第49話 陸の常識

 なんでわたしが常識知らずなの? たしかに知らないことはたくさんあるけど、陸の常識なんかは少しずつ学んでいるわ。例えば「宿はみんなで泊まるもの」とか「ベッドもみんなで寝るもの」とか!

 わたしはレオンの腕をどかして、唇を尖らせた。


「どういうこと? わたし何か変なこと言った?」

「ちょっと確認させてくれ。まず、ラムズと同じ部屋に泊まっているのか?」

「そうよ? それが普通でしょ?」

「うっ……。で、ベッドは? 二つある部屋ってこと?」

「二つある部屋なんてあるの? わたしは一人で泊まってた時いつも一つしかなかったし、一部屋に普通ベッドは一つでしょ」

「お、おい…………」


 レオンは、盗み見るようにしてラムズを見やった。わたしも一応、一緒にラムズを見る。ラムズはわたしたちの視線には気付いていないみたいだ。グラスでワインを飲んでいるよう。


「あの人……、絶対知ってるよな……。説明が面倒でメアリに言わなかったのか……?」

「何が? ねえねえ、教えてよ」

「ハァ……。あのな、メアリ。普通陸に住む人たちは、泊まる時にみんなで泊まったりしない。少なくとも男女で泊まることは絶対にない」

「え? そうなの? でもラムズは……」

「あの人が変なんだ。例えば俺は、今宿屋でどんな感じで泊まっていると思ってるんだ?」

「えっとー、ロゼリィとアイロスさんとレオンで同じ部屋に泊まって、一つのベッドに三人で寝てるんでしょ? わたしたちと違って狭そうだなって思ってたのよ」

「せ、狭そう……」


 レオンは机の上に肘をついて、頭を抱えた。彼はすんごく疲れたような雰囲気だ。なんだかさっきのラムズみたい

(馬鹿を相手にすると疲れる、とか言ってたラムズのことよ)。


「どうしたの……? 眠いの?」

「眠くねえよ! あのな! 普通男女では泊まらないんだ! ベッドは人数分用意される! つまり俺たちの場合は、アイロスさんと俺で一部屋、ロゼリィは別の部屋で泊まっている。それに俺とアイロスさんは、ちゃんと別々のベッドがある」

「え? 一緒に寝ないの?」

「寝ねえよ! メアリさ、昨日ラムズの隣で寝たのか?」

「そうよ。ラムズと寝たわ」

「ハァ……。『ラムズと寝たわ』とか言うなよ。誤解されるぞ」

「何を?」

「あそっか……知らないのか……。うーん、どうしよう」

「何が? 教えてよ」


 レオンはわたしの顔を見て、一瞬恥ずかしそうにして──でも、溜息をついた。どっかの魔物みたいにコロコロ表情が変わるわね(知らない? 体の色が変わる魔物)。一体どうしたんだろう?

 決意を固めたような顔で、レオンは言った。


「あのな、人間には、子供を作る『ある方法』があるんだ」

「えっ?!」


 なんで子供を作る方法の話になるの!? レオンってこういう話が本当に好きね。わたしは恥ずかしいしやめたいんだけど……。

 今のベッドとか寝る話とどう関係があるのかしら。人間の常識に関わってくることなのかな。


「えっとー、その、子供を作る方法って?」

「おう……。これを俺がメアリに教えるのか……。嫌だなぁ。女の子に説明することじゃないんだけど」

「そうよね……。子供を作る方法って、基本的にはどの使族もあまり話したがらないしね」

「ん? お、おう? とりあえず俺たち人間は、子供を作るためにセ……セックスってものをするんだ。あと、これが最上級の愛情表現だ」

「えっと、セックス?」

「声がでかい! それで『男と寝た』っていうと『そいつとをした』ってことになるんだ」

「へ、へえ……。変なの……」

「まぁってベッドで寝てするものだから、そういうことになるんだ。だから俺からすると、メアリが『ラムズと寝た』なんて言うと『ラムズとをした』みたいに聞こえるわけ」

「ふうん、それで?」

「それはあんまり良くない」

「はぁ、なるほど」


 うん、よく分からない。

 えっとー、ラムズとわたしが子供を作ったと思われるのかな。つまり恋人関係だってこと? まぁたしかにそう誤解されそうだけど、それは違うって言えばいい話よね。

 

