お人好しの連れ子たち

塚本ハリ

前編

 年老いた男が連れ添ってきた妻を亡くし、やがて再婚しようとすると真っ先に反対するのはその息子や娘たちが多い。

 いわく「いい年してみっともない」「世間体を考えろ」などなど、もっともらしいことを言うが、何の事はない、相続する財産が目減りするからである。

 父親が亡くなった場合、遺産は半分が配偶者、つまり妻に与えられ、残り半分を子どもたちで等分するのが原則である。例えば、妻に先立たれた男なら、そのままだと遺産は全て子どもたちが相続できる。しかし、ここで新たな配偶者ができると、いきなりやって来た後妻に遺産の半分を持って行かれることになるのだ。そりゃ、父親の再婚にも反対しようというものだ。


 「好美、晴美、紹介するよ。道代さんだ。父さんなぁ、この人と結婚しようと思っている」

 道代は向かい合ってソファに座っている二人の娘たちの様子を、上目遣いでそっと伺った。娘といっても、父親である剛造が70過ぎだから、二人とも40は過ぎているだろう。なるほど、二人とも目元などは父親そっくりだ。それぞれ、ちょっとクリっとした瞳を大きく見開いて、あっけにとられた様子だ。

 道代には彼女たちが口にするであろう言葉が容易に想像できる。「何考えているの」「認めませんからね」、おおかたそんなことを言って、修羅場が訪れるのだ。

 もちろん、それへの対応策も十分考えている。だが…

「本当? おめでとう、お父さん!」

「やったねー、父さんも隅に置けないんだからぁ」

今度は道代があっけにとられる番だった。


 房江は道代の話を聞いた途端、笑い転げた。年配の女性にありがちな、手を叩き、身を捩ってヒィヒィと苦しそうにしながらも、笑いは止まらない。

「ちょっとちょっと、ここはホテルの喫茶室なのよ。もうちょっと抑えなさいよ」

「だってぇ…おっかしいんだもん。…あー、笑いすぎて涙出たわ」

 そう言いながら、房江は指で目元を拭った。その指には、大ぶりの宝石を付けた指輪がいくつもはめられ、指先にはきれいに彩られたネイルが光っている。着ているものも、高級スーツにブランドバッグと、どう見てもセレブな年配のマダム風だ。そんな女が爆笑しているものだから、ホール係も薄笑いを浮かべながらこっちを伺っている。道代もつられて苦笑しながら、ホール係に紅茶のお代わりを頼んだ。

「ごめんなさいねぇ、オバちゃんたちうるさくてぇ…。いや、房代ってば。それにしたってさ、笑い事じゃないわよ、まったく。調子が狂ったわ、もう」

「いいじゃんいいじゃん、そんなお人好し姉妹、どうにでもできるでしょ」

「そうだけどさぁ…」

 房江ほど派手ではないが、道代の装いもそれなりに金をかけている。白髪交じりの髪をきれいにセットし、下品ではないが華やかさのある化粧、渋い色調の小紋を粋に着こなして、こちらはどこかの老舗の女将という風情だ。


「ところで、その姉妹はいくつなの? 結婚していないの?」

「二人とも40半ば。姉の好美は独身で、大手の出版社で雑誌の編集とかやっているって。よくある、仕事が楽しくて婚期を逃したタイプかな。妹の晴美はバツイチの出戻り。薬剤師として働いていて、趣味はハーブとアロマテラピーだって。まぁ、どっちもおっとりしたお嬢さんって感じではあるけどね」

「お金持ちのお嬢さんって感じ? まぁ、父親がそうなんでしょ?」

「そうね、剛造さんの父親が元農家で、あの辺りに田畑を多く所有していたの。それが、高速が通るとか私鉄の駅ができて宅地開発だとかで何だかんだで土地成金。今はビルやマンションを所有して、それの稼ぎで悠々自適の毎日よ」

 道代と房江は、若い頃からの付き合いだ。知り合った場所は何を隠そう、刑務所の中。罪名は「赤詐欺」いわゆる結婚詐欺だった。どこかウマがあった二人は、出所後も仲良く付き合いを続け、時には互いに協力し合って何かと稼いできた。もちろん、捕まるなんてヘマは二度としない。結婚で姓を替え、のぼせやすそうな金持ちのボンボンを騙しては金を巻き上げてきた。そして50歳を過ぎた頃からは、金持ちの男やもめを狙った後妻業を繰り返してきたのだ。

