パンが好きよね」


 母親がもう一枚トーストを運んでくる。エルザは今食べているトーストの載っていた皿に置いてもらう。


「だって、小麦の味、好きなんだもの。パスタとかもおいしいとは思うけど、パンを食べないと朝ごはんって気がしないし」


「それにしても、ちょっと味わいすぎじゃないかしら。急がないと遅刻するわよ」


「分かってるって」


 エルザは食べるペースを変えず、トーストを口にする。その合間にサラダの残りを片付ける。


「ん、んっ。んぐ、んっ。……はぁ」


 トーストを一枚食べ終えると、まだ手のつけていない目玉焼きとベーコンに取り掛かる。ベーコンをトーストの上に載せ、フォークを器用に使って目玉焼きをその上に載せる。丸くきれいな形のまま、ベーコンの上に収まった目玉焼きにフォークを刺し、トロッと黄身を潰す。ベーコンの油と黄身が川のようにトーストへと流れ込み、染みていく。エルザはトーストを二つ折りにし、即席のサンドイッチを口へと運んでいく。


「はぐっ、……うん」


 好みの塩加減のベーコンがパンと合うようで、味わうように咀嚼している。もう一口、と食べ進めると、黄身が口へと広がったようだ。オレンジ色で新鮮な黄身が、パンの端から滴る。


「おっと」、


 エルザがピンク色の舌で滴る黄身を舐める。濃厚なのか、どろり、とした黄身はエルザの口への吸い込まれ、微かに染み込んだ跡をパンに残す。小麦色、としたトーストに鮮やかなオレンジが染み込んだのもエルザにとって、至福を感じるものなのかその部分を愛おしそうに口にする。噛みしめるように何度も何度も咀嚼する。そしてまた、サンドイッチにかじりつく。そして咀嚼。ゆっくりと楽しむように食事は続いていく。


 彼女は時を忘れていた。そう、気づけば、遅刻ギリギリの時間になっていたのだ。


「ちょっと! エルザ! まだ居たの!?」


 母親の驚いたような様子に、エルザは自分の状況を知った。


 エルザはまだ残ったトーストを急いで食べ終わると、


「もう一枚食べたかったのに……お母さん焼いてくれない?」


 まだ朝食に未練があるようにそう言った。


「急がないと間に合わないでしょうが! それにいつ食べるのよ」


 母親は呆れたように言う。


「登校しながらでも」


「ばか! 転んだらどうするの。お弁当多めにしてあるんだから我慢しなさい」


 母親は弁当をエルザに手渡す。女子高生にしては重い弁当箱を受け取ると、急いで玄関へとかけていく。


「ごちそうさま!」


 ドアを開け、走って学校へと向かった。


「ちょっとエルザ! 傘持っていきなさい! ……って、もう行っちゃったわね」


 薄暗い雲が広がる空の下、エルザの後ろ姿を見つめる二人が居た。


「あの子、ご主人の……」


 母親は男の声を聞き、周りを見回した。しかし誰も居なかった。






 今日の自分はツいていない。とエルザは思っていた。朝から寝坊したこと。パンをお腹いっぱい食べられなかったこと。それなのに昼食がパスタだったこと(嫌いではないけど、むしろパンの次に好きなぐらい)。そして


「あ~、ひどい雨……」


 バケツをひっくり返したような雨の中、エルザは学校の玄関前に居た。朝、お母さんが何か言っていた気がするが、それが傘のことだったと気づいたのは下校の頃だった。友達はみんな部活に行っているため、一緒に帰ることができない。この土砂降りの中、家に帰らなければいけない。雨は待つほどに強くなっていることが、叩きつける雨音で分かる。


「誰かのを借りよっかな……いやいや、それは駄目だよね」


 諦めて走って帰ろう。と思ったとき、学校の隣の森に目がいった。普段は虫が居そう。と近づかない。しかし今は木々が雨を遮っているように見え、濡れずに帰れるのではないかと思ってしまった。


