第20話 魔王さまの休日とパティー先生


――時間は少し戻り、アルクワートとリンチェの騒動が起こる前――


 短い休みの終わりを告げるかのように、陽は山の向こうへと沈もうとしている。

 その中でただ一人、誰も居ない図書館で、黙々と本を読む者が居た。

 目眩がするような分厚い本を次々と平らげ、積まれた書籍はその情報量の膨大さを語るかのように、ストラよりも大きな影法師を描いている。


 ストラが主に読み漁っているのは人間の歴史、そして戦略に関する本だ。

 それも、出来るだけ主観的な解釈が強い、個人の意見を吐き散らかしたかのような本ばかりであった。


 客観的に見ている本は確かに正しい。

 だがそれは、人間としての群像的な、お行儀の良い正しさでしかない。

 そしてそれは、魔族でも同じことを言える。

 それを証明するかのような例えがこれだ。


<大の為に小を切り捨てよ>

<換えが効かない『百』を一個用意するのではなく、いくらでも換えが効く『一』を百個用意せよ>


 魔族も人間も、全く同じ戦争論を語っているのには、さすがのストラも鼻で笑ってしまった。

 つまり、客観的に見てしまった戦争論では、行き着く先は人間も魔族も同じ、ということになる。

 だが、主観的になるとまるで違う。


<小の為に大を切り捨てよ>

<『百』を一個用意し、『一』を百人助けよ>


 などなど、客観的とも魔族ともまるで逆の意見ばかりだ。

 こうも違いが出るのか、とストラは深く感心する。


 そして一番の違いは、種全体ではなく、『個人の生』に固執しているように感じた事だ。

 生きたい、生きたいと、涙ながらに訴えている様が、文面を通して伝わってくるようだった。

 それは、客観的な本をいくら読んでも感じられないこと。


――ふぅむ。主観にあって、客観にないモノとはいったい何だ?


 既に図書館の十分の一を読み終えていたが、未だその答えに辿り着けない。


「あらあら、凄い読書量ね。……まぁ、貴方一年生?」


 おっとりとした様子の女子生徒が、物珍しそうに話しかけてきた。

 制服の色は緑。

 見ない顔だとは思ったが、どうやら二年生のようだ。


「あら、それって……? まぁまぁ、なかなか趣味良い本を読んでるわねぇ」


 感心したような、小馬鹿にしたような口調だった。

 それもそのハズだろう。

 ストラが今読んでいる本は、いかに人間がモンスターにとって有害であるかを書き記した異端書であり、国から発行禁止と有害指定を受けたモノなのだから。


「席、良いかしら?」

「ええ、構いませんよ」


 ストラは視線も向けずに答えた。

 二年生は礼を言いながら、向かいの席にそっと座る。


「私はベスティオーラ。貴方は?」

「ストラです。ストラ=ティーゴ」

「ストラ君、キレイな銀髪ね。うらやましい。思わず嫉妬しちゃうわ」

「ありがとうございます。髪だけは父親に似なくて良かったと思ってます」


 視線の交わらない会話は続く。


「どうかしら、その本? 面白い?」

「悪くはありません」

「読んでみて、何か思う所はあったかしら?」

「……ふぅむ、ベスティオーラさん。貴女は妙な質問をしてきますね。同じ読者が欲しいというよりは、まるで作り手が感想を気にしているように聞こえますが?」


 ストラの鋭い質問に、ベスティオーラは全く動じない。

 むしろそうだと気づかせるために、そんな言い方をしたのだろうとストラは思った。


「この本は、貴女がお作りに?」

「いいえ、違うわ。でも、似たようなものよ。それは、私がこっそりと置いた本なの」


 まるでイタズラをした少女のように、ベスティオーラは茶目っ気のある笑顔を浮かべた。


「そう、そうですか。貴女は、『モンスター主義者たち(モストロ・アンビエンタリスタ)』なのですね?」

「『我らは代理人。言われなき迫害を受け、命を刈り取られ、尊厳を踏み潰された、言葉を話せぬ者たちの代理人。そう、我らこそがモストロ・アンビエンタリスタ』……最初のページより抜粋よ」


 ベスティオーラは謳うように語り、誇らしげに頷く。


「その本を読んだ貴方なら分かるでしょう? 人間が、どれだけひどいことをしてきたのかを。コロシアムの地下に捕らえられているモンスターたちもそうよ。彼らはただ静かに暮らしたいだけなのに、人間の都合で、魔族の都合で、いつも振り回されている」


 心の底から同情しているのだろう。

 今にも泣きそうな顔だ。


「もしも貴方がその気なら――」

「その前に、一つ質問があります」

「……なにかしら?」


 ベスティオーラは自然と身構えていた。

 ストラがまとう空気の変化を読み取ったからだろう。


 ストラはようやく目を合わせ、そして問う。


「貴女たちは、コロシアムの地下に囚われているモンスターたちを……解放したいですか?」



 ※



 図書館から出ると、もう辺りは薄暗くなっていた。


 ストラはふと、校舎に目を向ける。

 普段は賑やかしいその場所も、今は音も灯りも消え、影によって石造りの冷たさが際立ち、さながら小さな要塞のような堅固さを感じさせた。


 ストラは借りた本を片手に歩き出した。

 寮の窓からこぼれるランタンの光が、行く先を照らし出しているかのようだ。


 唐突に、ストラの視界に赤い光が舞い込んできた。

 見れば、校舎を挟んで反対側にあるコロシアムがこうこうと赤く光っている。


――あれは……?


