憤怒 〜かちかち山より〜

木枯らしと灰の魔術

第1話

むかしむかしあるところに、

と思いきや、現代。


機械やITが発展する今この時代に、

農業を営む老夫婦が住んでいた。


過疎化の進む農村部。

若者ばかりか、老人すらいない。

老夫婦はこの寂れた村に住んでいる。


その分とても静かで、

老夫婦はこの地での生活に満足していた。


鳥のさえずりの響く山々。

風に揺られ踊る木々。

青々しく生い茂る、色とりどりの草花。

地球の温かみを感じる、美しい地だ。


この先も、ずっとずっと温かく美しい世界で、落ち着いた生活が続くと思っていた。


しかし。

その日常は、しばらく前に崩壊した。

跡形もなく。


「邪魔すんぜェーッ!!今日も貰ってくぜェ、ジジババ共ォ!イィーヒャヒャヒャ!!」


扉を勢いよく開けた一つの影。

近くのダンボールに入った農作物が目に入った途端、すべて取り上げ、持ち去ろうとする。

そのなんと力の強いことか。


中には、南瓜に人参、キャベツ、レタス。リンゴやみかんにスイカと、季節関係なく育てた、瑞々しく新鮮な野菜、果物。


少々育ちが悪いが、愛情を込めて育て上げた野菜はどれも良い値段で売れ、良い買い手がいる。


爺さんは慌てて駆け寄り、その太い腕を掴んだ。

爺さんの手は震えていた。


「タヌキさん!もう勘弁して下さい!お願いですから……」


「あ゛ぁ゛?俺に楯突く気か?クソジジィがァ!!死ねッ!!!」


爺さんが顔を殴らる。

ちょうど骨に当たってしまい、ゴツッという不快な衝突音が響く。


爺さんはもう結構な年齢。

呆気なく地に倒れ伏した爺さんが顔をあげると、恐怖で震える口の端から血が流れていた。


彼はタヌキ。

老夫婦の農場から無断で農作物を奪うだけでなく、このように、無慈悲に老夫婦を殴りつけたりする。


痛がる爺さんを見下ろし、

情けない顔だ、と言わんばかりに

タヌキはニタァと笑う。


「食い終わったらまた来るからよ!今回は許してやっから、次までに、また必ず野菜作っとけ。じゃねーと本当に……

……殺しちまうぜ?……イーヒャヒャヒャ!!!」


タヌキは悍ましい笑い声を立てながら、

老夫婦の住む家を出ていった。



二人は唖然として、

玄関に立ちすくんでいた。


「うっ……うっ……」


ダムが決壊したように、婆さんが涙を流す。


もうタヌキの襲撃は何度目だろうか。

もう何度も何度も、同じことがあった。


婆さんの涙は、爺さんへの心配だけじゃない。

悔しさと怒りの涙だ。


爺さんは、何か決心したような顔で、

口元の血を服で拭い、立ち上がった。

そして、婆さんの肩に優しく手を掛ける。


「泣いたらいかん、ばあさん……」


「ですが!」


「大丈夫だ。明日を待つんじゃ。わしが……わしがなんとかしてみせる。」


婆さんはハッとして、爺さんの顔を振り向いた。

爺さんは、開きっぱなしの扉の向こうに広がる、青い青い空を見つめていた。


婆さんはその目に懐かしさを感じた。


婆さんが若い頃。

自分を守ってくれたときも、

結婚を告げてくれたときも、

悲しい事があって、

それを慰めてくれたときも。


爺さんの深く黒い瞳の奥底に眠る決意の光。

それは、年老いても消えてはいなかった。


この日からもう既に、

「終わり」までのカウントダウンが始まっていた。




……翌日。


爺さんは婆さんに少し多めに朝食を作ってもらった。

タヌキを打ち倒すため、精をつけるのだろうか。


思うことはあれど、婆さんはその頼みに、なんの文句も意見も言わない。

ただただ、爺さんを心の底から信じているからだ。


爺さんも同じだ。

婆さんに心配させるわけにはいかない。

なんの説明もなし、決行日は今日。


私はどうなってもいい。

すべては婆さんのためだ。


消えることのない瞳の光は、そう告げていた。


「行ってきます」


「……行ってらっしゃい、気をつけてね」


婆さんは、堪えきれず心配の言葉を漏らした。