「失敗しても濡れるぐらいだし……」


 自分に言い聞かせるようにエルザは森へと走った。


 森の中はエルザの思った通り、木々によって雨をしのぐことができた。地面は影になっているからか少し湿ってはいるが、みずたまりはひとつもなかった。怪しいほどにその森の中は雨の中から隔離されていたのだ。雨の音はするが、それと同時に鳥の鳴く声も聞こえていた。チチチと鳥の声がするが、姿は見えない。その状況にエルザも不安な気持ちが微かによぎる。それと同時に心地よい、もっとここに居たいと思うような感覚があった。


 エルザは家の方向へと森を歩き続けていると、おいしそうな匂いがしてきた。


「パンの……香り?」


 こんな森のなかにパン屋でもあるのだろうか。エルザは不思議に思った。釣られるようにエルザはその匂いを辿っていく。すると、木々が無く、ひらけた場所にぽつんと大きなお屋敷が立っていた。


「あのお屋敷から?」


 エルザはお屋敷へと近づく。すると雨粒がエルザの顔へと落ちてくる。


「あわっ、濡れるぅ~」


 雨の中ここまで来たことを忘れていたエルザは小走りで屋敷へと駆けていく。


「はぁ~。濡れちゃったよ」


 濡れるのも仕方ないと思っていても、実際に濡れてしまうとテンションが下がる。服が乾いて、雨が小ぶりになるまで雨宿りさせてもらおう。そう思ったエルザは花の形をしたドアノッカーを鳴らした。しかし、返事がなかった。


「留守なのかな?」


 エルザは何の気なしにドアノブをひねる。ガチャと音を立て、扉が開く。扉の間から中を覗き込むようにして呼びかけてみる。


「すみませーん、雨宿りさせてもらえませんかー」


 しかし返事がない。中を見てみると、真っ赤でふかふかしたカーペットと大きな螺旋階段。そしてその奥に室内庭園が見えた。エルザはこんな所に庭園まで作れるような屋敷があるなんて知らなかった。主人がいい人だったら晴れた日にもう一度遊びに来たいな。などと考え始めた。


「でも、主人が見えないんだよなあ。流石にこれだけ広いと、気づかないのかな。……ん?」


 そのとき、庭園の方から声が聞こえた。きっと主人が庭手入れでもしていて気づいてないのだろう。そう思い、庭園へと入っていく。


 庭園はガラスで覆われており、中にはマリーゴールド、ヒマワリ、真っ白なユリ、アネモネなど色とりどりの花、そして蝶や鳥の姿が見えた。


「す、すごい。外から見てもキレイに手入れされてる」


 扉を開け、庭園へと入る。その瞬間、花の香り、刈ったばかりの芝生のような香り、そして、パンの焼けるような香ばしい匂いがした。鳥たちは青々とした木に止まり、囀っている。蝶たちも各々、花の蜜を吸ったり、つがいで飛び回ったりしていて、エルザは庭園に惹かれていた。


「こんなところで、優雅に朝食。憧れる」


 そんな感情が口からこぼれる。庭園の中を行ったり来たり、いつの間にか眺めることに夢中になり、エルザは当初の目的を忘れ見入ってしまった。


「……んはっ! いけない! 主人を探さないと」


 時計を確認すると、15分は夢中になっていたようだった。


「パンの焼ける匂いがするってことは、辿っていけば居るのかな?」


 エルザは庭園の奥へと入っていく。すると、サクラの花びらが風と共にエルザの頬をかすめた。こんな時期にサクラの花? そういえば、ヒマワリも咲いていた。あれ? 向こうにはラベンダーと椿の花が咲いている。エルザは自分の体の異変に気づいていなかった。パンの匂いと、花に意識の行っていたエルザは、木の根に足を取られたことに気づかなかった。


「!? 痛っ」


 気づいた頃にはエルザは転んでいた。すぐに足をさする。痛みはない。傷もないようだし平気なようだ。


 ……あれ? お腹がなんだか考える。昼食で食べすぎたのかな。


 などと考える。エルザは意識が遠くなっていくことにようやく気づいた。足を取られた木の根の方を向く。


 あんなにほっそりした、男性の足みたいなので転んだの?