 つまりこれって、人魚でいうと、たまたま男女二人で大真珠貝の側を泳いでいたら、子供を作ったと誤解されるって話よね? たしかにこういうことが人魚の中でないわけじゃないけど、違ったらわたしたちは「違う」って言うわ。いくら人魚の子供を作る方法が大真珠貝にキスをすることだとしても、近くを泳いでいるくらいで変に思われることはない。誤解だったら「なんだ違うのね」で終わる話でしょ。

 わたしも、付き合っていない人と大真珠貝の近くで泳いだり話したりしていたことくらい、何回もある。他の人魚もそうよ。だけど付き合っていない男の人魚と貝の側を泳いだって、何も起こらないのは一目瞭然じゃない。恋人以外でそんなことをする人魚は、何処にもいないわ。



 わたしが顔を上げると、レオンは再び口を開いた。


「あとは、男はみんながしたいんだ」

「え? 好きな子とってこと? そんなに子供が作りたいの?」

「いやそうじゃない。あと相手は誰でもいいんだ。まぁそうじゃない奴もいるかもしれないけど、でも裸の女性がいたらみんなしたくはなる」

「待って、意味がわからない。わたしたちは裸の男の人や女の人を見ても、子供が作りたいとは思わないわ。子供を作るのは、好きな人とだけよ」

「その、は人魚の子供を作る方法とは少し違うんだ。なんていうか、男にとってはが……」

「それが?」

「気持ちいい、っていうか……憧れ、みたいな……」

「うーん? 気持ちいいの? そりゃ好きな人と子供が作れたら嬉しいかもしれないけど」

「と、とにかく! 人間の男はシたがってるんだよ! だから付き合ってもいない男と寝てるなんて言ってると、他の人間に誘われるぞ?」

「何を?」


 レオンはまたがくりと項垂うなだれた。近くに置いてあったグラスをがぶがぶと飲み干す。たぶん入っていたのは水だ。


 よく分からないけど、人間の男の人はみんなセックスがしたいのね。それに愛情表現なのに誰でもいいの? あとは気持ちいいんだっけ。

 わたしたち人魚は、恋人同士でしか子供を作りたいとは思わないわ。もちろん、愛情表現のキスもね。誰でもいいなんて……変わっているわね


(人間は、色んな女の人と付き合うって話を聞いたことがある。それもわたしは信じられなかった。

 人魚は必ず一人としか付き合わないわ。なんていうか……色んな人と付き合うなんてちょっと変じゃない? 一人の人を愛する方が、ずっと楽だと思うわ。それにそんなにたくさんの人と恋人になる意味なんてあるのかしら。色んな人と仲良くしたいってことなのかな、それなら友達でいいじゃない)。