 気になったストラは、寮を通り過ぎ、今度はコロシアムを目指して早歩きしていく。



 ※



 いつもは掌よりも大きい鍵が掛かっているのだが、外されているようだ。

 耳を澄ますと、微かに人の声が聞こえる。

 そして、何かが爆ぜている音も。


 ストラは気配を殺しながら、入り口の階段を上がっていく。

 近づくにつれて赤い光は強くなっていき、同時に奇妙な息苦しさも強くなっていく。

 精神的にではない。

 そう、物理的に。


 客席の最上階から、ここの中心地――バトルフィールドをそっと覗き込む。


 瞬間、ストラの視界は赤で覆われた。

 聴覚も、ゴウゴウという空気が激しく燃える音に占領されてしまった。


 そこには、人の形を模した巨大な炎の塊が鎮座していた。

 猛々しく、雄々しいそれは恐ろしくもあったが、目を奪われるほど神秘的な姿でもあった。


 その下には、苦しそうな顔で手を掲げているパティー先生が居る。

 熱さからなのか、負担が大きいのか、額には玉のような汗をにじませ、衣服も汗でぬれていた。


――アレは……『拠点潰し』と恐れられている火の精霊イフリートか。


 領地に侵攻し、急ごしらえで拠点を作る場合、そのほとんどが布製か、木製の建物になる。

 炎は布から布へ、木から木へと広がるもの。

 ましてやそれが、水でも、生半可な魔法でも消せないとなれば、いとも簡単に拠点は潰れていく。


――かなり高度な召喚を行えるとは、さすがというべきか。


 貴重な光景を見られたことに感謝しつつ、ストラはゆっくりと後ろに下がっていく。


 安定していたハズの炎の塊が、ゆらりと揺らめいた。

 まるで、ストラが居る位置を教えるかのように。


「え、敵……!? まさか、どうしてこんなところに!?」


 思わぬ出来事に、パティー先生は大きく動揺する。

 それがイフリートにも伝わってしまい、炎は波のようにさざめき、固まっていたそれは本来の姿を取り戻すかのように拡散していく。


――炎が飛散した? 失敗したのか?


 しかし、そうではなかった。

 炎は再び人の形を模し、今度は巨大な拳を握り締めている。


 ストラの、目の前で。


「ス、ストラ君!? どうしてここに!? ……あっ、ダメよ!!」


 自分の生徒だと気づいたパティー先生は、慌てて手をかざし、イフリートを制御しようとする。

 しかし、攻撃は止まらない。

 ストラを、完全に『敵』として捉えている。


 身の丈もある巨大な炎の拳が、目前に迫っている。

 レベル28が召喚した精霊は、そのレベルに比例するように強さが上がっていく。

 つまり、このイフリートもレベル28という強さを持っているということだ。


 直撃すれば、即死。


「お願い、避けて!!」


 パティー先生の悲痛な叫び声とは裏腹に、ストラはそれを涼しい顔で見ている。

 一撃で拠点を潰す炎の拳が、今、放たれた。


 それはストラを――かすめていき、後ろの石壁を叩き壊す。

 ガレキは一瞬にして炭化し、ボロボロと下にこぼれていく。


 役目を終えたイフリートは、命令通りに消え去っていった。

 パティー先生の制御と命令が、ギリギリの所で間に合っていたようだ。


 ストラの元に駆け寄り、パティー先生は不安そうな顔で全身をペタペタと触りまくる。


「ああ……良かった。本当に、無事で良かったわ……」


 ケガがないことを確認すると、安堵してその場にへたり込んでしまった。

 相当無理をしたのか、服がうっすらと透けるほどに汗をかいている。


「ごめんなさい。敵しか攻撃しないように、ちゃんと命令をしていたハズなのに……」


 申し訳なさそうに謝るパティー先生。

 そもそも忍び込んだのが原因なのだから、非があるのはストラの方だ。

 しかしストラは、敢えてそのことを言わなかった。


「パティー先生も訓練なさるのですね。28という、学校で最も高いレベルだというのに」

「私なんて、まだまだよ。さっきだって、イフリートをロクに制御できてなかったもの。本当、情けないわ。もっともっと、特訓をしないと……」

「これだけレベルが高いのに? ……それとも、まだレベルが足りていない、と言いたいのでしょうか?」


 ストラは手を差し伸べ、少し意地悪そうに質問した。

 すぐに理解したパティー先生は、微笑を浮かべながらその手を取り、立ち上がる。


「……ええ、そうね。上を目指すことを止めたら、そこで終わりになってしまうもの。ストラ君も、レベルが低いだなんてふてくされずに、頑張って上を目指してね」


 上。

 つまりそれは、魔王になるということ。

 ストラは、さも当たり前のように頷いた。


「さぁ、もう帰りましょう。来週からはもっと本格的な訓練が始まるわよ」

「はい、ありがとうございます。パティー先生も風邪を引かぬよう、身体を温めてお休み下さい」

「ええ、ありが……へくちんっ!」


 案の定、汗で身体を冷やしてしまったようだ。

 言った側から、パティー先生はクシャミをしていた。

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