林間学校 6

 林間学校二日目。私達は朝から、施設の裏にある山で登山を行っていた。

 天候は晴れ。この山はそう高くなく、かといって低いわけでもないのでハイキングには丁度良い。

 この山登りは私達弧ヶ原学園と猪塚高校の二校合同で行われ、出発前に先生からくれぐれも問題を起こさないようにと注意があった。

 まあ言われなくても問題なんて起す気は無いけど。わざわざ山に登ってまで他校生と喧嘩することも無いだろう。


 登りはじめてから一時間は過ぎただろうか。昨日基山が登山は苦手だと聞いていたので時々気にしていたのだけど、特に変わった様子はない。私の心配をよそに、割とスイスイ山道を歩いている。

 そしてもう一つ驚いたのは、私のすぐ隣を歩く霞が、慣れた様子で歩を進めていることだった。


「霞、よく疲れないわね」


 私は疲れた声を出しながらニコニコ笑顔で歩く友人を見る。忙しい家事をこなして、少しは体力がついてきたと思っていたけど、霞と比べたらその差は歴然だ。


「ハイキングは慣れてるから。中学の頃は家族や友達と、よく山に登ってたんだよ」


 そうか、霞は山ガールだったのか。暇さえあれば自宅で本ばかり読んでいたインドアの私とは差があって当然だ。というか、班の中で一番バテているのは私だ。基山の心配なんてしている場合じゃない。担いでいたリュックを背負い直すと、遅れないように歩みを速めた。


「水城さん、大丈夫?」


 少し先を歩いていた基山が。こちらの様子に気付いて声をかけてきた。おそらく私が無理をしているとでも思ったのだろうけど、心配していた基山に逆に心配させるだなんて。


「平気よ。何も問題は無いわ」

「それならいいけど。もうすぐ頂上だけどあまり無理しないでね。水、飲む?」

「大丈夫」


 差し出されたペットボトルを払う。瞬間、指が触れそうになった基山は慌てて手を引っ込める。そんなに女子が苦手なら無理して気遣ってくれなくてもいいのに。きっと放っておけない性分なのだろう。



 そんなこんなありながら私達は山道を進み、お昼ごろになってようやく頂上に辿り着いた……が。


「何も見えないね」


 頂上にはちょっとした広場はあるものの、その周りには木が覆い茂っており、山の上から景色を眺める、なんてことはできなかったのである。


「せっかく登ってもこれじゃあな」


 班員の男子がぼやく。私も全く同意見だ。とはいえ、文句を言えば景色が見えるというわけでもない。仕方なく施設を出る前に渡されたお弁当で昼食をとることとなった。

 登山中は班で動くのが原則だけれど、昼食の時はその限りではないので、各自気の合うメンバーでグループが作られた。私も、霞やほかの女子と一緒にレジャーシートを敷き、そこにお弁当を並べる。


「ちょっと手を洗ってくるね」


 食べ始める前、私はそう言って一人グループの元を離れる。

 他の皆はとっくに手を洗っていたけど、バテていた私は休んで体力を回復させていたので一人だけタイミングがずれてしまっていたのだ。

 広場の隅には、山の上にもかかわらず水道が設置されていてる。私は手を洗おうと、蛇口に手を伸ばしたのだけど――


「あっ」


 全く同じタイミングで伸びてくる手があった。思わず手を止めて相手を見ると、相手も全く同じ動きでこっちを見てきたようで、目が合ってしまった。


(あれ、この子って?)


 目の前にいたのは茶髪でポニーテール。ちょっと気の強そうな目をした彼女は、昨日基山と話をしていた子だった。確か、名前は春日香奈って言ったっけ。

 互いに手を引っ込めてしまったけれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。先に彼女に譲るとしよう。


「先使って」

「どうも」


 そう言って彼女は手を洗いだす。

 続けて私も洗い始めたけど、先に洗い終わった彼女は、なぜかその場を去ろうとしない。


「ねえ、あんた」


 私が手を洗い終わったのを見て、彼女が口を開く。

 やっぱり話しかけてきたか。何だかさっきから、視線が気になっていたんだよね。


「昨日太陽と一緒にいたけど、あいつの友達なの?」

「まあ、そんなとこ」


 アパートの隣人という事まで話すと長くなるので、私はそれだけ伝えた。すると春日さんは珍しいものでも見るかのように私を見始める。


「あいつに女子の友達ねえ」


 驚いたような、感心したような声を漏らす。

 まあ驚くかもね。基山女子アレルギーだし。春日さんはじっと私を見ていたけど、ふと我に返ったようになる。


「ごめん。私太陽とは中学同じでさ、春日香奈っていうの」

「基山から聞いてる。幼稚園から一緒だったんでしょ。私は、基山と同じクラスの水城皐月」

「あんにゃろ、そんな事まで話したんだ。あのさ、太陽ってクラスでうまくやってる?あいつ、ちょっと変わったところあるから馴染めているのかなって気になっちゃって」

「変ったところって、女子アレルギーの事?それとも吸血鬼の事?」


 そう言うと、春日さんは驚いた顔をした。


「ちょっと、太陽が吸血鬼ってことまで知ってるの?アイツめ、吸血鬼の事は黙っているとか言ってたけど、騙したな」


 春日さん、顔が怖くなってるよ。誤解を解いておかないと、何だか後で基山が虐められそうな気がする。


「別に騙したわけじゃないと思うよ。たぶん、私以外は知らないはずだから」


 男子ではもしかしたら知っている友達がいるかもしれないけど。だけど春日さんは顔をしかめる。


「わからないわよ。太陽のやつ顔は良いから。ちょっと仲良くなった女子にはあっさり打ち明けて、顎クイしながら『これは僕と君だけの秘密だよ』とかキザなこと言ってるかもしれないでしょ」


 いや、それは無いと思うけどなあ。

 顎クイをしながらキザな言葉を囁く基山かあ。どんな感じだろうと思い、ちょっと想像してみる。想像して…想像して……思わず悶絶する。


「………くっ……あはっ、あはははははは!」


 自分の口元を押さえ、込み上げてくる笑いを必死に抑える。

 似合わない。ものすごく似合わない。基山にそんなことできるわけがない。やるとしたら土下座しながら『どうかこの事は内密にお願いします』とかだろう。

 見ると春日さんも想像したのか、私と同じように笑いを堪えている。もちろん隠しきれていないけど。無理もないか。可笑しすぎる絵だし。


「ごめん、今のは私が悪かった。あいつには無理だ」


 よほど可笑しかったのか目には涙が浮かんでいる。近くにいた事情を知らない生徒が、不思議そうな目でこっちを見てきたけど、春日さんは気にする様子もない。

 キザったらしい基山の姿を思い浮かべながら、ただ笑うばかりであった。

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