 ゆっくりと木を見上げてみる。木だと思ったそれは同じぐらいの年の、タキシードを着た男だと気づいた。


「あ、この屋敷の……ご主人で……か?」


 思ったよりも声が出ていない。いや、出ないのだ。そう気づいた時にはエルザの意識は完全になくなった。





 それを見ていた屋敷の主人が明瞭な声で誰かに呼びかけた。


「セバスチャンの言う通り、素敵な女性だ。一目見て惹かれたよ。しかも本当にパンの匂いに釣られて来たね」


 細身の主人はエルザの背中に手を回し、お姫様抱きで庭園の奥へと連れていく。進む先には薄暗く、ちいさなランプだけがある廊下が見える。


「開け」


 主人がそう言うとひとりでに扉は開き、そのまま屋敷の奥へと二人は入っていった。


エルザを抱きかかえた主人は長い廊下を進む。その後ろを革靴の音を微かに立てて、セバスチャンが付いて行く。主人はエルザが起きてしまわないように丁重に進んでいく。人が5人歩いていてもすれ違えるような広さの廊下は赤を基調として、絵画や金色の飾り細工が壁を彩っていた。もしエルザが気を失っていなければ、この廊下を見て気絶していたのではないか。そのようにセバスチャンは思った。


 主人はとある扉の前で立ち止まった。小さな扉であったが、細かい細工が施され、中の者が大事であることが分かるようであった。セバスチャンはすぐさま扉を開ける。


 その先には3人の女声の亡霊が居た。


「あら? ご主人様?」


「あら? メイドの部屋にノックもなしに入ってこられるとは」


「あら? 先代に怒られますわよ」


 ご挨拶代わり、と3人のメイドが順に話し出す。


「こほん」


 主人の後に入ってきたセバスチャンが3人をたしなめる。


「あら? これは執事長」


「あら? 今日もネクタイが似合ってましてよ」


「あら? いつ見ても整えられた髭が素敵です」


「そんなお世辞は結構」


 セバスチャンがぴしゃり、と言う。


「「「あら? 私たちはいつも思っていることを口にしているだけですわ」」」


 よくもこんなに同じ調子で同じセリフが言えるものだ。と主人は思いながら、口を開く。


「メイド」


 黒髪の見た目だけで言えば一番真面目そうなメイドが主人の前に出る。


「何でございましょうか」


 直立不動で主人の次の言葉を待つその姿は屋敷の質の高さを感じさせる。


 主人はそっとエルザをメイドに抱えさせる。しかし女性の力では、揺らさずに抱えることができないようでふらつく。これは、とセバスチャンが前に出る。それより先に後ろに居た二人のメイドが黒髪をサポートする。危うく主人の前で粗相をするところであった黒髪は、二人のメイドに向かってこくん、とした。三人のメイドたちはゆっくりとエルザをベットへと横たえる。