もう歩き始めていた爺さんだったが、振り返り、優しく微笑んだ。


無くなったと思われた美しい日常は、この瞬間だけだが、二人の元に舞い戻ったのであった。




「あぁー、腹減ったなァ。ねぐらから離れちまったし、食い物がねェんだよなァ。……そうだ!またあの老害どもから搾り取るか!」


タヌキが森の中を彷徨く。

特に用事があるわけでもなく、ただの散歩のようだ。


タヌキに天敵はいない。

いや、このタヌキだけが例外というべきか。

このタヌキだけが異常なのだ。


犬や鷲なんて、軽くあしらえる。

果てには熊すら素手で殺せる。

そんなタヌキなのである。


彼の弱点といえば、

空腹に弱いこと、頭が悪いことだ。


爺さんは、その弱点をうまく突いた作戦を考え出した。


内容は至って簡単。

空腹のタヌキを狙って食べ物を用意し、予め仕掛けた罠にかけるのである。


爺さんは木の枝に縄を垂らし、近くの切り株の下に円状に敷いて結んだ。

それを枯葉で隠す。


反対側から縄を引けば、タヌキは円状の縄に締め付けられ身動きできなくなる。


爺さんは切り株に、婆さんが作ってくれた握り飯を2つ置いた。

せっかく作ってくれた握り飯をあんな奴にあげるのは気が引ける、と思いつつも、仕方ないと握り飯をそっと置いた。


憎きタヌキが現れるのを、木陰でじっと待つ。




予想通り、タヌキは腹を空かせて現れた。ものの20分ほどしか待っていないが、

爺さんはこの好機を逃すまいと、

瞬きもせずにタヌキの動きを追った。


タヌキはやはり頭が悪い。

なんの警戒もせず、握り飯に飛びついた。


行儀悪く握り飯にかぶりつき、もちゃもちゃと噛み締める。


今だ。


爺さんは縄を引いた。

久しぶりに出した力に少々疲れを感じたが、今を逃せば後は無い。腕ももげる勢いで引いた。


切り株近くからは、タヌキの怒声が響く。

爺さんは縄を木にしっかりと結びつけ、握り飯を置いた場所へと向かう。

爺さんの心は、これまでにないほど高鳴っていた。


タヌキは宙にぶら下がり、

無様に蠢いていた。


「畜生ッ!!死ね!!死ね!!この老害が!!貴様らは俺への食べ物を提供してるだけでいいんだよッ!!」


爺さんは、果てしない達成感と、婆さんに対する感謝と愛を改めて感じた。


婆さん。ありがとう。

神様、ありがとう。

そしてタヌキに、惨たらしい最後を。


爺さんは、婆さんに対する純粋な愛を持っていながら、

思わず目を背きたくなるような、タヌキに対する残虐な感情ももっていた。


何年も何年も老夫婦を苦しめてきたのだ。

積み重ねられた怒りとか恨みは、

爺さんの性格をねじ曲げるほどだった。


思わず笑みが溢れる。

婆さんに向けた優しげな笑顔は、面影もない。

ただひたすらに暗く、狂気的な笑顔。


「どうも……タヌキさん。お世話になっております……ヒヒッ」


タヌキは若干の恐怖を感じたが、ここで引くわけにはいかない。

この老害共は、所詮俺に飼われてるだけの雑魚だ。


そう思い、高圧的に返した。


「なぁジジイ。今回も俺の寛大な心で許してやっから、さっさと解きな。それとも、今度こそお前本当に殺しちゃッゲボァッッ!!!」


タヌキの口から、汚らしい液体が飛び散った。

タヌキは現状が理解できない。


あの気弱なジジイが。


手も出せない意見も言えない、貧弱な老害が。


一丁前に、俺の腹を殴るなんて。


タヌキの顔に青筋が走る。

そして叫……ぼうとした。

声が出ないのだ。


声を出そうにも、肺にのしかかる爺さんの拳の重みが、タヌキの喉までも押しつぶしていた。

タヌキの息が荒々しくなる。


ただの拳などではない。

全ての怒りと憎悪のこもった、この地球なんかよりも遥かに重い拳。


そんなものを受けては、鍛え上げられた肉体を持つタヌキでも耐えられるはずがない。


奇妙な液体を口から垂れ流しながら、

タヌキの意識は、ゆっくりと身体の中に沈みこんでいった……

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