ウォーグライド隆興記 老兵たちの断片

甘味亭太丸

老人二人

「野盗狩りだ!」


 ドタバタと宿の一室に乗り込んできた大柄の初老を横目に見やりながら、ベルナーは再び読みかけの書物に視線を落とした。

 初老の男は熱いまなざしを持っていた。その両目に灯るのは烈火か業火か、赤い瞳をしており、それが男の気風にも表れていた。

 ベルナーも白髪で頬の細い老人だった。それでもどこか若々しいのは白い肌に未だ張りがあるためだろう。初老の男とは正反対のアイスブルーの瞳は冷ややかにぎらついていた。


「どうして貴公はそう厄介事、面倒事を引っ張ってくるのか?」


 抑揚のない、無機質な言葉の中にはベルナーの皮肉も含まれていた。


「フン、血も涙もない冷徹な輩にはわからぬであろうな」


 対する初老の男は顎髭を撫でながら、大きな鼻息をかき鳴らし、ベルナーと対峙するように椅子に座った。


「この地の、あまねくすべては我らがウォーグライド帝国のものだ。例え、帝国が潰えようと、この大陸にいるものは皆、帝国の民、そして私は帝国の剣にして、民の守りだ」


 初老の男はそれが当然であるように語った。

 ベルナーは嘆息もせず、相変わらずの声音で、「くだらぬな」と呟いた。


「やはり、貴公と足並みをそろえるのは間違いだったようだな、ヘルマン卿。私は、先にこの街から出るとする。義勇軍との合流もあるし、このような辺境の地でごたついている暇はない」

「お、おい待てベルナー。我らは誇り高き帝国軍だぞ? それが、たかが野盗如きに背中を向けるのは、末代までの恥ではないか!」

「既に、我らに恥をかいて困る立場はないではないか。ウォーグライド帝国は潰えた。偉大なるストラトス陛下は暗殺され、后妃様も我らが看取った」


 ベルナーはパタンと書物を閉じ、感情の見えない氷の目をヘルマンへと向ける。

 無機質の圧力のようなものがヘルマンに降りかかるが、彼自身は動じず、それを真正面から受け止めていた。


「そうだ。逆賊オグレスが陛下の御恩も忘れ、欲に煽られた愚行によって、偉大なる帝国は……」


 ヘルマンはそのことを口にする度に涙を流し、拳を握りしめるのである。

 大柄な男であるヘルマンは肩を震わせ、歯を食いしばり、悔しさに顔をゆがめていた。


「しかし、まだ殿下が生きておられる。殿下をお救いしなければいけないのだ」

「左様、それが我らの目的。それゆえにこうして泥を啜るような生活に甘んじているというのだ。それなのに貴公はなぜ、こんなさびれた街如きに介入をする。これでは、オグレスに我らの所在が知られることになる」

「愚か者め! 圧政に嘆き、ならず者どもに虐げられ、明日の未来すらも見通せぬ民を放っておくことなど、できぬわ!」

「先ほどから、貴公の言葉には一貫性がない。感情だけで言葉を綴るのはよしてもらいたいものだな」

「えぇい、もうよい! とにかく、俺は戦うぞ。街の者にも約束をしてしまった手前、引き下がるわけにはいかんからな!」


 ヘルマンは再び鼻息を荒く、立ち上がった。


「貴様はどこへなりとも行くがいいさ! だが、わしは逃げんぞ。帝国の将たる私の敗走はあの時のたった一度だけで充分だ」


 ヘルマンはずかずかと部屋の出入り口まで進み、勢いよく扉を開け放った。そして、敷居をまたぐ直前に、ベルナーに振り向くと、


「偉大なるウォーグライド帝国復活の為、大陸の膿は出来うるかぎり取り除かねばならん! まだ幼いミューゼル殿下が心安らかな統治をなされる為に、私は全力を尽くさねばならんのだ。それが大恩あるストラトス陛下へのせめてもの手向けとなるのだからな!」


 ヘルマンはそれだけを言うと、大股で出て行ってしまった。

 ベルナーはそれを冷ややかな視線で送り届けると、再び書物を開き、視線を落とす。

 しかし、数秒後には書物を閉じ、窓のカーテンを閉め切った。

 薄暗くなった室内で、ベルナーはふと目を閉じた。


***


 帝国歴164年。8月12日。

 ウォーグライド帝国、第11代皇帝であるストラトス・ゲルゼヘルが暗殺された。これは大陸を掌握する大帝国において、最大の暗黒時代の到来を意味していた。

 亡き皇帝を暗殺し、玉座を簒奪したのは帝国軍を統括するオグレス将軍であった。元より野心家としての姿を見せていたオグレスは自身に内応する勢力をかき集め、また反帝国勢力、政治闘争に敗北した没落貴族などに接触し、ウォーグライド帝国への反乱を煽っていた。


 その最後として、打ったのが皇帝の暗殺、そして自身が12代目の皇帝に即位することであった。オグレスには古き王家の血筋も残っていた。継承権という点においては、遠く離れた立場にいるが、正当性はあった。

 しかし、これは歴史ある帝国の中でも史上最悪の事件、そして暗黒の時代と憎悪を込めて残された。


 オグレスは即位後、前皇帝の勢力を駆逐し、己の手ごまとして引き入れていた反帝国組織を中枢へとそのまま移し替えた。

 当然、これに反発するものも多かったが、軍部を取り仕切っていたオグレスは単なる簒奪者ではなかった。また反勢力をまとめ上げるだけの力量を持ち、私兵の存在すらも漏洩させることもなかったしたたかな男でもあった。

 多くの帝国軍人はオグレスに弱みを握られ、しぶしぶと彼に従う必要があった。

 同時にオグレスは苛烈な男であり、なおも反抗するものは例え有能であっても一切の慈悲なく抹殺した。

 これにより、オグレスの恐怖政治が始まったのである。


 帝国歴164年。10月。

 のちに暗黒皇帝と称される事となるオグレス率いる新生帝国軍と故ストラトス派の解放軍による全面衝突が勃発。しかし、解放軍はその数があまりにも少なかった。名だたる将兵の何人もがオグレスに首輪をつながれていたこともあるが、それを差し引いても、解放軍として戦った離反将兵は帝国軍の勢力の一割にも満たなかった。

 その中には猛将として謳われたヘルマンの姿もあった。


 さて、この大陸の戦いには一風変わった武器が使われていた。

 機甲騎士甲冑――ガイアス――と呼ばれる全長二十メートルにも及ぶ巨大な機械の騎士こそが、この大陸における最大最強の武器であった。帝国の誇る最強のガイアス軍団同士の戦いは苛烈を極め、双方に相当数の死者を出したといわれているが、この戦いにおいて、オグレスの懐はほぼ痛むことはなかったとされる。

 なぜなら前線において勇猛に戦ったオグレス軍の将兵たちは、かつての先帝ストラトス寄りのものたちであった。オグレスは彼らを前線に押しやり、その背後から自身の私兵で睨みを利かせ、かつての同胞たちの戦いをワインを嗜みながら観戦していたと記録されている。


 そして帝国歴166年。3月の事である。

 かつて解放軍を率いて、逆賊オグレスを討ち取るべく奮迅したヘルマンは、帝国の首都フォーチュンから遠く離れた辺境の地へと逃げのびていた。


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