灰色は白なのか黒なのか。

@kkk0616

シチューの味は

「かあさま、お願いがあって来ました」


2ヶ月ぶりに会った母に

駆け寄って切り出した

両親はいつも世界中を飛び回っていて

親子といえど数ヶ月会えなくとも

そう珍しい事ではなかった



母はお付きの人に

爪の手入れをして貰っていた

その最中の事だったことを覚えている


「そんなに緊張して、どうしたの?」


僕の目を見る眼差しは優しかった


「シチューが食べたいんだけど…」


「そうなのね、じゃあ今晩作るようにシェフに言っておくわ」



母は僕がお願いをすると

いつもそれが叶うようにしてくれた


それが、愛情だと思っていた



「あのね、できたらでいいんだけど」


そこから先の事を口にした時

母は睫毛の先まで手入れの行き届いた

美しい目を見開いた



「かあさまの作ったシチューが食べたいんだ」




「…よいちゃん、1日だけ時間を貰えるかしら」


「勿論だよ、急にごめんなさい」



爪の手入れはそのあとも続けられた。




翌日が楽しみで仕方なかった


昨日テレビの液晶に映っていた

手作りのシチュー

美味しそうな湯気を漂わせていた


嬉しそうな男の子と

優しい笑顔の母親の姿


あの映像を思い出す



かあさまの作ったシチューは

どんなに美味しいだろうか

ピアノを弾いている最中なのに

集中できなくて

先生に注意されてしまった


「ぼっちゃん、少し休憩に致しましょうかね。20分後に第2小節から始めましょう」


「わかりました」



もう夕方になっていたから

そろそろ作り始めているだろうか

少し覗いて来れるかもしれない


思い立って

お手洗いに行く振りをして

一階の厨房へ向かう


誰にも見つからないようにしながら、

10分後、やっとの思いで厨房へたどり着いた



厨房のドアを開こうとした時


あっ



という女性の小さな声を聞いた




「奥様!」



顎髭をたくわえたシェフが

血相を変えて叫ぶ



「何故ここにいらっしゃるのですか! ああ…誰か、奥様に手当てを!」


壁に備え付けられたヘルプボタンが押され、数人のメイドが駆けつけた


「包丁で切られたのですね、おいたわしい…」

「何か悪いものに感染してはいけません、医務室に参りましょう」

「奥様の美しいお指が…どうか傷跡など残られませんよう」



皆心配を口にした

かあさまは皆に優しく、平等な女性

それ故慕われ、誰もが率先して

彼女の世話を焼いたのだ


「昼過ぎからお仕事だと伺っておりましたが…そして、何故このような事を」


シェフは顔を青くしながら

震える声でそう尋ねた


「仕事は都合をつけて後日にして貰ったの…よいちゃんが私に可愛らしいお願いをしたものだから、少し嬉しくなってしまって」


「それは、一体どんな」


「もう包丁なんて10年以上握っていなかったのだけどね、あの子、私の料理が食べたいって言ったのよ」


「みんな、ありがとう。でも私はやらないといけないわ」


応急手当てもそこそこに

母は再び包丁を握ろうとして、

シェフに制される



「なりません、奥様。これ以上お肌に傷をつけては…また次の機会に致しましょう」


「そうですわ、ぼっちゃまもきっと、わかってくださいます…」


たまらなくなって、ドアを開け

かあさまの元へ駆け寄った


「大丈夫だよ、かあさま。シチューはまたにしましょう。頑張ってくれてありがとう」


「…よいちゃん…」


「ぼっちゃま!」

「世一さま!」


母はそっとかがんで

僕に目線を合わせてくれた

骨盤が歪むからしゃがんではいけないと言われているのにもかかわらず


「そんなに悲しそうな顔をしないでください、僕が悪かったんです」


「そんなことはないわ」


直接触れたのは

1年ぶりくらいだっただろうか

抱き寄せられ、溢れそうになるものを

ぐっとこらえた


母は、日本は勿論のこと世界を席巻する

トップジュエリーモデルだった


首筋、手首、指、腰、太腿

足首…

全身が彼女の仕事道具


靴を履かせても

ネックレスを首につけても

それらを一層も二層も引き立たせた


そう、彼女は

自分の身体に傷などつけられない

そんな身の上だったのだ



「…次にお仕事から帰ってきたら今度こそシチューを作りましょう。ちゃんと、シェフに見てもらいながらね」



「うん!」



そう、オレは永い間

今でもそうだ


愛をもって作られた

そんな食事に憧れている




オレは、母の料理を食べた事がない。







彼女は戻ってこられなかったのだ

この厨房へ




突然の自動車事故

彼女が載っていたリムジンは

道路の中央分離帯に減速なしで衝突し

大破した


載っていた人間は

運転手も含め助からず即死

迷宮入りの事故となった





遺品となったスケジュール帳は

開かれることはなく

ガラスケースの中に保管されている

3ヶ月後の帰国時の予定として

こう記されていたのだが、


そのことを知るものは、いない




「よいちゃんに シチューを」

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