 しかし、今回の反応は道代にとっても予想外だった。

 これまでにも何度か経験している。年老いた資産家の男を狙い、結婚まで持ちかける。大抵は息子や娘が反対し、親子喧嘩に至る。親子仲をこじれさせ、絶縁状態にさせ、男は強引に道代と籍を入れ、息子や娘たちには遺産をやらないとまで言わせる。

 後は婚姻関係と男の遺言をタテに、男の金を懐に入れ、その男が亡くなれば当然の権利で遺産を獲得してきたのだ。

 それなのに、あの娘たちはそんな道代に反対するどころか、諸手を挙げて賛成。それどころか祝福しまくる始末である。

「…普通、そういう老人に別の女が近づいたりしたら、娘としちゃあ警戒しそうなものなのにねぇ。危機感ゼロじゃない」

 房江の言うとおりだ。道代はぬるくなった紅茶をすすった。

 房江は現在、宝石商を名乗り年配の男性を物色中。道代もゴルフ仲間を装って知り合った剛造にアプローチをかけ、ここまで至ったのだ。二人とも60半ば。そろそろ「引退」の文字も浮かんでくる。その前に、最後の仕事をと考えていたところだったのだ。

「さて、そろそろ出るわ。駅前の証券会社にアポ取っているのよ」

「あら、前の旦那の遺産?」

「そう。そろそろ預けかえしようかなと思って」

「しっかりしているわね。それじゃ、また電話ちょうだいね」


 証券会社の支店長が、わざわざ部長と一緒に玄関先まで見送りをしてくれた。そりゃそうだ、道代の扱う金は、それなりに額が大きいのだから。ここでは彼女は上客の一人だ。

 時計を見れば昼をだいぶ過ぎていた。何か食べようかと思っていたときだった。

「あれ、道代さん?」

「本当だ、奇遇ですね」

 声のする方向を振り向けば、何と好美と晴美がニコニコしながら立っている。

「あ、あら、お二人とも…どうしたの?」

「ちょっと打合せの帰りで、晴美と合流したところなんですよ」

「道代さん、お昼まだですか? よかったら一緒にどうです?」

人の良さそうな笑顔で話しかけてくる二人に、道代も素直に頷いた。


 連れて行かれたのはお洒落なカジュアルフレンチ。二人は慣れた風に注文を済ませる。

「道代さん、好き嫌いはありませんか?」

「良かったら、グラスシャンパン頼みましょうか? お酒はイケる口?」

「ここ、前の取材で知ったの。意外とリーズナブルなんですよ」

「あ、後でデザートメニューも頼みましょうよ。だからメインは軽めにしようかな…」

 屈託のない笑みでランチを楽しむ二人。道代は黙って彼女たちを見ていた。

「道代さん、今日は私たちにごちそうさせてくださいね」

「そうそう、これから家族になるんですから、遠慮しないで」

「そんな…却って気を使わせたようで申し訳ないわ。それに…」

「それに?」

 好美ののほほんとした笑顔に、ちょっとだけ卑屈になった。

「もし…もしもよ、私が剛三さんのお金目当てで付き合っているとかだったら? そんな風に思わないの?」

 なぜそんなことを口走ったのかは分からない。だが、二人の反応は変わらなかった。

「やーだぁ。そんなこと、道代さんがする訳ないでしょ」

「そうそう。だって道代さん、そんなにお金に困っていないって分かるもの」

「…どうして、そんなことが言えるの?」

「あら、だって…」

 好美は優雅な手つきでグラスを空けた。

「さっき、駅前のA証券から出てきたのを見ちゃったんですよ。あそこ、うちの資産運用もお願いしているので、よく知っているの」

 一瞬、道代のフォークを持つ手が止まった。見られていたのかと冷や汗が滲む。

「しかも支店長クラスの人がお見送りしていたでしょ。っていうことは、道代さんもそれなりの資産家ってことじゃない?」

「そ、それは…」

 何か言おうとしたが、声が詰まった。が、今度は晴美が脳天気に言い放った。

「そんな人が、他人の財産目当てな訳ないじゃなーい」

「そーよねー」

 カラカラと陽気に笑い飛ばす二人を見て、道代は体中の力が抜けるような気がした。


――― この二人、鋭い! …のに、アホだ…。

 

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