第3話

 母の死から丁度3年後、僕が中学二年の夏休みを迎える直前に兄は「飛び降り自殺」をしたらしい。

 らしい、と言葉を濁したのにはわけがある。

 確かに僕は兄が校舎の屋上から飛び降りるのを見た。その時僕も屋上にいた。

 そして、兄の「飛び降り」を誰よりも間近でみていた僕には、それは自殺には見えなかった。僕の目には、背中から翼の生えた兄が空へと飛び立ったように見えた。

「兄は天使になったのだ」当時の僕はその光景をそう認識した。

 兄が飛び降りた直後、僕は教職員達に拘束され保健室に隔離、その後車で家に強制的に帰された。さらに間の悪いことにその次の日の正午、「汚れた炎」がこの街に落ちた。

 街は混乱し、もう誰も僕の兄の飛び降り自殺なんて構ってられなくなった。

 後になって当時の教員から「兄の死体」についての話を聞いたが、どんなにその教員が詳細に頭蓋骨の欠けた兄貴の屍について生生しく語ってみせても、僕はその話に現実味を一切見出せなかった。

「兄が自殺した」という事実を僕が受け入れてないのは、「死体を確認していない」のほかにもう一つ理由がある。

 兄は周囲の人間に一切気を使えない人間だった。

 病的なまでに人とのコミュニケーションが取れず、いつも自分中心でしか物事が考えられず、攻撃的な手段でしか他者への干渉方法をもたない。そんな人間だった。小学校の頃から、毎月一度は暴力事件を起こして親を学校に呼び出していた。

 そんな人間が自殺なんてするのだろうか? 自分の事しか考えないような人間が、それほどまでに追い詰められることはあるのだろうか? 

 病弱な母親に多大な心労を掛け続けたような子供が、何を思い悩むというのか?

 だから僕の中では「兄は天使になった」というのが、当時の事件の結末として処理されていた。

 ずっとそう思ってた。でも、24歳になった今、突然確かめたくなった。

 兄は本当に天使になれたのだろうか?

 僕はそんなバカげた問いの答えを求めて、わざわざ50km以上の強行軍を経て、この学校にやってきたのだ。

「天使なんて、存在するはずがない」

 そんな当然の結論を得るために。

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