今日という日は
カゲトモ
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「好きなんです」
ジャズの音にかき消されるくらい小さな声だった。耳まで真っ赤にして言った彼女は、もう今は一人だ。
聞くつもりはなかった。けれど、カウンターに座っていたらどうしても聞こえてしまう訳で。
「どうぞ」
何度目かの『同じもの』を遮って、彼女の前にミネラルウォーターを差し出す。眼鏡を掛けた彼女の瞳が丸くなった。
「あの」
「どうぞお飲みになってください」
「でも」
「お水を挟まないと、お辛いでしょう?」
じぃっと静かに上目使いで見つめてきた瞳は、赤く潤んでいる。眉は垂れさがり、目の下も赤い。
「・・・いただきます」
小さく頭を下げて、両手で掴んだグラスを傾ける。ごくん、と流し込んでから深いため息。
「・・・あの、お店、出た方がいいでしょうか」
「いいえ。どうぞゆっくりお飲みになってください」
「その、私なんかがいたら」
迷惑じゃないでしょうか。そう続けた彼女は俺の目を見ずにどこか遠くを見つめている。
店内には彼女以外にお客様がいる。それもカップルやご夫婦といった、二人組のお客様たちばかりだ。だからこそ、一人でいる彼女がそう思うのも無理はないのだろうけど。
「とんでもない、どうかそんなことは言わないでください」
「でも、クリスマスなのに」
クリスマスだから、何だと言うのだ。振られた女が一人でバーで飲んでいたら、カップルたちに囲まれながら飲んでいたら、それは迷惑に値するのか。
「クリスマスと言っても」
「?」
「今日はただの日曜日ですよ?」
そうだ、今日はただの日曜日だ。
クリスマスを大切な人と祝うのは良いことだ。でも、だからどうした。それじゃあシングルの人は引きこもっていろとでも言うのか。
ふざけんな。
「今日はクリスマスイブですが、クリスマスとはイエス・キリストの誕生を祝う日です。恋人の日ではありません。大切な人とお祝いをする日なのです。だからどうか、そんなことを言わないでください」
自分をどうか卑下しないで。貴女が想いを告げたことは、本当に凄いことなのだから。
「すみません」
「謝らないでください。お客様はなにも悪くありませんから」
「・・・ありがとうございます」
俯いてから初めて彼女が微笑んだ。それはとても不自然なものだった。それでも、良かったと思う訳で。
「いえ。お客様はとても素敵な方です。どうか落ち込まないで」
言葉が詰まって出ないような彼女に、胸ポケットのチーフを差し出す。躊躇いがちな右手に握らせるように渡した。
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