第19話 魔王さまとアルクワートの休日


 陽は既に落ち、初めての休日に遊び疲れた生徒たちが眠る頃、ランプに照らされた薄暗い廊下を片足を引きずりながら歩く者が居た。

 保健室帰りのアルクワートだ。

 先日の対モンスター訓練で足首を捻って以来、保健室に通い続けている。


 足首のねんざは、意外にも厄介だ。

 特に、アルクワートのようなフットワークを生かしたタイプには。

 無理をすれば長期化する恐れもあるし、無意識の内に他の所でカバーしようとしてしまう。

 結果、妙な負担が掛かってしまい、最悪身体のバランスを壊しかねない。

 アルクワートにとって、最も避けたい事態だ。


 それはもう、どうしようもないことだろう。

 だが、訓練できないとなれば退屈を持て余してしまう。


 アルクワートは、絶対に性に合わないと分かりつつも、図書館から本を借りて読むことにした。

 そのような暴挙に至った理由は、とあるジャンルに興味が少しだけ湧いたからだ。

 そのジャンルとは――『戦術論』。


 ところが、読んだ途端に激しい睡魔と頭痛に襲われるので、すぐに中断してしまう。

 それでも我慢して読み続けていたが、何故かミニチュアサイズのリンチェが「にゃーにゃー」と鳴きながら胸の上で遊んでいる幻覚を見てしまい、ついに断念してしまった。

 結果、何の知識も身につかず、一日中走りまくった時よりもひどい疲れが残るだけだった。


 ようやく部屋の前に辿り着き、ため息混じりに鍵を差し込む……前に、扉はキィィと力無く開いていった。


――アレ? 先に帰ってきたのかな?


 だが、隙間からは暗闇しか見えない。


――さてはストラのヤツ、鍵閉めを忘れたのね! 全く、ズボラなんだから!


 片足をひょこひょこと引きずりながら部屋に入り、怒りからか雑にランタンに火を灯す。

 帰ってきたら説教してやろうと考えていると、ストラのベッドが膨らんでいるのが見えた。

 頭まですっぽりと被っているため、寝顔は確認できない。


――珍しい、もう寝てるわ。いつも日が変わるまで本を読んでるクセに。


 それだけ疲れが溜まっていたのかな、とアルクワートは思った。

 初日の訓練でいきなりレベル差をひっくり返し、二年生でも手こずるドリアードをたった一人で撃破。

 わずか一週間で、考えられないほどの好成績を残している。

 これで疲れが出ないなら、人間離れしているとしか言いようがない。


――そうか、もう一週間経つんだ。


 ストラと、一緒の部屋になってから。


――結局、何もしてこなかったなぁ。


 初めて会った時から、コイツは敵だと感じていた。

 根拠はない。

 だが、直感がそうだと告げていた。


 一緒の部屋だと言われた時は、本当に身の危険を感じていた。

 しかし、蓋を開けてみれば、襲うどころか指一本すら触れてこない。

 ストラが紳士だからなのか、それとも男とは案外こういうものなのか。


――それとも、アタシには魅力がないって言いたいワケ?


 膨らんだ布団を潰してやりたくなったが、ケガを悪化させたくないので止めた。


――……アタシも寝よ。


 アルクワートはランタンを消し、くじいた足をかばいながら布団の中に潜り込む。


――あ、枕元に剣を置くの忘れてた。


 起き上がろうとするが、まぁいいやと枕に顔を埋める。

 元・勇者である父親の訓練に付き合っていたアルクワートにとって、学校の訓練は生ぬるく感じていた。

 しかし、慣れない環境の所為なのか、慣れない勉強の所為なのか、思っていた以上に疲れが溜まっているようだ。

 そう、警戒心よりも、睡眠欲の方が勝っていた。


――どうせ、今晩も使う事がないんだし……。


 知らず知らずの内に、アルクワートはストラを信頼していた。

 そのことに、本人は気づいていない。

 それから一分も経たない内に、アルクワートはウトウトとし始める。


「ひぅっ!?」


 予想外の事態に、アルクワートは小さな悲鳴をあげた。

 ストラの手が、そっと脇腹に触れてきたのだ。

 自分でも驚くぐらい過敏な反応だった。


――や、やだなぁ。単に寝相が悪いだけでしょ。


 今まで何もしてこなかったんだから、今日になって襲ってくる理由なんてどこにもないじゃない。

 アルクワートは、どこか必死でそう思い込むことにした。

 だが、ストラの手は脇腹に置かれたままだ。


――こそっと除けようかな? いや、なんかアタシが変に意識してるみたいじゃない! いやでも、寝返りを打つフリをして避けた方が……。


 ストラの手が、自分に触れている。

 そう思うだけで、自然と鼓動は激しくなっていく。

 顔が真っ赤になっていく。

 何も、考えがまとまらなかった。


――なに、なんなのこれ!? うわぁー! イヤだイヤだ! あんなヘンタイにこんな気持ちになるなんて、どうかしてるわ! キライキライ! ダイッッッッキライ!! さぁ、これでキライになったわよ!


 足に鈍い痛みが走る。

 そのせいで、ドリアードの攻撃から守ってくれたことをつい思い出してしまう。

 そして、お姫様抱っこされたことも。


――うわぁーん! キライだって言ってるのに!


 どれだけ頑張ってみても、心の底から嫌いになることは出来なかった。


「ぅひゃうッ!?」


 突然の刺激に、アルクワートは奇妙な声を漏らした。

 置かれていた手が、脇腹を優しく揉んだからだ。


――ちょっ、え? いや、待っ……!


 ススス……と、その手が上へ上へと昇っていく。

 肋骨、脇、そして――。


――そ、そこはまだ早っ……!


 だが、柔らかなそれに触れる前に、獣のような唸り声をあげながらガバッと襲いかかってきた。


「つ、つつつつ、ついに本性を現したわね!? こ、ここの、このどヘンタイッ!!」


 アルクワートは寝転がったまま、強烈なハイキックを喰らわせた。

 蹴飛ばされたストラは、そのまま壁に叩き付けられ、ずるずると床に落ちていく。

 布団の下から現れたのは、月のような銀髪ではなく、濡れ烏のような黒髪でネコ耳が生えた――。


「あ、あれ……? な、なんでリンチェが……?」

「ご、ごめんなさい……。人違い……でした……」


 リンチェそのままは、がくりと気絶した。

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