「とにかく、今後はラムズと一緒に寝るなよ。メアリがをシたがってるって、みんなに誤解されるから」

「わたしがしたがってるって思われるの?」

「おう、メアリがそういうことを何度も言っていたらそう思われるよ」

「うーん、分かったわ。とりあえず一緒に寝なきゃいいんでしょ」

「そうだ。男と女は別の部屋で寝る、これが常識だ」

「じゃあ部屋は変えてもらうように言ってみる」

「是非そうしてくれ」

「でも、本当にみんなしたがるの?」

「何をだ?」


 わたしがうーんと悩んでいたら、ちょうどエディが階段から降りてきた。どうやらこの宿も、二階に部屋があるみたいだ。一階はこの通り居酒屋って感じね。

 エディはわたしたちに気付いて手を振ってくる。そしてここまでやってきた。



 人間の男がみんなセックスをしたいんだとしたら、化系トランシィ殊人シューマのルテミスってどうなんだろう? わたしはさっそく聞いてみることにした。


「ねえエディ、わたしとセックスがしたい?」

「はっ? えっ?! メアリちゃん俺としたいの?! してくれるってこと?」

「おい! 何言ってんだよ! メアリ!」

「え? え?」

「メアリちゃん俺のこと好きになってくれたの? それとも体だけ許してくれるってこと……? それは少し悲しいけど、俺はそれでもいい! おいで、俺の部屋は空いてるよ」

「おいエディ! 連れていくな!」


 エディがわたしの腕を掴んで、椅子から立ち上がらせようとした。それをレオンが必死に止めている。


 わたしは何が何だかさっぱり分からない。まずなんでエディはこんなに喜んでいるの? あそっか、みんなしたがるからか。エディもわたしとしたいってこと? これは喜んでもいいのかな。本当に誰でもいいみたいね。あれ。でもわたしの事を好きって前に言ってたから、そういうことなのかな。あれは冗談だと思っていたのに……。

 それにしても、本当に簡単に子供を作りたがるのね? だから人間は人数が多いのかしら。それに最上級の愛情表現は本当に愛している者とするはずなのに、セックスは大したことないってこと……?

 


「エディ、こいつは分かってないんだ。だから放してやれ!」

「分かってない?」

「だから────」


 レオンは早口で、エディに何か言った。ちょっと小声で話しているせいでわたしには聞こえない。

 エディはかなり驚いた顔をして、わたしを見た。そしてなんだか同情しているような声で、話し始める。


「メアリちゃん……。変な男に捕まらないでね……?」

「変な男? 人魚を売るような男ってこと?」

「そうじゃないよ。メアリちゃんが心配だ……」

「メアリさ、人間の男にセ……セックスって言葉は使うな」


(ここでまたレオンは器用な顔をした。凄みを効かせながらも少し照れていて、むしろわたしにその言葉を使ってほしいと思っている、みたいな顔。でも語調は強いし、使うなって言い聞かせるようにも言っていた。どっちか分からないけど、とりあえずは頷くことにしたわ)


「分かったわ。使っちゃダメなのね。殊人シューマだからいいと思ったんだもの……」

「殊人も今後はダメだ!」

「分かったわよ……」


 わたしは不甲斐ない気持ちで俯いた。なんだかよく分からないけど、人間には言ったらダメなのね。人間は「セックス」に過剰反応するみたい。みんなエディみたいな感じなのかな?



 エディとレオンは、なんだかかなり疲れた顔で椅子に座っている。どうしたんだろう。

 わたしも少し疲れたかも。帰ろうかな。

 ラムズの方を見ると、ちょうど目が合った。彼はわたしの方に歩いてくる。ラムズはわたしに席を立つよう促した。そしてレオンに声をかける。


「時間も遅いから、俺たちは帰る」

「おう……。というかラムズ!」

「なんだ?」

「メアリにちゃんと常識教えてやれよ! 一緒に寝たとか言ってたぞ……? なんでメアリと寝てるんだよ」


 ラムズは一回首を傾げたあと、ふと何かを思い出したという風に言う。


「ああ、それはこいつが寝ようと言ったからだ」


 ラムズは皮肉な笑みを浮かべている。ということは、本来一緒に寝るものじゃないって分かってて寝たってこと? そんなのって酷い……。教えてくれてたら寝ようなんて言わなかったのに!


「どうして言ってくれなかったのよ! 人間の常識なんでしょ?」

「知っていると思ったからだ。それにどうしても俺と寝たいみたいだったからさあ?」

「ら、ラムズ……。絶対わざとだろ……」

「何が?」

「とぼけるなよ! メアリが知らないこと、絶対知ってただろ!」

「いや知らない、知らなかった」

「とりあえず今日は寝るなよ」

「ああ、メアリが誘ってこなかったらな?」

「誘わないわよ!」


 レオンはラムズに、何度も「一緒に寝るな、メアリの貞操観念がおかしくなる」と言っていた。どうして一緒に寝ると貞操観念がおかしくなるのかは理解できないけど、とにかく常識じゃないのは確かだ。

 非常識なことを言っていたなんて、なんだか嫌だな。わたしがレオンに対して「エルフの誘い方も知らないなんて」と思ったように「男と寝るなんて」って感じだったのかしら。



 ラムズはわざとらしい笑みを浮かべながら、手を軽く振ってレオンたちの机から離れた。そしてわたしたちは、宿を出て帰路についた。

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