十一月週間

愛川きむら

十一月週間

 気がついたらわたしは懐かしい匂いのする場所にいた。高校に進学すると同時に引っ越す前に住んでいた故郷だ。わたしはここのちいさな病院で生まれた、と母から何度も聞かされているからすぐにでもわかった。

 それにしても人っこひとり見つけられない。いくら人口が少ないからといって生活の気配すらしないなんて、なにかがおかしいと思った。ともかく今はどうやってここまで来たのかハッキリしなければいけない。わたしは今日も高校に行かなければ……。

「あれ?」

 制服を着ていたはずなのに、気づけばわたしはセーラー服を身にまとっていた。高校に入学して念願のブレザー女子高生になれて、それは泣くほど嬉しかった。中学生のときに着ていたセーラー服は古臭くてどうも好きになれなかったから。

「なんで今こんなの着てるのよ……」

 中学にいい思い出などない。いや、厳密に言えばひとつやふたつはあるのだが、四捨五入すればそれは無いにひとしい。顔をしかめてから歩き出す。ここは異世界だ。はやく出なきゃいけないとなにかがわたしを急かす。どうしてだろう。

 それにしても情報が少なすぎる。誰がここにわたしを追いやったのか。それとも小説のように異世界に繋がるゲートかなにかを通ってきてしまったのか。わたしは通って一年になる登下校道を変えたことはない。じゃあ、そのルートのどこかしらにそういったものが存在していたことになる。

 考えながら歩いていると、たどり着いたのは中学校――のすぐ隣にあるちいさな公園。当時わたしは吹奏楽部に入っていたけど、夏休み期間中に窓から見ていたそこには家族連れと年配の方ばかりいた。そこそこ古く年頃の子どもには目もくれてくれない公園だけど、しっかりと地元のひとに愛されているんだとわかる。

 ブランコに初めて人影がみえた。冬用セーラーを着ているわたしとはちがってその子は夏用の白いセーラー服を着ていて、スカートも膝丈よりわざと短くしている。髪の毛はうしろで高い位置にひとつにまとめられ、風が吹かないかと一心に願う。

 じっと見つめていると視線を感じたのか、彼女もこちらを見た。目が合う。あっちは心底おどろいたようだったけど、わたしはもう落ち着いていた。

 隣の空席に腰を下ろすと、彼女は「今日は十二日あたり。ここんとこ、十一月が長く続いていてね」と疲れたように笑った。

 椎音佳奈。幼稚園のときから仲のいい親友だった。だったのだ……。わたしたちに溝ができたのはわたしが引っ越すことを佳奈に言わなかったことにある。

 そう、これは中学三年の秋の終わり。ちょうど十一月の二週目にはいったころだった。引越しの決定は年始にわかっていた。それなのにギリギリまで佳奈に言えなかったのは、泣き虫な親友を悲しくさせないためにどうすればいいか悩んでいたから。それでもいい案は出なく時間だけが過ぎていったわけだから、随分と責められた。

「どうして何も話してくれなかったの! 私たち……親友じゃん!」

「ごめん」

「ごめんじゃ、ないよお」

 鼻を真っ赤にしてぐずぐずになった佳奈を抱きしめることもできない。原因はわたし。

 それからはわかりやすく距離ができて、そのまま卒業式を終えて解散しても話すことはなかった。年賀状のやりとりも、終わった。

 いま目の前にあの頃とまったく変わらない佳奈がいる。背丈も横顔も、細い首も。なにもかもがあのときのままで、わたしは今すぐにでも佳奈を抱きしめたいと思った。

「今日は十一月十二日。昨日はやっと八月六日で、夏祭りに行ったよね」

「ああ、小学校の。あそこ、毎年テーマが面白いよね」

 ちいさなこの町ではわたしと佳奈の母校で大きな夏祭りが行われる。昭和に建てられた小学校は無駄に校庭が広いために、夏になると露店であふれかえる。かっこよく言うと夜市だ。

「ほら、見てよ。あの雲、あの時の空だよ」

 見上げると、空一面にうろこ雲が貼り付けられていた。清々しい青がオレンジに変わった。夕日に照らされる佳奈の髪はつやつやと黄金にきらめいて眩しい。それでもわたしは佳奈を見たい。ずっと見ていたい。

「高校、上手くいかなくてさ。友達も全然できなくて。入学する以前にもうすでにグループができていたみたいでさ。スタートダッシュ失敗だよね」

 佳奈はわたしのことを見ずに薄く笑う。高校も不登校がちになってスクールカウンセラーに家庭訪問に来てもらって治療をしてもらっているという。一日中ねむり続けることも増えて、今この世界は佳奈のねむりが作っているらしい。

「毎日ちがうことが起こって、ちがう人と会うよ。昨日は明石くんに会った」

「元気だった?」

「うん。相変わらずサッカーバカだったよ」

 くすりと鼻を鳴らす。明石拓磨。佳奈が長年片思いしていた相手だ。サッカークラブに入っている人気者で、内気な佳奈は話しかけることもできなかったけれど。

「ここはさ、中学の頃で止まってるんだよ」

 この世界は生まれた当時から町並みも自分の姿も中学生の頃のままなのだという。

「明日香もこうやってセーラー着てるわけだし。ね」

 夏服で歯を見せる佳奈はとても新鮮だった。爽やかさを感じ、あの頃の自分が蘇る。ふと手首を見ると、彼女の左手には赤みを帯びた線がいくつも刻まれている。

「これは、高校のもの。なんでだろうね。ここだけ高校の要素を含んでいるみたいなんだ」

 佳奈はまたしても笑う。本当はわかってる。

 ずっとここにいたいと思っているのは、わたしも佳奈も同じだから。


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十一月週間 愛川きむら @soraga35

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