 それを見ていた主人が右腕を動かす。くるり、と小さく一回転した右手には青いドレスが現れた。


「あら? 綺麗な青色のドレス」


「あら? 雨の日にぴったりの色ですわ」


「あら? 雨の日の青いドレス……?」


 赤髪のメイドが何かに気づいたようであった。


「そう、ボクと共にいく、娘だ。すぐに着替えさせてくれ」


「「「かしこまりました」わ」」


 三人の声が少しズレて返事が返ってきた。


 主人とセバスチャンで出ていった後、三人のメイドはドレスアップのために動き回る。


 慌ただしく動き回る三人。しかし足音を立てない。そう、彼女たちは足がないのだ。


「あなた達はご主人様に連れてこられたときを覚えている?」


 白髪のメイドが言う。


「もちろん、覚えています」


「ご主人様との出会いですもの」


 黒髪と赤髪が答える。


「あの日、私たちはご主人様のモノになったのです。忠誠のキスで」


 同時に三人は唇をなぞる。黒髪は顔を真っ赤にしている。赤髪と白髪はそんな黒髪をみて、両頬にキスをする。


「「わたしたちでは、ご不満?」」


 黒髪は二人の唇に人差し指をあて、


「比べられません。ご主人様が一番に決まってます」


「あら?」


「まあ?」


 二人が怒ったようにふくれる。


「「わたしたちもあなたのことは好きでもないですわ」」


 黒髪の瞳には二人の緑色の目が見えた。


「でも」


 赤髪が悲しそうなトーンで話し始める。


「あの子が選ばれたのですね」


 白髪が続く。


「私たちではなく」


 黒髪がエルザを見て言う。


「ちょっと嫉妬してしまいますわ」



 ドレスアップしたエルザを黒髪と白髪が支え、赤髪が言った。


「お美しいお二人でございます」


 主人はエルザを抱きかかえ、三人に言う。


「ありがとう」


 仮面を着けた主人の口元がうれしそうに動いた。そのままセバスチャンの開けた扉から外へと出ていく。カタン、小さく閉まる音がして三人はしばし、立ち尽くす。


 誰からともなく、手を握り合う。それは握手ではなく、溢れる気持ちを抑えられない、手のひらと手のひらが指を絡ませ合うように。異性同士であれば、恋人繋ぎと言われるそれは


「ちゅっ」


 小さく布が擦れる音が3つ重なる。その音が外に居たセバスチャンの耳に届いた。



 エルザと主人は大広間の前の扉にたどり着いた。主人はエルザを立たせるようにし、支えると、ドレスのラインに合わせるように背中をなぞる。すると今にも倒れそうだったエルザがまっすぐに立った。主人はエルザをエスコートするように進むと、その歩調に合わせてエルザも歩き始める。


「どうぞ」


 茶髪のズボンを履いたメイドが扉を開けて、二人を中へと誘う。主人がねぎらいの言葉をかけて、二人は中に入る。


 大広間は仮面を着けた舞踏会が行われていた。女性たちの身につけた宝石はシャンデリアの光を受けて、キラキラと光っており、メロディーを奏でる楽器が話し声と調和していた。これが仮面舞踏会なのか、とエルザが目をさましていれば思ったことだろう。しかし彼らにも足がなかった。エルザと主人の足音が響き、踊る亡霊たちの足音が無く、不思議な舞踏会であった。


「これはこれは、ご主人さま」


 並んだ肉料理を皿いっぱいに敷き詰め、パンを頬張る男性が話しかけてくる。


「エド。ごきげんよう」


 主人が返す。


「ここでは、その名前はやめてくれ。……そちらの方は?」


 主人がエルザをエドワードの前に連れ出す。


「ボクの お 相 手 さ」


「ああ! とうとう見つかったんだね!」


 エドワードが手に持った皿を落としそうになりながら言う。


「そうなんだ」


「それじゃあ、今日が最後の晩餐になるのか……」


「まだ残っていても構わないんだよ?」


 未練たらしく料理を見つめるエドワードの手からパンをくすね、主人が言った。


「それはできないよ。幸せにね」


「ありがとう。キミには助けられた」


 主人はパンを一口食べ、エドワードに返す。


「なにをお話していらっしゃるの」


 金髪ショートの女の子が会話に入ってくる。エドワードの顔がぴくん、と動く。


「ごきげんよう。とうとう相手が見つかったんだ」


 主人が嬉しそうに言う。


 女の子はエルザの方を向く。


「急な雨の日の舞踏会。青いドレスの女……。私ちょっと気分が悪いの。ごめんなさい」


「あー。ボクもちょっと失礼するよ」


 エドワードはダンスホールから出ていく女の子を追いかける。


「ふむ。どうしたんだろうか」


 主人はそうつぶやく。いつの間にかセバスチャンが主人のそばに立っている。


「そろそろ、終わりにしましょう。シンデレラも名残惜しくて行ってしまわれたのでしょう」



 エルザと主人が大広間の舞台に立つ。何事かと亡霊たちが二人を見て、悟る。女性の悲しそうな声、また二人を祝福するような歓声。それらが響き渡る。


 音楽が一瞬止まる。一拍おき、演奏が始まる。奏でられる音は先ほどまでよりも美しかった。ヴァイオリンを弾く女性は一粒の涙と儚げな演奏をしていた。


 主人はエルザをエスコートするようにゆっくりと踊り始める。コツン、コツン。エルザの靴が曲に合わせて音を鳴らす。その様子を仮面の奥の瞳たちが見つめる。もはや踊るのは二人だけだ。エルザは気を失っているはずなのに見事なステップを踏む。くるり、くるりと抱き合うようにして回る。右へ、左へ。長年、共に踊り続けてきたような息の合ったダンスに、亡霊たちの体も合わせるようにゆらゆらと揺れている。


 曲は終わりに向かって、強く、激しさを増していく。二人のダンスは激しく、互いの体を離さぬように強く抱き、踊る。


 そして演奏が終わる。二人は向き合うようにして見つめ合う。


 そのとき長身の女性が光に包まれ、天へと登っていった。身につけていたダイヤモンド、ルビー、ラピスラズリと真っ赤なドレスは光の粒となって彼女と共に登っていく。彼女の居た場所には微かな光が漂う。


 それをきっかけとするように、一人、また一人と光りに包まれていく。男性のプラチナのカフスが弾けるようにして、男性と手を取っていた女の子の体を包み込む。


 主人はその様子をしばし見つめると、エルザを自分の腕の中へと抱き寄せる。


 エルザの金色の長い髪を愛おしそうに何度も撫でる。


 二人の顔が近づき、唇が触れる。エルザの舌は主人の唇に触れ、流れ込む。主人の舌もエルザの中へと入り込んでいく。


 エルザはパンの匂いとともに目を覚ます。朝の清々しい幸せのまどろみから起き上がるようなそんな気分であった。


 目を開くと、宝石のように光輝く大広間と同い年の少年の顔があった。そして少年とキスをしている自分。普段であれば、そんな状況に置かれていると分かれば、突き飛ばすなり同様の姿を見せただろう。しかしエルザは出来なかった。主人とのキスの天国に行くような温かい感触。好きな匂い。抱きしめる主人の腕の優しさ。エルザは主人に惚れていた。しっかりと主人の顔を見たのは今が初めてだった。これが一目惚れ。この人のことしか考えられない。あんな庭園を持っていて、素敵な顔で、好きな匂いで、優しくて温かくて、多くの女性に好かれている。……あれ?女性に好かれてるところなんて見たっけ?ああ、そんなことはどうでもいい。今、いや、永遠に彼は私だけを見つめてくれる。私も彼を見つめ続ける。それが分かる。もっと触れていたい。もっと、もっと強く。温かく。キスを。


 キスをする。そのたびに好意を持つ。口づけは愛を封印するため。逃げてしまわないように。昔読んだ結婚式の本に書いてあったことを思い出していた。


 そして演奏がまた始まる。


 エルザは曲に合わせて、踊り始める。主人はそれに合わせていく。かかるワルツに合わせて二人は愛し合う。握り合う手が熱を帯びている。相手を見つめてしまう。キスをしたい。


「んちゅっ……」


 そのときエルザは自分の身に起きている異変に気づいた。


「私、浮いている?」


 自分の体が少し下に見えた。体から魂が抜けてきているのだ。


「エルザ」


「はい」


 主人がキスをする。その気持ちよさに心が高ぶる。


「んっ、エルザはキスが言葉を封印するって話知ってる?」


 エルザは驚いた。自分と同じことを彼が思っていることに。


「私はあなたに永遠を誓います」


 二人は今までで一番熱いキスをした。触れ合うたびに、エルザの魂が天国へと登っていくのが自分でも分かった。そのとき、体の力がすっ、と抜ける。エルザはへたり込むようにし、魂が離れた。エルザの魂を追いかけるように、そして抱きしめるようにして主人が言う。


「キミの魂に永遠の愛を閉じ込めた。嫌だったかな?」


 エルザは首を横に振る。


「嬉しいです」


 二人は重なるようにして抱き合い、ワルツを踊る。祝福するように月明かりが二人を照らし、宝石と亡霊たちの光が二人を包み込んでいた。落ちる雨粒は光と混じり合い、それを見ていた者たちは何か分からない。でも幻想的な景色に見入った。

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ホーンテッド・マンション むきめい @mukimei94

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